2021/06/18

笛の音 9

  シオドアは忘れていたが、彼の想い女は他人の都合を考えないところが多々あった。否、シオドアが忘れていたのだ。彼の現在地とセルバ共和国の間には2時間の時差があることを。
 ベッドに入った彼が寝入った半時間後に、彼女が電話を掛けてきた。シオドアは彼女からの電話だとは思わなかった。ダブスンが早退した彼に嫌がらせをしたかと思ったのだ。悪態をつきながら携帯電話を掴み、思い切り不機嫌な声で「ハロー」と応えた。

「ハーストだ。」

 相手は少し躊躇ったかの様に数秒間黙って、それからひどく遠くから話しかけて来た。

ーーミゲールです。

 シオドアは一気に覚醒した。ベッドの上に起き上がった。

「少佐! 君の声を聞けて嬉しいよ! 元気かい?」

 手を振るとベッドサイドの照明が点いた。ケツァル少佐は彼ほども嬉しくなさそうな声で、

ーーご用件は?

と尋ねた。その無愛想なトーンにシオドアは苦笑した。正にケツァル少佐だ。電話を切られる前に用件を伝えなければ。

「俺の助手がマヤだかアステカだかの呪いにかけられたらしいんだ。」

 少佐は黙っている。シオドアは少し早口になった。

「日曜日に助手と近所の博物館に行ったんだ。マヤとかインカとかの遺跡から出た彫像や石像を集めている個人経営の小さな博物館だ。セルバ共和国のコーナーもある。」

 少佐が興味を示した気配はない。

「帰りに助手が売店で土を焼いて作った動物の形の笛を買った。何だか嫌な臭いがする笛だ。博物館の経営者に聞いたんだが、ティオティワカンの近くの露店で買わされた物だそうだ。」

 シオドアは電話の向こうがあまりにも静かなので心配になった。

「少佐、聞いてるかい?」
ーースィ。続けて下さい。
「それじゃ・・・日曜日の夜に助手が人を刺した。シーツを頭から被り、アルミフォイルの冠を被って、顔を白く塗りたくって。刺されたのは少年で、ゲームに勝って騒いでいるところに、ジョーンズが、つまり件の助手が来て、胸をナイフで刺した。目撃者の証言では、刺した時ジョーンズは『勝者の心臓を捧げよ』と叫んだと言う・・・」
ーーそれで?
「だから・・・彼には精神疾患もドラッグをやった形跡もない。真面目な男で、私生活に問題もない。突然暴力的になった。今も何か呟きながら体を揺すっている。何が彼を変えたのか、わからない。思いつくのは、彼が博物館で買った臭い笛だけなんだ。」

 電話の向こうで少佐が溜息をつく気配がした。

ーー私にどうしろと?
「ジョーンズを助けてやってくれ。マリア・アルメイダを助けたみたいに・・・」
ーー私にそんな能力はありません。
「マリアの病気を治したじゃないか!」
ーー彼女は邪気に触れただけで、呪いをかけられたのではありません。

 シオドアは腹が立った。電話に怒鳴った。

「ネズミの神様を封じたじゃないか!」

 ケツァル少佐は動じなかった。

ーー神様を鎮めるのと、呪いを解くのは違います。呪いはかけた本人にしか解けません。
「ジョーンズは邪気に触れただけかも知れない。」
ーー邪気に触れただけで気が振れることはありません。
「誰が買うかわからない笛に呪いをかけるヤツなんているかい?」

 すると少佐はショッキングなことを言った。

ーー白人が笛を買ったのでしょう。白人を呪っているのです。
「それじゃ、無差別テロと同じじゃないか。」
ーースィ、テロです。酷く幼稚な手段ですが。

 シオドアは脱力した。

「それじゃ、ジョーンズを助けられないのか・・・」

 しかし少佐は最初から変わらないトーンで言った。

ーー私では駄目だと言ったのです。
「それじゃ・・・」
ーー笛はティオティワカンの近くで買われたと言いましたね?
「スィ。」
ーー心当たりを探ってみます。
「それじゃ!」
ーーブエナス・ノチェス。(おやすみ)

 少佐はかけてきた時と同じぐらいに突然電話を切った。

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

久しぶりに少佐が登場。
彼女を書くのはとても楽しい。

第11部  紅い水晶     21

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