2021/06/29

アダの森 4

  鳥の囀りでシオドアは目が覚めた。朝だ。狭い窓から朝日が差し込んでいる。彼は体を起こした。四角い石に囲まれた空間だった。屋根がある。下は石畳だ。壁を形成している石はきちんと四角く整えられていた。出口は小さいが縦長の長方形だ。牢獄ではなさそうだ。シオドアは引っ掻き傷だらけの自身の腕や脚を見た。シャツの前は開いており、ボタンがなくなっている。胸にも枝で付いた傷があった。
 昨夜の出来事は夢ではなかった。彼はジャガーに導かれ、急斜面を上り、ジャングルの中の廃墟に隠れたのだ。ジャガーは石の小屋の前で立ち止まり、彼の顔を見て、小屋を見た。入れと言われている、と感じたシオドアは素直に小屋に入った。それっきりジャガーを見ていない。疲れていたシオドアはそのまま眠ってしまったのだ。
 喉が渇いていたので、シオドアは小屋から出た。昨夜は暗かったので、どんな場所だかわからなかったが、石で出来た建造物が深い草に覆われた斜面にポツポツと顔を出しているのが見えた。遺跡だ。神殿や道路の様な物は見当たらなかった。シオドアが寝ていた小屋と同規模の同型の物が10ばかりあるだけだ。下の方にはテラス状の土地が数段あり、その下にジャングルが広がっていた。昔の村の跡地か?遺跡は白い霧で包まれていたが、斜面の下の風景は見ることが出来た。 
 ふと横を見ると、迷彩服の男が1人近づいて来るところだった。アサルトライフルを腰だめで撃てる形に持って草の中を足音を立てずに歩いていた。胸に緑色の徽章が光った。シオドアは一気に緊張を解き、石壁にもたれかかった。

「ブエノス・ディアス、ロホ。」

 シオドアが挨拶すると、向こうも挨拶を返してくれた。

「ブエノス・ディアス、テオ。」

 そばに来ると、ロホが腰から小さな水筒を外して渡した。シオドアは夢中で中の水を飲んだ。ロホが彼の全身を眺めた。

「昨夜は無理をさせてしまいましたね。しかし、あのまま貴方をあそこに置きたくなかったのです。」

 シオドアはびっくりして水筒を持つ手を下げた。

「何のことを言ってるんだ? 俺はジャガーに助けられて・・・」

 彼はそこで言葉に詰まった。彼を見つめているロホの目がいつもと違っていた。金色の眼球に細い縦長の瞳孔。白目の部分がない。まるで猫の目みたいだ。
 ロホがそばの壁にもたれかかった。疲れ切っている。それでも彼はシオドアに言った。

「ここはまだ奴等に知られていません。知っていても近づくのを嫌がる筈です。」
「遺跡だからかい?」
「遺跡と言うより、棄てられた死者の村です。疫病が流行ったので、住人が村を捨てて他所へ引っ越したのです。」
「君はここを知っていたんだね。」
「この山の反対側にあるディエロマ遺跡調査隊の護衛を指揮したことがあります。その時に山の周辺を調べたのです。」
「この山はティティオワ山だよね?」
「南斜面です。北側にディエロマ、東にエル・ティティ、西の斜面を降ればオルガ・グランデです。」
「君は何処から来たの? まさか、1人で俺の救助に来た訳じゃないよね?」

 ロホは困ったと言う表情をした。

「オルガ・グランデ基地で司令達と雨季明けの発掘調査の護衛隊を編成する相談をしていました。そこへケツァル少佐から、貴方がカンパロに誘拐されたと連絡が入りました。」

 少佐から? シオドアは一瞬心が弾んだ。彼が洗濯場所に置いた手紙を、ゴンザレス署長は正しく解釈して、政府軍ではなく、州警察本部でもなく、大統領警護隊文化保護担当部に連絡してくれたのだ。

「少佐が君に俺の救出を命じてくれたんだ!」
「ノ、違います。」

 ロホは申し訳なさそうに説明した。

「少佐は、昨夜グラダ・シティを発たれました。私は貴方が連れて行かれた場所を特定せよと命じられただけです。」
「つまり・・・救助の下見?」
「そうです。」
「もしかして、彼女はまだ車の中・・・とか?」
「スィ。」

 セルバ共和国では夜間航空機を飛ばさない。山が高く乱気流が発生しやすい地形と、古い航空機の性能の脆弱さ故だ。外国から来る航空機は海側から来る。国土上空を横断するのは昼間だけだ。
 シオドアは頭を掻いた。

「救助の下見に来て、うっかり救助しちゃった訳だ・・・」
「スィ。」
「有り難う。」

 ロホの肩に手を置いた。振り返ったロホの目は黒い人間の目になっていた。

「昨夜のジャガーは君だったんだね?」

 スィ、と答えてしまってロホはちょっと狼狽えた。

「信じられないでしょう?」
「信じるさ。」

 シオドアは微笑んで見せた。

「だって、あのジャガーは人間みたいな行動を取ったんだ。それにさっきの君の目はジャガーの目だった。」

 ロホが慌てて手で目を覆った。その仕草が可愛らしかったので、シオドアは笑った。

「もう人間の目に戻っているよ。」
「貴方は本当に不思議な人です。」

 ロホが彼らしい優しい表情で彼を見た。

「我々を怖がる人の多くは、ジャガーに食い殺されないかと心配するのです。我々のナワルがジャガーであると言い伝えが残っているからです。でも貴方はジャガーを見ても怖がらなかった。」
「否、十分怖かった。悲鳴を上げようと思ったけど、声が出せなかった。それだけ恐ろしかったんだ。刺激しないように、ひたすら無抵抗で動かずにいた。」
「怖がらせてしまってすみません。お陰でゲリラに見つからずに貴方を助け出せた。」

 シオドアとロホは笑い合った。
 ところで、とロホが言った。

「これからオルガ・グランデ基地に行かなければなりません。エル・ティティへ行く経路はゲリラが抑えているでしょうから、西へ行きます。しかし・・・」

 彼は疲れた顔でシオドアを見た。

「ご覧の通り、私は疲れています。ジャガーに変身するとエネルギーを恐ろしく消耗するので、普段2日程寝込むんです。 私1人なら今日中に基地迄帰れますが、貴方を連れて行くのは難しいです。」
「俺はジャングル歩きに慣れていない普通の人間だからね。」
「悪く思わないで下さい。ゲリラに追跡されたら、貴方を守りきれません。少佐が来られる迄、ここで隠れていて下さい。食料はこれしかありませんが。」

 ロホが迷彩服のポケットから紙で包んだ一握りの大きさの物を出した。干し肉だった。


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Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ナワル
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