2021/06/20

風の刃 1

  セルバ共和国の首都グラダ・シティ。古代の神話に登場する神の名前だとか部族の名前だとか色々説があるが、セルバ人にとってグラダは特別な名前の様だ。田舎の人々にとって憧れの大都会であり、”曙のピラミッド”が鎮座する聖地として先住民から神聖視されている。その実情は、高層ビルがカリブ海に面する海岸線に立ち並び、高速道路が南北に通っている。商店街は昼夜問わず老若男女が歩き、物流が休む間もなく動いている。オフィス街ではスーツを着てアタッシュケースを持ったビジネスピープルが行き来して、その多くはヨーロッパやアフリカや東洋から来た外国人だ。セルバ人でスーツを着た人は貿易商が多い。彼等は殆どがメスティーソで、他の中南米諸国と変わりない。市街地では車の交通渋滞が発生するのも日常的、その車の間を縫うように荷車やラバが通るのも珍しくなかった。空港周辺ではジェット機が離発着する横でヤギの群れが草を食んでいる。港では大型貨物船がコンテナの積み下ろしをしている横で、昔ながらの木製の漁船が魚を獲っている。少し南へ車を走らせると綺麗なビーチがあって、水着姿の外国人達が休暇を楽しんでいる。彼等を相手にする露店が通りに並び、市が立っていた。
 シオドア・ハーストはセルバ共和国に戻った。研究所の上層部と入念な打ち合わせの上で、国立グラダ大学の医学部で遺伝子工学の客員講師の職を得た。教職の経験はなかったが、学生相手に簡単な内容の講義は出来たし、彼自身驚いたことに、これが予想以上に面白かった。学生達はセルバ共和国各地から集まっていたが、大学教育を受けられるのは富裕層の子供達だ。彼等はメスティーソで、稀に見かける純血種の先住民と思われる学生は奨学金受給者で成績優秀で政府から入学を許可された特待生だった。シオドアは、スペイン語風にテオドール・アルストと呼ばれた。若い学生達は年齢が近い彼を親しみを込めて「テオ」と呼んでくれたので、シオドア自身直ぐに彼等に慣れ親しむことが出来た。
 シオドアには研究所がつけた2人のボディガードがいた。1人は馴染みあるシュライプマイヤーだ。もう1人も元海兵隊と言う強そうな男だった。彼等は交代でシオドアの出勤に同行し、一日を大学で過ごし、夕方一緒にアパートに帰宅した。男3人で暮らしている状況をアパートの大家は気にしなかった。外国人が借りる高級賃貸集合住宅だったからだ。シオドアは内心建物のセキュリティがしっかりしているのだから、ボディガードは別に部屋を借りれば良いのに、と思ったが、そこは我が儘を通してもらって来ているので、言わないでおいた。予算の問題もあるだろう。
 最初の1ヶ月は引っ越しの手続きや仕事の準備などで忙しく、上層部から与えられた「任務」遂行に取り掛かれなかった。オルガ・グランデの鉱山で働く特殊な遺伝子を持つ労働者の捜索だ。内陸部へ入る理由を作らねばならない。大学講師が着任早々地方へお出かけする理由がないからだ。彼以外にも大学で働いている外国人は多く、彼等はシオドアに忠告してくれた。

 この国では先祖に関する質問は失礼だと思われている。先祖が誰だとか出身地が何処だとか、訊いて回らない方が良い。特に貴方は遺伝子学者だから興味を引かれることが多いだろうが、動植物のもので抑えておくことだ。人間に興味を持ってはいけない。

 それは、エンジェル鉱石の労働者の調査が困難であることを示唆していた。
 引っ越しの忙しさが落ち着く頃に、シオドアはケツァル少佐に連絡を取れないものかと考えた。少佐ならオルガ・グランデに行く方法を教えてくれるかも知れない。
 彼はまだエル・ティティのゴンザレス署長に電話をしていなかった。早く会いたかったが、ボディガード同伴で会うのは嫌だった。きっと署長も他人行儀に振る舞うだろう。だが直接会えない心理的理由もあったのだ。今回のセルバ共和国での仕事は、政府から命じられたものとも言える。労働者の遺伝子を採取する。スパイ行為同然だ。もし、セルバ共和国政府の機嫌を損ねたら、ゴンザレスにも害が及ぶ恐れがあった。だからシオドアは我慢した。
 大統領警護隊は大統領府に本部があった。白いフェンスで囲まれた広い敷地に白亜の石造の建物がある。庭に樹木が植えられ、地面は芝生だ。建物はスペイン統治時代の歴史あるもので、観光名所にもなっている。その後ろに”曙のピラミッド”が見える。ティオティワカンのピラミッドをちょこっと小さく、傾斜を少し大きくしたようなもので、これも観光資源だ。シオドアは散歩を兼ねて何度か大統領府の近くまで行ってみた。門に正装の軍服を着用した兵士が左右に2名ずつ立っているが、敷地内に出入りする車や人は軍人ではなく文民に見えた。政治家や財界人なのだろう。
 大統領警護隊の電話番号を検索したが出てこなかった。電話帳に載せていないのか。シオドアは少し焦った。無駄に雇用契約の1年を過ごしたくない。ケツァル少佐と接触して、エル・ティティの町に戻る方法を考えて欲しかったのだ。
 大学内を歩いていると、人文学の標識が目に入った。そうか! ここに手がかりがあるじゃないか!
 シオドアは考古学のリオッタ教授に接触した。イタリアから来た陽気な男だった。大統領警護隊の文化保護担当部と連絡を取りたいと言うと、気が抜けるほどあっさりと答えを教えてくれた。

「ここで働く為の諸手続きを文化・教育省でされたでしょう?」
「スィ、最初の1週間殆ど毎日通いました。」
「文化保護担当部は、そこの4階にありますよ。」
「まさか・・・」
「本当です。大統領警護隊の分室です。私も遺跡発掘調査の許可を申請する時は、あそこに行くんです。でもなかなか手強いですぞ。遺跡荒らしを物凄く警戒していますからね。」


 

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第11部  紅い水晶     14

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