2021/06/20

風の刃 4

  カフェテリア・デ・オラスは文化・教育省が入っている雑居ビルの一階にあった。役所の職員食堂みたいな位置だが、一般の客もいた。シオドアが席に着いて5分もしないうちにケツァル少佐がやって来た。時間にルーズな人が多いセルバ共和国では珍しい。多分、軍人だからだろう、とシオドアは思った。
 少佐はシオドアがまだ何も注文していないと見てとるや、テーブルに向かって歩きながらタコス料理を2人前オーダーした。彼の希望は全く訊かなかった。椅子に座ると、彼の顔をやっとまともに見た。

「こちらへはお仕事ですか?」
「スィ。大学で1年間講師をすることになった。」

 シオドアは本名を教えることも兼ねて大学の身分証を出して見せた。少佐がそれを手に取って眺めた。本物かどうか見ているのだ。シオドアは苦笑した。そして昼食に誘った理由を思い出した。

「俺の助手のデイヴィッド・ジョーンズを助けてくれて有り難う。メキシコから送られて来た新しい笛を吹いて、ジョーンズは正気を取り戻した。事件を起こした時は心神耗弱状態だったから、傷害に関しては無罪だ。だけど、民事的には、彼は被害者に治療費を払わなければならない。少年を刺したことは事実だからね。彼は病院が再発しないと判断する迄は観察入院だ。研究所は彼を解雇するかも知れないが、俺は彼をバックアップしてやりたい。俺が記憶を失って研究所に戻ってから、一番親身になって接してくれた人なんだ。」

 少佐はシオドアが記憶を失う前に何をしていたのか、訊こうとしなかった。何故セルバ共和国に来ていたのかも訊かなかった。興味がないのか、セルバ人の礼儀なのか、シオドアには判断がつかなかった。わかったことは、少佐が目の前のタコスに夢中になっていることだけだ。彼女はいつも食べ物を美味しそうにモリモリ食べる。
 シオドアが一息つくと、初めて彼女がコメントした。

「大事なお友達なのですね。」
「今はね。研究所の人々の話を聞いていると、記憶を失う以前の俺は、友達がいない、他人を思い遣ることもしない駄目人間だったらしいよ。」

 彼女が顔を上げて彼を見た。

「そうは見えませんけどね。」

と嬉しいことを言ってくれた。照れ隠しに彼は笛の話へ転向した。

「呪いを解く方法を見つけてくれて有り難う。」
「私は何もしていません。」

 少佐は指に付いたサルサソースを舐め取った。シオドアは一瞬前足を舐める猫が見えた様な気がした。瞬きしていると、少佐が続けた。

「知り合いの骨董品業者に笛を渡してメキシコへ行かせただけです。彼の荷物に入っていた盗掘品を目溢しする条件で。」
「君も強かだなぁ。」

 シオドアは笑った。

「だけど、その人は呪いをかけた人間を知っていた訳だ。」
「笛の作者を知っていたのです。神様からもらった能力をつまらないことに使ってはいけない、と彼が注意すると、相手は呪いを解く笛をくれました。」
「呪いをかけた笛はどうなったんだろう?」
「作者が壊しました。そうでなければ、貴方のお友達は正気に帰れません。」

 それを聞いてシオドアは安心した。またあの笛が何処かで誰かに売られても助ける人はいないだろうから。

「君の仕事は忙しそうだね。」
「雨季が近づいていますから、遺跡調査の駆け込み申請が増える季節なのです。」
「今から許可を出しても、調査開始前に雨季は来るだろう?」
「今申請が出されている調査計画は、雨季が終わった後のものです。」
「・・・って、それは5、6ヶ月先の話か?」
「スィ。」
「今朝、君が電話で話していた遺跡は、この雨季の前に発掘したがっている人がいるってことかな?」
「スィ。」
「だけど期間が短すぎるので、君は別のグループの別の遺跡調査を優先させたい?」
「スィ。我が部の仕事は、発掘調査隊の護衛と監視です。調査開始が決定した遺跡に、大統領警護隊に割り当てられている陸軍の小隊を派遣させます。決定が遅くなれば、小隊の準備も遅くなり、兵士に負担をかけます。ですから、順位の割り込みは許せないのです。」
「調査隊の護衛と監視?」
「ジャングルには反政府ゲリラがいます。砂漠には野盗がいます。」
「ああ・・・」

 そう言えば、ゴンザレス署長もよくゲリラの警戒や追跡に駆り出されるとこぼしていたっけ。

「監視は、調査隊が遺跡の彫像や出土品を国外へ持ち出さないよう見張ることだね?」
「スィ。どこの国でも同じ問題を抱えています。」

 大統領警護隊文化保護担当部は特別な仕事をしているのではない、と言いたげに少佐はシオドアを見た。

「陸軍の小隊を指揮するの?」
「遺跡1箇所に1小隊と指揮官1名を派遣します。指揮官は文化保護担当部の仕事です。」
「じゃぁ、君も行くことがあるんだ。」
「部下が全員出払った時は。」
「遺跡で神様の呪いとか祟りに遭ったことはある?」

 少佐が不機嫌な顔をした。あまり大ぴらにしたくない話題なのだ、とシオドアは悟った。

「ご免、神様の話はあまり人前でするものじゃないな。」
「多くの人は、不思議な体験をしてもすぐ忘れます。でも・・・」

 少佐は何か言いたそうにしたが、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ様子だった。

「貴方は不思議な人ですね。貴方のご家族も皆んな同じですか?」
「家族なんていないんだ。俺は・・・親も兄弟もいないんだよ。」

 それはきっと事実だ。しかし詳細を語りたくなかった。遺伝子組み替えで創られた合成人間だと思われたくなかった。少佐がちょっと哀しそうな表情を浮かべて、声を和らげた。

「私も生まれてすぐに母親を亡くしました。父親はいません。」
「君は孤児だったのか・・・」
「孤児でしたが、養い親はいますし、彼等に愛されて育ちましたから寂しくはないですよ。」

 彼女は悪戯っ子の笑を浮かべた。

「貴方は私の養父に会っていますよ。」
「君の養父?」
「駐米セルバ大使フェルナンド・ファン・ミゲールです。」

 え? とシオドアは耳を疑った。

「ええ?!」
「私は公式にはミゲール少佐です。ケツァルが本名で、皆んなケツァルと呼びますけどね。」
「彼は白人だよね?」
「外観は白人です。4分の1先住民のメスティーソです。」
「裕福そうだ。」
「農園主で貿易商です。」
「少佐、もしかして、君は富豪のお嬢様なのか?」
「世間の目から見れば、そうでしょうね。でも現在の生活費は大統領警護隊の給料だけです。」
「養父が富豪だったら、外国にも行ったことがある?」
「スィ。義父はイタリアとスイスに別荘を持っています。養母はスペイン人で、彼女も夏休みになるとスペインの実家に私を連れて行ってくれました。」
「もしかして、君は英語を話せる?」
「スィ。フランス語、ドイツ語、イタリア語も話せます。」
「だけど、俺がアメリカ人だとわかってもスペイン語で話している・・・」
「貴方がスペイン語を使うからです。」

 シオドアは笑ってしまった。ケツァル少佐ほどポーカーフェイスの上手い人は見たことがない。それとも先祖の話はタブーと言うこの国の国民性なのだろうか。


 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ケツァル少佐、シオドアに結構プライベイトな話をしている。
彼女が彼を気に入った証拠。

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