2021/06/30

アダの森 7

  太陽がジャングルの木々の向こうにある。木漏れ日はあまり差し込まない。ステファン中尉が先頭に立ち、シオドア、ケツァル少佐の順番で3人は森の中を歩いた。オクタカス遺跡のメサを軽々と下りて行った時の様に、ステファン中尉はまるで道があるかの様に迷うことなく進んで行く。足元の枝や草を踏んで音を立てることもない。シオドアは彼が足を置いた通りに歩いた。後ろの少佐も音を立てないので、時々彼女が遅れずについて来ているのか心配になる程だ。
 突然、中尉がクッと喉を鳴らし、前に倒れ込んだ。シオドアは仰天する前に、後ろから少佐に地面に押さえ込まれた。危うく声を出しそうになって自制した。中尉は倒れたのではなく、伏せたのだ。アサルトライフルを構え、そのまま固まっている。シオドアは背中に少佐の体重をかけられたまま、息を殺した。不謹慎だが、彼女の胸の感触が心地よい・・・。
 数メートル前方でガサガサと草をかき分ける音がした。タバコの臭いがした。人間が歩いている。

「あの白人、なまっちょろいから遠くへは行っていないと思うがなぁ。」
「どこかに隠れているんだ。」
「まさか、”死者の村”じゃないよな?」
「ロス・パハロス・ヴェルデスでも近づかない場所だ。」
「白人なら入るかも知れないぜ。」

  男が3人。そのうちの1人の声は聞き覚えがある。ムカデを取ってくれた男だ。シオドアは誘拐された時、ゲリラは全部で5人だったと記憶していた。カンパロの声は今聞こえない。もう1人いた筈だ。

「昨日の昼に捕まえたエル・パハロ・ヴェルデの兵隊・・・」

 え? シオドアはピクリと体を動かしてしまい、少佐に頭を思い切り押さえつけられた。

「へフェ(ボス)がえらくご執心じゃないか。」
「あいつが俺を殴り倒したジャガーだって、ふざけたことを言ってやがるぜ。」
「ジャガーに化けるのは”ヴェルデ・シエロ”だろ? 大統領警護隊はそのお遣いに過ぎないって言うのによ。」
「大体、お前、本当にジャガーに殴られたのか? ジャガーは一撃でお前の首を跳ばせるんだぜ。」
「本当にジャガーを見たんだ。テントから出たら、目の前にいやがった。跳びつかれて、あっと言う間に気を失っちまったんだ。」

 彼等は喋りながら遠ざかって行く。ステファン中尉がそーっと体を起こした。ケツァル少佐もシオドアの背中から静かに離れた。シオドアは彼女が完全に彼から降りる迄伏せたままだった。
 3人は静かにゲリラ達の後ろをつけて行った。まるで獲物に忍び寄るジャガーそのものだ、とステファン中尉の後ろを歩きながら、シオドアはそんな感想を抱いた。
 ロホはやっぱり捕まったのだ。酷く消耗していたから、ゲリラ達に追いつかれたのだ。戦わずに捕まったのか? 戦える力は残っていなかったのか? 
 カンパロは手下を襲ったジャガーがロホだとわかったのだ。あの男はメスティーソだが、”ヴェルデ・シエロ”の存在を知っている。彼の先住民の血は、古代の一族のものなのかも知れない。しかし彼の手下共は”ヴェルデ・シエロ”は昔話の神様と言う程度の認識だ。人間がジャガーに変身するなど、信じられないのだ。
 
 それが一般常識ってもんだ。

 カンパロともう1人の手下はキャンプでロホを見張っているに違いない。ひょっとすると、彼を拷問している可能性もある。シオドアは焦燥感に襲われた。もしロホが殺されたら、それは俺のせいだ。
 つい足速になってしまい、靴の下でパキッと音がした。3人共に同時にフリーズした。シオドアを怒るよりも、ステファン中尉は前方を行くゲリラの動向を伺った。男達はジャングルに人間の敵はいないと考えているのか、喋りながら物音を立てて歩き続けた。
 ゲリラ3人の姿が見えなくなった。 ステファン中尉が背筋を伸ばしたので、シオドアも肩の力を抜き、ごめん、と謝った。少佐が彼の横に来た。

「連中は足跡を残してくれました。距離を空けて追跡出来ます。」
「ロホは捕まったんだね。」
「山から幹線道路に出てしまう前に力尽きたのでしょう。道路に出られさえすれば救援を求めることも出来た筈です。」

 彼女はシオドアを見た。

「カンパロはロホが貴方を逃したジャガーだとわかった様です。」
「うん。 あいつはタダのゲリラじゃなさそうだ。」

 その時、ケツァル少佐は一瞬ビクッと体を震わせ、顔色を変えた。彼女の気配の変化にステファン中尉が気付いて振り返った。

「どうしました?」

 ケツァル少佐は硬い表情でゲリラ達が消えた方角を見つめた。睨みつけたと言っても良い。

「今、ロホが私を呼びました。早く行きましょう。」


 

 
 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ケツァル少佐は離れた場所にいる人と話をするテレパシーを持っていないが、親しい人が本当に彼女の助けを必要として心の中で彼女を呼ぶと感応する。

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