2021/06/25

風の刃 21

 シオドアが今夜はケツァル少佐の家に招かれていると言うと、シュライプマイヤーがあからさまな嫌な顔をした。彼はセルバ人が嫌いだった。感情を表に出さない先住民のセルバ人はもっと嫌いだった。それが軍服を着ていたりすると、本当に嫌いだった。しかしシオドア・ハーストは記憶を失う前同様にボディガードの意見を無視して、ワインと花束を買って、午後6時に文化・教育省の前に立った。ボディガードの2人は車で待機だ。
 時間にルーズなセルバ人も仕事終わりの時間はしっかり守る。午後6時になると、雑居ビルから職員達が一斉に帰宅するために出てきた。4階の人々も少し時間差を置いて出て来た。ケツァル少佐とアスルことクワコ少尉も出入り口の番をしている軍曹に敬礼で挨拶をして出て来た。シオドアがカフェの入り口近くで立っているのを見て、少佐がポケットから鍵を出してアスルに渡した。アスルが雑居ビルの間の路地へ走って行った。
 自宅に帰るだけの少佐はお洒落をしていなかった。通りの向こう側に駐車しているボディガードの車を見て、

「彼等の食事は用意していませんよ。」

と冷たく言った。シオドアは構わないよ、と言った。どうせそんなことだろうと思ったので、シュライプマイヤーに夕食は自分達で何とかしろよと言ってあった。
 アスルがベンツを運転して戻って来た。GクラスのSUVだ。シオドアは後部席に乗った。少佐が隣に乗ってくれるかと思いきや、彼女は助手席に座った。
 少佐のアパートは職場と大統領府を挟んだ反対側で、車で10分ばかり走った住宅地にある高級コンドミニアムだった。車寄せにベンツを乗り入れたアスルは、少佐とシオドアが降車すると地下の駐車場へ走り去った。シオドアは夕暮れ時の高層ビルを見上げた。

「一戸建てに住んでいると思った。」
「軍の給料では買えません。」
「ここの家賃も馬鹿にならないだろう?」

 少佐は意味深な微笑みを浮かべただけだった。キーボードパネルでガラス扉を開き、2人は中に入った。アスルは暗証番号を知っている筈だが、シュライプマイヤー達は入って来られない。
 2人はエレベーターで7階迄上がった。メスティーソのメイドが出迎え、シオドアは綺麗なダイニングルームに案内された。シェリー酒を出されたところで、ドアチャイムが鳴り、メイドに案内されてアスルが入室した。
 料理は セビーチェ で始まった。中南米の生魚料理だ。アスルは好物なのか、機嫌が良かった。シオドアは赤ワインを土産に持って来たので、魚を見た時にしくじったかなと思ったが、次の皿はコシードで、豚肉の塊を切り分ける役目をもらった。

「腕の良いコックを雇っているんだね。」

とシオドアが褒めると、少佐が、カーラに伝えておきます、と応じた。アスルが口元を拭いながら言った。

「貴方のお陰だ、ドクトル。普段は煮豆しか出ない。」
「お黙り、アスル。」

 シオドアは笑った。

「オクタカスのベースキャンプでも毎日豆だったよ。でも、研究所で食べた食事よりずっと美味かった。」

 2人のセルバ人の視線に気がついて、彼は腹を決めた。

「俺の本当の身の上を話すよ。まだ記憶が戻らないし、一般の人には俄かに信じられない内容だけど、俺は実際に向こうで見たし、聞かされた。俺は、複数の人間の遺伝子を分解して組み替えて創られた人間なんだ。場所は・・・ミゲール大使が知っている。陸軍基地の中にある国立遺伝病理学研究所で、優秀な頭脳を持つ人間や、強靭な肉体を持つ人間の開発をしている所だ。俺はそこで生まれた20人ばかりの子供の1人だ。20人の中の3人だけが残されて研究所で特別教育を受けて、次世代の遺伝子組み替え研究をする為の科学者として育てられた。」

 一気に喋った。まるで映画や小説の中の話だ。だが、不思議と彼には確信があった。このセルバ人達は俺の言葉を信じる。何故なら、彼等自身が常識では考えられない人々である可能性があるから。

「俺が何をしにセルバ共和国に来て、バス事故に遭ったのか、誰にもわからない。俺はある日突然何かを探しに出かけたそうだ。アンゲルスの邸から米軍のヘリコプターで研究所に連れ戻されてから、俺は俺が何者なのか探っていた。だけど、何もわからない。記憶を失った俺を警戒して研究所が何か重要なことを隠した可能性もあるし、俺が他人に自分の研究を見せたくなくて隠した可能性もあるんだ。俺は研究所に馴染めなかった。生まれ育った場所だと言われたが、記憶喪失の俺にはどうしても好きになれない場所なんだ。セルバに戻りたくて、セルバに来た理由を探していたら、資料の中である遺伝子情報を見つけた。」

 シオドアは、オルガ・グランデのアンゲルス鉱石が健康診断と称して従業員から採取した血液を研究所に売却していたことを語った。そのサンプルの一つ、「7438・F・24・セルバ」の遺伝子情報の特異性も語った。

「脳を形成する時の情報だけど、俺にはその遺伝子を持っている人間が、他の人間とどう違うのか想像がつかなかった。今でもつかない。だから、昔の俺は、それを確かめに、”7438・F・24・セルバ”の遺伝子の持ち主を探しに行ったのだと思う。」
「探して、どうするつもりだった?」

とアスルが尋ねた。彼はシオドアの手土産のワインが気に入ったらしく、3杯もお代わりしていた。未成年じゃないのか、こいつ・・・?
 シオドアは彼に殴られるかも知れないと思いつつ、真実を明かした。

「試しに、俺自身の遺伝子と比較したんだ。そうしたら、2人の遺伝子はよく似ていた。」

 少佐がグラスを取って、残っていたワインを飲み干した。

「貴方とそのサンプルの人は同類だと?」
「わからない。だが、俺のオリジナルの遺伝子を提供した人々が誰なのか、俺は資料を持っていない。見ることを禁じられているんだ。だから・・・もしかすると、俺はそのサンプルの人が親の1人、又はその親族かも知れないと思って会いに行ったのかも知れない。」
「まさか、俺達に、その人物を探せと言うんじゃないだろうな?」

 アスルの言葉に、シオドアははっきりと首を振った。

「そんなつもりで来たんじゃない。さっきも言った通り、俺は研究所が嫌いなんだ。連中は人間をモノ扱いしている。俺は兵器ではないし、人間兵器を作る気もない。だが、これは国家機密の研究だ。わかるだろう?」

 少佐とアスルが互いの目を見合った。まただ、とシオドアは思った。彼等は目で会話をしている。彼は今夜相談したい核心にやっと入った。

「研究所は、俺が死なない限り、俺を自由にはしてくれない。だけど、俺はエル・ティティの町で暢んびりと代書屋をしていたいんだ。ゴンザレスと一緒に暮らしたいんだ。だから、研究所に、”7438・F・24・セルバ”を探しに行くと行って、今回のグラダ大学の職を世話してもらった。本当は、サンプルの人はもうどうでも良い。俺はこの国の人間になりたい。どうすれば良い?」

 少佐が彼を見た。

「貴方は、そのサンプルの情報を研究所に話したのですね?」
「スィ。だけど、誰もその遺伝子情報が何を意味するのか、わかっていない。だから俺に、サンプル提供者を探して来いと渡航許可をくれたんだ。」
「貴方が政府機関の研究所で創られた人間であるならば・・・」

 少佐が冷めた目をした。

「アメリカ政府はどんな手段を使ってでも、貴方を取り戻そうとするでしょうね。」


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