2021/06/24

風の刃 19

 火曜日、シオドアはボディガードのシュライプマイヤーとリオッタ教授と共にオクタカスを出発し、来た道を逆に辿ってグラダ・シティに帰った。到着した時は夕方で、大学は既に閉まっていた。彼は教授と別れ、ボディガードを連れてアパートに帰った。もう1人のボディガードは1人でお気楽な週末を過ごしたらしい。シオドアは散らかった室内を見回し、家政婦が来るのは何曜日だったかな?と考えた。結局リビングと己の寝室だけは片付けることにした。
 前日から片付けばかりしているな、と思いつつ、 彼は床に掃除機をかけた。シュライプマイヤーは早めに休ませ、夕食は冷凍食品を温めて済ませた。シャワーを浴びて、寝室に入ると、ベッドに寝転び、直ぐに眠りに落ちた。
 翌朝、シオドアは朝食を取ると直ぐに大学へ出かけた。研究室の遺伝子分析装置の中に入れておいた紙ナプキンの破片を取り出し、分析結果を見た。画面は真っ白だった。装置が壊れたのかと慌てた。スイッチを入れ直してみたり、己の髪の毛を置いてみたりした。装置は正常に動いた。ケツァル少佐が使った紙ナプキンの分析だけが失敗していたのだ。
 それならば、と彼はオクタカスで採取した物を出した。作業員達のタバコの吸い殻や、鼻をかんだ紙屑やらだ。平均的なセルバ人のDNAがわかるだろうと期待したが、これも分析出来なかった。気温と湿度でDNAが破壊されていた。冷蔵庫を使えなかったのが敗因だ。
 セルバ共和国は意地悪だ。
 彼はそう感じて、自嘲した。俺はこの国に何をしに来たのだ? 鉱山労働者のDNAを採取すると言う目的は、母国から出る口実に過ぎない。俺はこの国に住むための手段を探しに来ているのじゃないのか?
 シオドアは電話を出した。迷ってから、エル・ティティ警察署にかけた。聞き覚えのある声が聞こえた。若い巡査だ。シオドアが退院して署長の家に引き取られた時、毎日やって来て、リハビリの散歩に付き合ってくれた。

「ヤァ、ホアン!」

 名前を呼ぶと、向こうは、何方? と尋ねた。

「テオドール・アルストと言います。以前は、ミカエル・アンゲルスと呼ばれていました。」

 全部言う前に、ホアンが叫んだ。

ーーミカエル?! 君か? 元気だったか?
「スィ、元気です。君も元気そうですね。」
ーー署の連中は皆んな元気さ。会計士も元気だよ。
「署長は・・・」
ーー代わるから、待って!

 シオドアは胸がドキドキして倒れそうな気分になった。この国に住む権利を獲得してから電話しようと思っていたが、もう我慢の限界だった。
 電話の向こうから太い声が聞こえてきた。

ーーゴンザレスだ。
「親父さん・・・」

 精一杯勇気を振り絞って声を出した。ゴンザレスが一瞬息を呑んだ気配がした。

ーーミカエル?
「スィ、本当の名前はテオドール・アルストって言います。」
ーーテオドール・アルスト・・・
「テオでいいです。子供の時からそう呼ばれていたみたいだから・・・。」
ーー家族が見つかったのか・・・
「家族なんていませんでした。」

 ゴンザレスが沈黙した。シオドアは本当のことはまだ言えないと気がついた。己は今厄介な立場にいる。エル・ティティの人々を巻き込んではいけない。

「今は詳しいことを言えません。だけど、必ずエル・ティティに帰ります。」
ーー今、何処にいるんだ?
「グラダ・シティです。国籍はUSAです。1年間の契約で、グラダ大学で働いていますが、北米での問題を片付けたら、必ずセルバ共和国に戻って来ます。だから、もう少し待っていて下さい。恩返しさせて下さい。」

 ゴンザレスが深い息を吐き出す音が聞こえた。

ーー俺はお前が元気でいてくれたら良いんだ。
「北米に俺を待っている人なんていなかったんです。俺はエル・ティティが故郷だと思っています。」
ーーテオって言うんだな?
「スィ。テオです。」
ーー待っている。いつでも気軽に帰って来い、テオ。

 通話が切れた。シオドアは携帯電話を抱きしめた。どうすれば、研究所と縁が切れる? どうすればこの国の市民権を取れる? 

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