2021/06/18

笛の音 8

   デイヴィッド・ジョーンズに胸を刺された少年は何とか保ち直したと連絡が入った。火曜日になっていた。シオドアは一先ず安堵した。ワイズマン所長も研究室の仲間も、取り敢えずは一安心だ。後はジョーンズに正気に返ってもらうだけだ。
 午後、シオドアは休暇届けを出した。休暇を取っても基地から出なければ監視の目が届くと思われているのだろう、護衛は付かなかった。彼は昼食を研究所の食堂で取ってから、ジョーンズのアパートへ行った。研究所の職員の住居は皆同じ区画に集まっていた。一戸建ての家族用から集合住宅形式の独身者用まで様々だ。シオドアも集合住宅に住んでいるが、部屋は家族用並に広い。部屋数も多い。ジョーンズの部屋はそれより少し狭かった。犯罪現場ではないので、シオドアがジョーンズの上司であることを知っている管理人が中に入れてくれた。
 独身の男の部屋だ。それに前日警察がドラッグの類を探したので、室内は荒れていた。シオドアは研究資料には目もくれないで、ジョーンズの趣味の品々と思われる小物類が飾られた棚を眺めた。そこも荒れていたが、土笛はあった。ジョーンズは、博物館の存在を教えてくれた友人に会いに行ったらしいが、笛を手土産にしたのではなかった。ジョーンズの友人がどんな話をしたのか、シオドアは聞かされていない。だがその友人もジョーンズの異常行動の原因を知らないだろう。
 シオドアは猫なのか犬なのか判別困難な不細工な土笛に近づいた。オルガ・グランデのアンゲルス邸で見たネズミの神像みたいな不快な雰囲気は感じなかったが、異臭は嗅ぎとれた。魚が腐ったような生臭い臭いだ。この部屋を捜査した捜査官達はこの臭いを嗅げただろうか。
 シオドアは素手で笛を触りたくなかったので、床に散らばっていた雑誌を拾い上げ、数ページ破り取った。それで笛を包んだ。
 そばの椅子に腰掛けて携帯電話を出した。セルバ共和国駐米大使館の番号を事前に調べてあったので、掛けてみた。呼び出しが5回鳴って、女性の声が応答した。

ーーセルバ共和国駐米大使館・・・
「ハーストと申します。大使とお話がしたい。」

 多分、断れるだろう。ダメ元だったが、相手は「ご用件は?」と尋ねてきた。シオドアはちょっと出鱈目を言った。

「遺跡の発掘調査について、申請を出したい。」

 すると相手はあっさりと「お待ち下さい」と言い、すぐに保留のメロディが流れて来た。バナナと観光しか資源がない国だ。発掘調査の申請受付ぐらいしか仕事がないのではないか、とシオドアは思った。
 保留メロディが途切れた。よく透る男性の声が聞こえた。

ーー大使のフェルナンド・ファン・ミゲールです。

 ミゲール? 最近耳にした名前だが、誰だったっけ? シオドアは名乗った。

「国立遺伝病学理研究所のシオドア・ハーストと申します。」
ーー遺伝病理学研究所? 遺跡の発掘申請ではないのですか?
「申し訳ありません。貴方とお話しする理由がややこしくて、嘘をつきました。」

 シオドアは正直に言った。

「実は、大統領警護隊の人と連絡を取りたいのですが、方法が思いつきません。遺跡絡みの用件には違いないのです。」

 土笛は民芸品で遺跡とは関係ないのだが、こうでも言わないと大使は話を聞いてくれないだろうと彼は思った。大使が確認するかの様に繰り返した。

ーー遺跡絡みの用件で大統領警護隊と連絡を取りたいと仰るのですか?
「そうです。最近迄私はセルバ共和国に滞在したことがあります。その時に、大統領警護隊の少佐とお近づきになりました。彼女に教えてもらいことがあるのです。」

 すると大使が尋ねた。

ーーシータ・ケツァルとお知り合いですか?
「スィ、彼女です!」

 嬉しさのあまり、シオドアはスペイン語で叫んでいた。

「ケツァル少佐と彼女の2人の部下の将校と一緒にオルガ・グランデで数日いました。その折、私はミカエル・アンゲルスと名乗っていました。」

 大使が数秒間黙ってから、成る程、と呟いた。

ーー要するに、文化保護担当部に用事があるのですね?
「スィ、セニョール。」
ーーグラダ・シティのオフィスに彼等が戻っていれば連絡が付きます。番号は今お使いのものでよろしいですか?
「この番号でお願いします。私用ですから、研究所の電話には掛けないで下さい。それから、少佐には、ミカエルの本名はシオドア・ハーストだとお伝え下さい。」
ーー了解しました。 

 電話を切ってから、シオドアは興奮を鎮めようと大きく息をした。ケツァル少佐とまた会話出来る。電話越しでも、セルバ共和国と繋がりが持てる。
 ゴンザレス署長にも電話を掛けなくちゃなぁ、と思った。だがまだ何か重要なことに決着をつけていない気がする。それが終わらないと、エル・ティティに戻れない。

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

シオドアが生まれ育った研究所の名前が一定でなかったので、ここで固定させよう。
国立遺伝病理学研究所。


そしてミゲール大使が登場。

第11部  紅い水晶     21

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