2021/06/19

笛の音 13

  アリアナとエルネストはシオドアがセルバ共和国大使と会ったと聞かされると、馬鹿だなと言う顔をした。

「僕等は年寄り達の言うことに従っていれば良いんだ。余計なことをして怒らせるのは得策と言えない。基地の外へ追い出されたら、僕等は生きていけないぜ。」

 籠の中しか知らない遺伝子組み替え人間の意見だ。シオドアは笑った。

「エルネスト、人間はどんな場所でも生きていけるんだ。森で芋を掘ったり、町で代書屋をしたり、居酒屋で床掃除して稼いでいけるんだよ。」
「そんなことを、この僕に出来る筈ないじゃないか!」

 アリアナが悲しそうな目でシオドアを見た。

「テオ、貴方はセルバのジャングルに心を置いてきてしまったのね。」

 シオドアは彼女のロマンチックな表現に何の感動も覚えなかった。冷たく「そうかもね」と答えただけだった。
 セルバ共和国のジャングルに行った記憶はなかった。エル・ティティは山裾の乾燥地域だったし、オルガ・グランデも高原で密林はなかった。事故に遭ったバスはグラダ・シティを出発した。グラダ・シティは都会で、大きな港と空港がある。恐らく記憶を失う前のセルバ旅行の出発地点はグラダ・シティだ。バスが走るルートはジャングル地帯に建設されたハイウェイで、乾燥地帯に入り、山を越えて太平洋岸へ抜けるのだ。だがその道中の記憶はなかった。
 2週間後、メキシコからシオドアに宅配便が届いた。小さな箱の荷物はX線検査を通され、一旦開封されて調べられ只の民芸品だと確認された。シオドアの部屋に配達されたのは次の日だった。見覚えのない差出人の名前を見て、シオドアはちょっと緊張の面持ちでパッケージを開いた。中身は綺麗な彩色を施されたジャガーを象った土笛だった。手紙が一枚笛の下に入っていた。それも読まれたであろうが、意味がわかった人間はいなかった筈だ。英語で書かれた手紙にはこう書かれていた。

ーー被害者にこの笛を吹いてもらって下さい。

 シオドアはそれを病院に持って行った。ジョーンズへの見舞いだと告げると、看護師立ち合いの元で渡すよう言われた。
 ジョーンズはパジャマ姿でベッドの上に座っていた。痩せ衰えた姿に、シオドアは涙が出そうになった。研究所で一番親切にしてくれた人だ。助手より友人だ。何としてでも助けたかった。

「デイヴ、シオドア・ハーストだ。わかるかい?」

 声をかけてみたが、ジョーンズは空の彼方を見つめていた。シオドアは笛を出した。

「メキシコの知人が送ってくれたんだ。君に吹いて欲しいってさ。」

 しかしジョーンズの手は笛を握ろうともしない。シオドアは笛を彼の口元に持っていった。半開きの口元にそっと笛の先を押し当てた。ジョーンズの呼気が入るように支えた。
 ヒューっと音がした。シオドアは優しく囁いた。

「もっと強く吹くんだ。」

 ヒュー・・・ヒュー・・・。 看護師は何を奇妙なことをしているのだ、と問いた気に見ていた。
 ヒュー・・・ヒュー・・・と鈍い音が少しずつ大きくなってきた。シオドアはジョーンズが瞬きをするのを見た。いきなり笛の音が高く鳴った。

ピーッ!

 ハァっとジョーンズが息を呑んだ。びっくりした表情で手前に立っている看護師を見て、それから横に寄り添っているシオドアを見た。

「デイヴ・・・」
「テオ?」

 看護師が困惑した表情になり、それから携帯電話を出した。医者を呼ぶ声を聞きながら、シオドアはジョーンズの手を握った。涙が出たが拭えなかった。

「お帰り、デイヴ。良かった。戻ってきてくれて嬉しいよ。」

 ジョーンズが状況を理解出来ずに部屋を見回した。

「ここは何処なんです?」



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