2021/06/29

アダの森 3

  ”赤い森”はかつて小作農民や低所得層労働者が支配階級に抵抗し、人権救済を求めて組織した政治団体だった。だがまとまりの悪い組織で、結成されて数年も経たぬうちにゴロツキの集団と化した。銀行強盗、トラック襲撃、外国人誘拐で資金を集め、民衆の支持を失い、革命思想から頓挫した。今は市民から忌み嫌われる存在だ。セルバ共和国政府軍は彼等を何度か追跡し、アジトを襲撃したが、いつも幹部に逃げられた。巷の噂では、”ヴェルデ・シエロ”の血を引くメンバーがいるのではないかと囁かれていた。ジャングルの中を縦横無尽に移動し、神出鬼没のゲリラ活動に、官憲は手を焼いていたのだ。しかし国防大臣は大統領警護隊に協力を求めなかった。協力を要請しても拒否されることはわかっていた。”国家の存亡に関わる問題”ではないからだ。
 シオドアは頭から目隠しの袋を被されて森の中を歩かされ、”赤い森”のキャンプに連れて行かれた。感覚では半日歩いた気分だった。色々と障害物を迂回したり坂を上がったり下ったりしたので、時間がかかったのだ。川を2回渡ったが、同じ川なのか川が2本あるのか不明だった。
 テントの中で袋を外された。縛られたまま箱の上に座らされ、写真を撮られた。身代金要求に使うのだ。蒸した芋と水だけの食事の間だけ、手を縛っている縄を解いてもらった。ゲリラ達はシオドアの前に来る時はスカーフで顔半分を覆っていた。カンパロだけが顔を曝していたのは、本人も有名だとわかっていたからだろう。特徴である目の下の傷痕はスカーフでは隠せない位置だ。
 日が落ちてからカンパロがシオドアが軟禁されているテントに来た。

「アメリカ政府と交渉する。」

とゲリラの頭目が言ったので、シオドアは笑った。

「無駄だよ、連中は俺なんぞに身代金を払ったりしない。」

 シオドアは政府が作った人間だ。いなくなっても悲しむ親族はいないし、救出を求める友人もいない。第一、俺がいなくなってもアメリカ国民は誰も気が付かない。俺は普通の市民ではなかったから。アメリカ政府は俺を使い捨て出来るんだ。

「お前を探してアメリカ政府のスパイどもがグラダ・シティの中を探っているそうじゃないか。」

 とカンパロが言ったので、

「誰からそんな話を聞いたんだ?」

と尋ねてみた。カンパロがニヤリと笑った。

「お前のことを教えてくれた人さ。」
「だから、誰なんだ?」

 カンパロはククッと喉の奥で笑ってテントから出て行った。
 ジャングルの奥で盗賊紛いの行いをしている連中が、どうしてCIAが俺を探しているって知っているんだ? シオドアは木箱の上に座ったまま眠る訳にいかないので地面に腰を下ろした。土の上に直に座るのは嫌だったし、毒のある生き物に噛まれたり刺されたりする危険があったが、体を休めるには地面に座って木箱にもたれかかるしかなかった。
 カンパロは外務省の人間や政府軍の幹部と繋がりでも持っているのか? それを考えて、シオドアはゾッとした。それなら”赤い森”の幹部が捕まらない理由がわかる。誘拐した外国人の身代金を交渉する窓口を何処かに持っているのだ。窓口の人間が上手く立ち回らなければ、身代金を取っても人質を殺害してしまう。窓口の人間の正体を人質が知ってしまったから? 
 ”赤い森”のメンバーに”ヴェルデ・シエロ”の血を引く者がいると言う噂は本当だろうか。カンパロのあの自信に満ちた態度は、超能力を持っているからか? 大統領警護隊文化保護担当部の隊員達からは感じ取れなかったが、”ヴェルデ・シエロ”は他人の心を読めるのではないのか? それなら”赤い森”のメンバーがCIAの情報を得られることも考えられる。まさかカンパロがその能力を持っているんじゃないだろうな。しかし、あの男はメスティーソだ。ステファン中尉が言っていた、純血至上主義者が呼ぶところの”出来損ない”だ。メスティーソに人間の心を読む力があるのか?
 シオドアは体に何かモゾモゾとした気色の悪い感触を覚えた。暗くて見えないが、何かが服の中に入って来た様だ。彼は叫んだ。

「毒虫だ、助けてくれ!」

 テントの入り口が揺れた。誰かが怒鳴った。

「静かにしろ!」
「体の上を何か這っているんだ。取ってくれ、早く!」

 シオドアの悲痛な声に、男が1人入ってきた。時代がかった石油ランプを木箱に置いて、シオドアの上体を起こした。シオドアは胸の上だと訴えた。男が乱暴に彼のシャツの前を開いた。ボタンが千切れて飛んだ。シオドアは男が大きなムカデを指で摘んで捕まえるのを呆然と眺めた。

「そんな物がテントに入って来るのか?」
「何故俺達セルバ人がハンモックで寝るのかわかっただろう。」

 男はムカデをシオドアの顔にわざと近づけ、彼が怯えるのを見て笑った。そして片手にムカデ、片手にランプを持ってテントから出て行った。
 ドサっと大きな物が倒れる音がした。何だろう? シオドアはテントの出入り口を見て、次の瞬間凍りついた。
 大きな獣が見えた。黒い影がテントに入って来た。シオドアは口を開けたが悲鳴は出なかった。上げたかったが声が出なかった。必死で頭を回転させた。動かない方が良い、じっとしていろ、シオドア・・・
 獣が足音もなくテントの中を歩き、シオドアの横に来た。シオドアは目だけ動かしてその動物を見た。大きな頭、小さな耳、半開きの口から見える鋭い牙・・・獣が前足を上げてシオドアの背中を押した。シオドアは無言のまま体を折り曲げた。どうするつもりだ? 手に硬い物が触れてそれが牙だと悟った時は、また悲鳴を上げそうになった。手首が引っ張られた。獣は彼の手首ではなく、縛っている縄を引っ張ったのだ。ググッと2度3度引っ張られ、突然両手が自由になった。
 獣は直ぐに彼から離れ、テントの出口へ向かった。外を伺い、振り返った。

 「来い」と言っているのか?

 シオドアは立ち上がった。獣は彼がそばに来ると、一気にテントの外へ走り出した。シオドアも後に続いた。テントのすぐ脇で男が1人倒れていた。地面に転がったランプから漏れた油に火が点いている。もう直ぐテントに油が流れ着く。
 シオドアは獣の後をついてジャングルの中に走り込んだ。背後のキャンプで人の声が聞こえたが、振り返らなかったし、立ち止まらなかった。脚を木に引っ掛け、枝で額を打ったが、ひたすら走った。獣はしなやかに夜の闇の中を走って行く。途中で立ち止まる時は、彼がちゃんとついて来れているか確認している様子だった。
 これは虎か? 否、違う、斑紋が月明かりで見えた。豹? 南米の豹? 
 シオドアは目の前を走る美しい獣に魅了された。これはジャガーだ。太古からこの地で神と崇められてきたジャガーだ。

 俺は今、神に導かれている。


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Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

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