2021/06/25

風の刃 20

  シオドアはそれから1週間大学で真面目に講師業に勤しんだ。オクタカスで採取した人間のサンプルは高温と多湿で駄目になっていたが、植物標本は無事だったのでそれを使って学生達に都市部で見られる同種の物とのDNA比較をやらせた。考古学関係の人々からの接触はなかった。オクタカス遺跡の発掘を行なっていたフランス隊はグラダ大学に出土品を預け、フランスへ一時帰国してしまった。負傷者を出したので、本国の大学やスポンサーに説明しなければならないのだろう。
 リオッタ教授からも連絡がなかった。一度セルバ国立民族博物館の近くで彼を見かけたが、声をかける前に教授は博物館に入ってしまった。
 講義がひと段落ついた日、シオドアは文化・教育省を訪問した。シュライプマイヤーがついて来たが、入り口の女性兵士は拳銃を持っているボディガードの入庁を拒否した。

「1階のカフェで待っていてくれ。役所の中に暴漢がいるとは思えないから。」

 シオドアはボディガードを宥めて、雑居ビルのお役所に入った。提出日が過ぎていたが、首都から出た外出届けを出すと受理された。いかにもセルバ的ルーズさだ、と思ったが黙っていた。必要な用事が5分で終了したので、彼は4階の文化保護担当部へ上がってみた。
 ケツァル少佐の姿は見えなかった。アスルが1人で机に向かい、パソコンのキーを叩いていた。シオドアは大学の職員証を近くの職員に提示し、カウンターの中に入った。深いグリーンのTシャツにジーンズ姿のアスルはシオドアの教え子達と変わらない若さだった。軍服を着ると大人びて見えるのにな、と思った。視線を感じて、アスルが顔を上げた。シオドアは挨拶した。

「コモ エスタ?」

 アスルは返事をしてくれたことがなかった。しかし、この日は違った。

「ビエン。」

と短く答えて、再び仕事に戻った。シオドアは A・マルティネスのプレートが載った机の椅子に座った。ロホの席だ。机の上は書類が山積みだった。首を回して横を見ると、C・ステファンの机も発掘作業が必要な程書類に埋もれていた。こ綺麗に整頓されたM・デネロスの机は小さな花を生けた花瓶が載っていた。デネロスは女性だな、と気がついた。ロホが言っていた大学生の少尉はこの机の主のことに違いない。
 少佐の机も書類が積まれていたが、空きスペースに湯気が立つコーヒーカップが載っていた。少佐はいるのだ。シオドアは思い切ってアスルに声をかけた。

「少佐はすぐ戻るのかな?」

 アスルは答えずに、キーボードを叩きながら首を傾げた。忙しいのか口を利きたくないのか、どっちだろう。その時、奥のエステベス大佐とプレートが掲げられているドアが開いた。書類バサミを抱えたケツァル少佐が出て来た。ドアを淑女らしからず足で閉めると、自分の机の前に腰を下ろし、書類を机の上に投げ出した。フーッと息を吐いて、カップを手に取った。そしてシオドアと目が合った。彼が先に声をかけた。

「コモ エスタ?」
「ビエン。」

 少佐はコーヒーを口に入れた。何用かと訊かない。そのまま書類に目を落とした。シオドアは無視されることに慣れていない。立ち上がって彼女の前に行った。

「挨拶が遅れたけど、面白い旅をプレゼントしてくれて有り難う。遺跡の発掘に立ち会ったのは初めての経験だったし、”サラの審判”もマジ迫力ある体験だった。」

 先に反応したのは、少佐ではなくアスルの方だった。キーボードから顔を上げてシオドアを見た。少し遅れて少佐が呟いた。

「間違っています。”風の刃の審判”です。」
「え? 何?」

 少佐がそれ以上言わないので、アスルが解説した。

「サラは裁判を行う場所だ。貴方が言ったものは、場所ではなく、起きたことだろう?」
「スィ。爆風みたいな現象に出くわした。」
「天井から落とした岩の欠片がどっちへ跳ぶかで、有罪無罪を決めたのだ。昔の人はそれを風が判定すると考えた。だから、”風の刃の審判”と言う。」

 ああ、そうなのか、とシオドアは素直に納得した。アスルにグラシャスと言うと、若い少尉は無言でまた仕事に戻った。
 シオドアは主人がいない机を見た。

「ロホとステファンの2人の中尉はまだ戻らないのかい?」
「後片付けがありますから。」

 やっと少佐が彼を見てくれた。

「何の御用です?」

 シオドアは躊躇った。プライベートな要求を相談に来たのだ。文化保護担当部の横には、文化・教育省の職員達が大勢いて仕事をしている。

「個人的な相談をしたい。力になってくれないか? 図々しいとは思う。だけど、君しかこの国で頼りになってくれそうな人はいないんだ。」
「をい・・・」

 とアスルが手を止めて声をかけて来た。シオドアの図々しさに明らかに気分を害したのだ。椅子から腰を浮かしかけたのは、シオドアをカウンターの外に叩き出そうと思ったからに違いない。しかし、ケツァル少佐が暢んびりと言ったので、腰を下ろした。

「個人的なお話はオフの時間にお聞きします。今夜は空いていますか?」

 またデートだ! シオドアは相談内容は別として、このお誘いに心が弾んだ。

「空いている。何時に何処で?」
「1800にこの下で。」

 彼女は部下に顔を向けた。

「アスル、貴方も空いていますか?」
「スィ。」
「では、私のアパートで一緒に食べましょう。」

 デートだと思っただろ? そうは問屋が卸さないぞ、と言いたげなアスルの目に、シオドアは内心チェっと舌打ちしていた。



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