2021/06/26

はざま 3

 事態はシュライプマイヤーが最も恐れていた方向へ向かっていた。彼と相棒は当初、シオドア・ハーストがグラダ・シティの高級コンドミニアムに入ったきり出て来ないのはケツァル少佐の家に入り浸っているからだろうと軽く考えていた。彼女とシオドアがコンドミニアムに入って直ぐ後に来た若い先住民の男も、建物に入ったきり出て来なかった。午後9時半に、何処かの家の家政婦と思える女性が建物から出て来て、迎えに来たタクシーで去って行った。
 翌朝、ケツァル少佐が午前8時過ぎに出て来て、自分でベンツのSUVを運転して職場へ出勤して行った。午前10時に前夜見かけた女性が誰かの車に送られてやって来た。シュライプマイヤーは相棒と交代で休憩を取り、コンドミニアムを見張った。夕方、午後6時半に少佐が帰宅した。1人だった。ボディガード達は、シオドアが美人の家に居座っているものと思っていた。彼が彼女にご執心なのは薄々勘づいていた。北米にいる時も、ふとした会話で彼女の名前が出ていたのだ。我儘博士が女性を口説いて部屋に篭っている、と思っていたのだ。
 ところが3日目の午後に、北米の研究所から電話がかかってきた。グラダ大学がハースト博士の無断欠勤を研究所に連絡したのだ。大学もシオドアの動向を見張るようにと依頼されていたのだから、無理もない。シュライプマイヤーは相棒にコンドミニアムの監視を任せ、シオドアのアパートへ行ってみた。彼等もそこで寝起きしているのだから、入るのは問題なかった。シオドアが戻った気配はなかった。何処かへお泊まりで出かけた様子もなかった。
 シュライプマイヤーは文化・教育省へ行ってみた。すると雑居ビルの前でアスルを見かけた。シュライプマイヤーはコンドミニアムを見張っている相棒に電話をかけて、アスルは何時少佐の家があるアパートから出たのかと訊いた。返事は「出ていない」だった。シュライプマイヤーは慌てた。相棒に、コンドミニアムに裏口がないか調べろと命じた。非常口があったが、そこの防犯カメラを見せてもらいたいと要請したら、警察を通せと管理人に言われた。
 4日目の朝、少佐がいつもの様に出勤した後で、シュライプマイヤーは警察官と一緒に防犯カメラを見せてもらった。誰も映っていなかった。コンドミニアムの住人達は表から堂々と出入りしている。裏口を使った人はいなかった。
 シュライプマイヤーは腹を決めて文化・教育省を訪ねた。入り口の軍曹に拳銃を預け、入館パスをもらった。ケツァル少佐は何処にいるのかと尋ねたら、一言4階と答えが返ってきた。
 大統領警護隊文化保護担当部は、他の部署と変わらない事務職の部課に見えた。書類が積まれた机の前に座った若い私服姿の男女がパソコンの画面を眺めたり、キーボードを叩いて書類を作成したりしている。だが3人の男達は全員シュライプマイヤーが知っている人物だった。軍服を着ていないだけだ。火が点いていないタバコを咥えて書類作成をしている髭面の男はステファン中尉で、電話でずっと喋っている背が高いイケメンはマルティネスと名札が置かれているが、シオドアがロホと呼んでいたもう1人の中尉だ。パソコン画面と書類を交互に睨んで顰めっつらしている一番若いのが、何時の間にかコンドミニアムから出ていたヤツだ。
 メスティーソの若い女は見覚えがなかった。黒いサラサラの髪の毛をポニーテールにして、青いビーズの髪留めでまとめている。彼女は隣の部署の男性と書類を一緒に眺めながら話し合っているところだ。
 一番奥の机のケツァル少佐は書類に目を通して署名し、目を通して署名し、を繰り返していた。
 軍人なら事務仕事の時も軍服を着用すべきだ、と元海兵隊員のシュライプマイヤーは思いながら、秘書はいるのだろうか、と目で探した。するとポニーテールの女性が彼に気がついた。

「何か御用ですか?」

 市場で果物や野菜を売っていそうな健康的な艶のある肌、人懐っこい目をした丸顔の娘だった。いかついシュライプマイヤーにも優しく微笑みかけている。彼は奥の机を手で指した。

「ケビン・シュライプマイヤーと言います。 ケツァル少佐と話がしたい。」

 ステファンとロホがチラリと彼を見た。アスルは無視した。女性が躊躇なく上官に呼びかけた。

「少佐、お客さんです!」

 ケツァル少佐が書類から目を上げてこちらを見たので、シュライプマイヤーは片手を上げて挨拶の代わりにした。彼女はシオドアと一緒にいる彼を何度か見ているから、用件はわかっている筈だと思った。しかし、少佐は部下に言った。

「陳情の内容を聞いて、該当する申請書を提出してもらいなさい。」

 それで、シュライプマイヤーは意地悪く言ってみた。

「貴女のアパートに篭っている男の件で来ました。」
「失礼な!」

と声を張り上げたのはステファンだった。しかし少佐に睨まれ、口を閉じた。少佐がシュライプマイヤーに顔を向けた。

「私の家に男が篭っていると仰いました?」

 シュライプマイヤーは4階のフロアにいる全員が自分を見つめていることに気がついた。後には退けない。彼はそうですと答えた。

「グラダ大学医学部で講師をしているアメリカ人、ハースト博士です。」
「それは一大事・・・」

 ケツァル少佐は携帯電話を出して、何処かにかけた。何をしているのかと彼が訝しんでいると、電話の相手が出た。少佐が喋った。

「カーラ? シータ・ケツァルです。貴女の他に誰かうちにいますか?」
ーーノ、ラ・コマンダンテ、私1人だけです。

 少佐がわざわざスピーカーで通話を聴かせた。

「誰か訪ねて来ました?」
ーーノ。今日はどなたも来られていません。

 シュライプマイヤーは怒鳴った。

「今週の月曜の夜だ!」

 少佐は平然と電話に言った。

「月曜の夜ですって。」
ーークワコ少尉が来られましたね。私のお料理を褒めて下さいました。
「覚えています。あれは美味しかった。また作って下さいね。」
ーー何時でもお申し付け下さい。御用はそれだけでしょうか? 

 少佐がシュライプマイヤーに尋ねた。

「何か彼女に訊いておくことがありますか?」
「少尉の他にもう1人いただろう?」
「カーラ、クワコの他にもう1人客がいました?」
ーーノ。 どうしてそんなことをお訊きになるのです? 

 家政婦が電話の向こうでクスクス笑った。

ーーラ・コマンダンテ、何かのゲームですか、これ?

 シュライプマイヤーはイラッときたが、我慢した。

「少尉は何時帰ったのかな?」

 すると本人が答えた。

「2200前。危うくサッカーの試合を見逃すところだった。」

 少佐が電話の向こうの家政婦に「有り難う」と言って通話を終えた。そしてボディガードに言った。

「貴方が仰っているハースト博士を存じ上げていますが、私の家には来られていません。」
「しかし、彼は月曜日の夜、貴女と食事の約束をしていた。」
「約束はしましたが、彼は来ませんでした。」
「嘘だ! 私は貴女の車に彼が乗り込んで、貴女のアパートに入るのを見た。」

 少佐がフロアを見回した。職員達は仕事に戻っていた。

「困りました。人間が1人消えてしまった様ですね。」

と彼女が言った。


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第11部  紅い水晶     19

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