2021/06/28

アダの森 2

  夕刻、セルバ共和国の首都グラダ・シティにある雑居ビルに入っている文化・教育省の4階の電話が鳴った。職員はほとんど退庁しており、最後迄残っていた男性職員と大統領警護隊文化保護担当部の指揮官ケツァル少佐の2人が帰宅しようと立ち上がったところだった。男性職員は一瞬少佐を見たが、目を合わせる前に慌てて電話に出た。

「文化・教育省・文化財・遺跡担当課・・・」

 ケツァル少佐はショルダーバッグを肩に掛けた。どうか電話がこっちへ回って来ませんように。

「スィ、私がミゲールです。え? 女性のミゲール?」

 少佐は早く帰ろうと歩きかけた。ミゲール氏が彼女の机の上のネームプレートを見た。彼女とは決して目を合わさない。大統領警護隊との付き合い方ルールその1だ。

「文化財・遺跡担当課に女性のミゲールはいません。」

 頼むから、こっちへ回してくれるな、と少佐は心の中で願った。私の目を見ろ。私はいない。
 ミゲール氏は彼女を見ない様に努力しながら言った。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐ならおられますが?」

 馬鹿者! なんでそれを言うかな? 

 ミゲール氏が電話の転送ボタンに指を置いた。

「ケツァル少佐、5番にお電話です。」

  少佐の机の電話が鳴った。ケツァル少佐はバッグを机の上に置いて、電話に出た。

「大統領警護隊文化保護担当部、ミゲール少佐・・・」
ーーセニョリータ、ラ・パハロ・ヴェルデの少佐?

 中年の男の声が聞こえた。ケツァル少佐は声の主を思い出せなかったが、向こうは安堵した様子だった。

ーーやっと捕まった! もう半時間も電話をたらい回しされたんだ。
「何方様?」
ーーエル・ティティ警察署長のゴンザレスです。

 少佐は小さな田舎町を直ぐには思い出せなかった。遺跡があれば忘れないのだが。ちょっと沈黙していたら、ゴンザレス署長が早口で言った。

ーー助けて欲しい。テオがゲリラに攫われちまった!
「テオ?」
ーーテオドール・アルスト、貴女がエル・ティティに来られた時は、ミカエル・アンゲルスって名乗ってた。

 ああ、とやっと思い出した。一月以上前に、アメリカ政府を怒らせ、一族の長老達を怒らせ、セルバ共和国の裏の世界を引っ掻き回して行方をくらませた男だ。本人が望み、大統領警護隊文化保護担当部の隊員達も身の安全の為に、その存在を忘れた男だ。本人の希望通りにエル・ティティに行ったのか。ゴンザレスと再会出来たのか。しかし・・・なんですって?

「ドクトル・アルストがゲリラに攫われたと仰いました?」
ーースィ、セニョリータ。今朝、川に洗濯に行ったきり帰らないんで、巡査を迎えに遣ったら、洗濯物と手紙が残っていた。ミゲールに連絡を、って書いてあった。だから、貴女を探していた。貴女が私にくれた名刺に、ミゲールって書いてあっただろ?

 ケツァル少佐は溜息をついた。あのアメリカ人は何処まで騒動を引き起こすのだ?

「ゲリラは政府軍の担当です。オルガ・グランデ基地に連絡なさっては?」
ーーそんなことをしたら、テオがここにいることがアメリカ政府に知られてしまう。

 つまり、エル・ティティ警察は首都警察が全国に手配した行方不明のアメリカ人を隠していた訳だ。
 ゴンザレスが訴えた。

ーーテオは、大学の仕事をほっぽり出して私の所へ来てくれた。息子同然なんだ。カンパロなんぞに殺させたくないんだ。

 ケツァル少佐の頭の中で警鐘が鳴った。 カンパロ?

「今、貴方はカンパロと言いました?」
ーースィ。ティティオワ山周辺を縄張りにしている反政府ゲリラだ。実態はただの誘拐ビジネスで稼ぐ山賊だがね!
「ゲリラの頭目は、ディエゴ・カンパロなのですね?」
ーースィ、セニョリータ。テオを助けてやってくれるか?
「努力します。通報を有り難う。」

 ケツァル少佐は電話を切った。既にミゲール氏は帰宅していた。
 少佐は数秒間考え、携帯電話を出した。部下の携帯にかける。相手はまだ運転中なのか、すぐには出なかった。彼女が一旦切ると、5秒後に相手からかかってきた。少佐は直ぐに出た。

「ケツァルです。」
ーーステファンです。何か?
「ティティオワ山へ行きます。同行を命じます。」
ーー今夜ですか?
「スィ。」
ーー1時間後に本部へお迎えに上がります。
「よろしく。」


 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

読者が忘れるといけないので・・・
少佐の名前は シータ・ケツァル・ミゲール。

第11部  紅い水晶     19

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