2021/06/20

風の刃 2

  セルバ共和国文化・教育省はグラダ大学から歩いて10分の商店街にあった。瀟洒なビルが並ぶオフィス街ではなく、洋品店や家具屋や飲食店や書店などが並ぶ商店街だ。冗談みたいな安っぽい雑居ビルの1階がカフェとバルで、2階から上が官庁と言うお役所だった。ビルの端っこに入り口があるが、ガラス扉の向こうに机があって、日中は中年の軍服を着た女性が座っていた。この受付の女性はメスティーソで無愛想だった。来庁者が挨拶すると身分証の提示を求め、氏名をパソコンの来庁者リストに入力する。身元確認ではなく、ただ記録しているだけだとシオドアは初期の頃に気が付いていた。入力が終わると彼女は入館パスを発行し、プラスティック製のケースに入れて渡してくれる。来庁者はケースに付いたストラップでパスを首から掛ける。出る時はパスを返却する。返却を忘れたら、通路脇の部屋から男性兵士が飛んできて通りで引き止めて回収するのだ。シオドアは彼等がちゃんとアサルトライフルを足元に置いてあることを知っていた。大統領警護隊ではなく、普通の陸軍下士官だ。
 入り口の上には「セルバ共和国文化・教育省」とプレートが掲げられているが、どの部署が何階にあるのかは何処にも表示されていない。だからシオドアは書類手続きの為に通った時、何度かこの女性軍曹に場所を尋ねなければならなかった。軍曹は無愛想に階数の数字を言うだけで、それ以上の案内はしなかった。シオドアの過去の用事は全部2階の学校関係職員の部署が担当だった。給料の振り込み先登録や、職員の身分照会、住居登録、家族構成など、北米だったら半日あれば終わってしまう手続きが延々と1ヶ月かかったのだ。文化・教育省の職員は大勢いるが、いつも忙しそうだ。窓口には地方から陳情にやって来た人々や申請に来た人々が常に列を作って待っている。省内のコンピューターは数こそあれど、よく故障している。
 この日、シオドアは行くべき場所がわかっていたので、身分証を見せ、リストに署名し、入館パスをもらって中に入った。階段を上って2階を通り、3階、4階と上がった。薄暗くて幅だけ広い階段だ。明かり取りの窓があるが小さく、隣の雑居ビルが近いのであまり採光の役に立っていないし、窓拭きもされていないのかガラスが汚れていた。
 4階は2階と似た造りで、階段を上がると左手にドアのない広い空間が広がっていた。長いカウンターが役所部分と待合スペースを分けている。待合スペースはベンチが2つばかり置かれていたが、シオドアが来た時は無人だった。カウンター内部で20人ばかりの職員が事務仕事をしていた。カウンターの上にプレートが下がっており、「文化・教育省 文化財・遺跡担当課」と書かれていた。シオドアは一番近い机で写真を並べて考え込んでいる男性に声をかけた。

「文化保護担当部は何処・・・」

 男性は顔を上げずに空間の奥を指差した。その方向を見ると、最初に壁に並んだ5つのドアが目に入り、一番奥のドアの前に机が5つ固まって置かれていた。どの机も書類が山積みで、机の主のネームプレートが埋没しかかっていた。ケツァル少佐は奥のドアに背を向けて座っていた。シオドアは彼女が迷彩服でもカーキ色の軍服でもなく、襟元に小さめのフリルが付いたお洒落なコットンシャツを着て、化粧をしていたので、すぐにはわからなかった。それに彼女はやや俯き加減で、電話の相手と口論中だった。

「ですから、あの遺跡は地元のシャーマンがお祓いをする迄は立ち入り出来ないんです! 発掘する時間なんてありません。すぐに雨季が来ます。」

 物凄い早口だったので、シオドアは機関銃かと思った。

「先にアンティオワカ遺跡の警備兵の手配をさせて下さい。あそこはフランスの調査隊が既に協力金を納付してくれています。仕事をさせてあげないと、お金を払い戻す羽目になりますよ!」

 シオドアはカウンターの腰扉を通って、彼女の机の前へ行った。少佐は気が付かない。苛々とペンでノートを叩きながら電話の向こうの人と論争を続けている。遺跡発掘許可の優先順位で意見の相違があるようだ。
 シオドアは背中に視線を感じた。振り返ると、斜め後ろの席にアスル少尉がいた。こちらも清潔な白いTシャツにブルージーンズだ。私服姿だと幼く見えて学生で通る若い男だ。無言で「何をしに来た?」と訊いている。目は軍人だった。シオドアが片手を上げて挨拶したが、以前同様返礼はなかった。
 シオドアは少佐に向き直り、軽く咳払いした。少佐はまだ電話相手と格闘中だったが、彼の腰を見て、視線を上へ移動させた。シオドアはニッコリ笑って見せた。
 少佐がペンでノートにささっと走り書きして、彼の方へ押し出した。

ーーご用件は?

 シオドアは自分のペンを出して、そのノートの質問の下に返事を書いた。

ーー笛のお礼をしたい。今夜、セーナ(ディナー)はどう?

 少佐が顔を顰めた。シオドアの申し出に対してか、電話の相手の言葉に対してかは不明だった。電話に向かって、「ノ、ノ、」と繰り返し、またノートに書いた。

ーーコミダ(ランチ)

 シオドアは時計を見た。まだ昼前だ。少佐がまた書き足した。

ーーカフェテリア・デ・オラス  1300

 シオドアはO Kと書いて彼女に見せた。少佐が頷いたので、彼はそこを離れた。アスルにバイと言ったら、やっぱり無視された。歩きながら他の机のプレートを見た。A・マルティネス、C・ステファン、M・デネロスとあった。アスルは Q・クワコ だった。少佐は・・・と振り返ると、彼女のプレートは書類でよく見えなかった。
 階段を下りながら考えた。マルティネス、ステファン、デネロスはスペイン系の名前だ。クワコはいかにも先住民の名前らしい。アスル(青)の本名がクワコなら、ロホ(赤)中尉も本当の名前があるのだろう。ネームプレートが見当たらなかったが、ロホの席はここにないのだろうか。

 

 

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第11部  紅い水晶     22

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