2021/06/22

風の刃 11

  洞窟の奥から真っ黒な塊が押し寄せてきた。悲鳴の様な耳障りな音と共に臭いと風が迫って来たのだ。
 本能的に身の危険を感じたシオドアは穴の出口に向かって走り出した。ステファン中尉も彼に並んで走っている。足元が覚束無く、躓きそうだ。後ろから何か恐ろしいものが迫ってくる。駄目だ、捕まる! 
 咄嗟にシオドアは隣で走る中尉に飛び付き、2人で足元の床に転がった。洞窟内に人間とも動物とも区別が出来ない悲鳴が満ちた。シオドアは中尉と並んで地面に伏せた。両手で頭を抱えたその上を、何かがゴーっと通り過ぎた。手に激痛が走った。それから埃が襲ってきた。
 長い時間伏せていたと思ったが、実際は1分もなかっただろう。先にステファン中尉が頭を上げて、背中越しに洞窟の内部を見た。

「終わった様です。」

と彼が呟いた。コウモリが騒いでいた。シオドアは体を起こした。洞窟の内部で人の呻き声が聞こえて来た。彼は声を掛けた。

「皆んな、大丈夫か?無事か?」

 マーベリックが答えた。

「大丈夫とは言えないな。石が飛んで来た様だ。他の人は?」

 彼はフランス隊のメンバーを1人ずつ呼んだ。シオドアはリオッタ教授を呼んだ。教授はコウモリの糞まみれになりながら、這い寄って来た。

「腕や脚を切った様だ。君もだろう?」

 言われて初めてシオドアは左手の甲から出血していることに気がついた。頭を庇ったので、手をやられたのだ。安否確認している間にステファン中尉が立ち上がって洞窟から駆け出して行った。シオドアの耳に彼の怒鳴り声が聞こえた。

「衛生兵! 怪我人発生だ!」

 互いに支え合って考古学者達は洞窟から出た。明るい陽光の下へ出て、初めて被害状況がわかった。衣服が切り裂かれ、顔や四肢も傷だらけだった。切創があれば打撲傷もあった。全員埃とコウモリの糞で汚れていた。フランス人が1人顔面に石を受けて出血が激しかった。警護の兵士達が手早く救護体制を取り、応急処置が施されたが、病院に連れて行った方が良さそうだ。マーベリックも元気そうに見えたが、服を脱ぐと石で打たれた傷が大きかった。

「何が起きたと思う?」

 シオドアがリオッタ教授の問いに首を傾げたところへ、ステファン中尉が小隊長と共にやって来た。中尉がマーベリックに告げた。

「多数の負傷者が発生した事故だ。発掘作業は暫く中止してもらう。」

 考古学者達の顔に失望の色が浮かび、シオドアは驚いた。彼らの情熱には恐れ入る。 小隊長が、午後洞窟の中を検めると告げた。シオドアは心配になった。

「落盤が奥で起きたんじゃないか? 数日様子を見てから入った方が良いかも知れない。」
「その心配はありません。」

と小隊長が断言した。自信満々なので、シオドアは奇異に感じた。落盤が起きたと考えていないのか? セルバ人達は、洞窟で起きたことの正体を知っているのか?
あの事故が起こった時のことを思い起こしてみた。洞窟の奥から爆風の様なものが出てくる前だ。確かにステファン中尉は俺に言った、「外に出ろ」と。更にその前。彼は俺の肩に手を置いた。あれは引き留めようとしたんじゃないのか?
 スステファン中尉を見て、シオドアは一瞬目を疑った。中尉は埃で汚れていたが、傷らしい傷は一つもなかった。並んで伏せたシオドアが手に大きな切り傷を負ったと言うのに。
 負傷者はトラックでベースキャンプへ運ばれて行った。遺跡に残った怪我の軽い者は発掘が中止と決まったので、後片付けに追われた。洞窟に入らなかった作業員達にレリーフや彫刻にシートを掛けさえ、出土品を箱詰めにする。出土場所を書いたタグを付けるので時間がかかりそうだ。
 シオドアはステファン中尉に言った。

「俺はキャンプに戻るけど、君はどうする? 俺を見張る? それとも遺跡を見張る?」

 すると、中尉は面白い返答を言った。

「汚れたので、キャンプへ行きます。」


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