2021/06/19

笛の音 11

 デイヴィッド・ジョーンズは精神疾患が原因で傷害事件に及んだ、と言う司法判断が下された。随分判決が出るのが早い、とシオドアは感じたが、政府のお抱え科学者だったジョーンズの事件を、上層部は早く闇に葬りたいのだ。被害者にはジョーンズの親が治療費を払うことで解決したとワイズマン所長が職員を集めて説明した。ジョーンズ家は納得したのだろうか。ジョーンズは軍の病院で死ぬ迄監禁されるのだろうか。
 シオドアには酷く長い時間に感じられたが、ケツァル少佐の”遣いの者”は彼女の最後の電話から2日後にやって来た。基地の敷地でも自由に外部の人間が出入り出来る居住区画にて、客はカフェで待っていた。シオドアは「少佐の遣い」としか聞いていなかったので、スーツ姿の南欧系白人の男性が近づく彼に片手を上げて合図を送ってきた時、軽い調子で、「ハロー!」と声をかけた。 50代中盤と思えるその男性は立ち上がって、彼を迎えた。

「ハースト博士ですね?」
「そうです。貴方は・・・」
「フェルナンド・ファン・ミゲール、駐米セルバ共和国大使です。」

 え? と言う驚きがシオドアの正直な感想だった。大統領警護隊の遣いが、大使?
逆じゃないのか、普通・・・。
 ミゲール大使は周囲を見回した。

「基地と聞いていましたが、普通の街角と変わりませんね。」
「ええ・・・ここは居住区ですから。」

 門を通らずに入れる区画で良かった、とシオドアは思った。セルバ共和国の名前など出したら、軍は大使を通してくれなかっただろう。外交問題が絡んでくるかも知れない。だが、今回はプライベートな問題なのだ。大使がすぐに用件に入った。

「笛をお持ちいただけましたか?」
「はい、これです。」

 シオドアはポケットから破り取った雑誌で包んだ笛を出した。大使が受け取り、カフェのテーブルの上に置いた。

「中を確認させてもらってよろしいですか?」
「どうぞ。でも直接手で触れない方が良いかも知れません。」

 大使が土笛をじっくりと眺めている間、シオドアは彼を観察していた。大使はどう見ても白人に見える。しかしケツァル少佐から笛の説明を受けたと思われる行動だ。呪いを信じたのか? セルバ共和国の国民だから、そう言う不可思議な現象を信じられるのか? 
 大使が顔を上げた。

「確かに、これは我が国の文化とは異なるものですね。」
「やっぱりこの犬の笛は・・・」
「これは犬ではなく、ジャガーです。」
「ジャガー?」
「中南米では、ジャガーは神様です。色々な土器や建築物のモチーフとして使われます。」
「でも、これは土産物屋で売られていた玩具ですよ。」
「知っています。遺跡の出土物の模造品を作って、観光客に売る連中がいます。観光客も模造品と承知の上で買います。特に問題ではありません。しかし、これは・・・」

 大使が眉を顰めた。

「これは良くない。」
「やっぱり臭いですか?」

 シオドアの質問に、大使は驚いて彼の顔を見た。

「臭い? 貴方にはこの笛の臭いを嗅げるのですか?」

 逆にシオドアが驚いた。大使はこの笛を良くない物と認めたが、臭いは嗅げないのか。

「魚が腐った様な臭いを俺は嗅ぎ取っていますが、他の人は臭いなどしないと言うのです。大使、貴方はこの笛の何が良くないと仰ったのですか?」

 大使が笛を手に取り、シオドアに空気が通る穴を見せた。

「玩具の笛は玩具なりに音が出るように作られています。しかしこの笛の穴は、人間の聴覚では聞こえない音波が出る様に彫られています。儀式用です。」
「儀式?」
「マヤの儀式は専門外なので、私にもどんな儀式なのかわかりません。しかし、貴方の助手が人を刺したのですから、恐らく生贄に関するものでしょう。」
「では、この笛は本物?」
「と言うより、本物を精巧に模したものです。高度な技術が必要な品物を玩具として売るのですから、明確な悪意を含む意図的犯行です。」

 大使は素早く、丁寧に笛を包み直した。そして鞄に仕舞い込んだ。

「メキシコの知人に頼んで調査してもらいます。」
「助手が正気に戻る可能性はあるでしょうか?」
「保証できかねますが、努力します。」

 南の大陸では「努力する」は「しない」と同じだとエルネスト・ゲイルが言っていた。シオドアはそんなことをチラリと思い出したが、グラシャス、と礼を言った。大使が笑顔で別れの挨拶をして、路駐していた彼の車に向かって歩き出した。外交官が呪いだの儀式だの、真面目に取り扱うものなのか? シオドアはセルバ共和国の不思議な社会に想いを馳せていた。

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第11部  紅い水晶     21

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