2021/06/26

はざま 4

  その日の午後、北米の国立遺伝病理学研究所からアリアナ・オズボーンがやって来た。メアリー・スー・ダブスンが来ると思っていたシュライプマイヤーはがっかりした。ダブスン博士のことは好きでなかったが、彼女は推しが強い。シオドア・ハーストの捜索に力を入れるよう、セルバの役所に交渉してくれることを期待していたのだ。しかし来たのはアリアナだった。ヨーロッパでの学会には何度も出席しているが、中南米へ来るのは初めての、スペイン語も碌に出来ない箱入り娘だ。

「メアリー・スーは駄目なの。テオが嫌っているから、彼女が来たら絶対に出て来ないわ。」
「すると、貴女はハースト博士が自分の意思で身を隠したとお考えですか?」
「可能性はあるわ。彼は記憶を失ってから、ずっとセルバの話ばかりしていたから。」

 連絡を受けて空港に彼女を迎えに行ったシュライプマイヤーは、最初に駐セルバ・アメリカ大使館へ行った。アメリカ大使は隣国との兼任で、この日は不在だった。書記官にアメリカ市民の行方不明と捜索願を届け出た。シオドアが行方をくらませた当時の状況を説明すると、書記官が顔を曇らせた。

「本件は大統領警護隊が絡んでいるのですか?」
「どんな形で関係しているのか不明ですが、ハースト博士が最後に会った人物が大統領警護隊の少佐なのです。」

 書記官は考え込み、それからセルバ政府の関係当局に捜索を依頼しておきます、と言った。
 次にグラダ大学へ行った。アリアナがシオドアの研究の進み具合を見たいと言ったからだ。大学は部外者を入れたがらなかったが、アリアナ・オズボーン博士の名前を知っている研究者が彼女を歓迎して案内してくれた。施錠されていたシオドアの研究室に入った彼等は、シオドアが何かのサンプルを分析していたらしい形跡を認めた。しかしコンピューターを立ち上げてもパスワードがわからない。ファイルやノートをめくってみても何もなかった。誰かがページを破り取っており、部屋の隅に灰の塊が見つかった。アリアナがシオドアの他に誰がこの部屋に入れるのかと尋ねると、医学部の教職員なら誰でも入れると言う呆れた返事だった。
 アリアナはシオドアが遺伝子分析の研究に情熱を持てなくなったことをぼんやりと察していた。記憶喪失だけが原因とは思えなかった。彼はセルバ共和国で何か強く心惹かれるモノを見つけてしまったのだ。生まれ育った環境に疑問を抱き、それ迄好きだったことに嫌悪感を抱き、恵まれた生活を捨ててしまう程に惹きつけられる何かを。
 大学を出ると、車に乗り込むなり、彼女はシュライプマイヤーに要求した。

「テオは少佐と言う人の話をしたことがあったわ。貴方もさっき大使館でその名を言ったわね。」

 シュライプマイヤーは嫌な予感がした。大統領警護隊のあの女性少佐に今朝会ったばかりだ。大勢の前で不快な目に遭わせてくれた、あの先住民の女に、また会いに行けと言うのか? 

「ケツァル少佐は大変忙しい人なんですよ。」

 それは事実だ。今朝、彼は少佐に詰め寄った後、実に不愉快な目に遭った。彼がハースト博士の居所をなおも問いかけようとした時、カウンターの彼の側にいた男達が彼に近寄って来たのだ。彼等は地方から出て来た農民や学校関係者、また考古学関係の研究者やメディア関連の人間だった。彼等は口々にシュライプマイヤーに苦情を言い立てた。

「大統領警護隊文化保護担当部に面倒を持ち込むな!」
「ここの連中は忙しいのだ!」
「ロス・パハロス・ヴェルデスの仕事が10分遅れたら、私達の申請が通るのが1週間遅れる。」
「お前のせいで、私の時間が1時間無駄になるぞ。」
「アメリカ人はすっこんでろ!」

 スペイン語でがなり立てられて、ほうほうの体で退散したのだ。そこへまた行けと言うのか?
 アリアナは研究所で可愛がられ大切にされてきた。ボディガードの事情など知る由もない。

「私はその人に会いたいわ。英語は通じるでしょ?」


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