2021/06/27

はざま 8

  大学の門前に来て、シオドアは立ち止まった。今は西暦何年何月何日なのか、確認した方が良いんじゃないか? それに・・・手を己の顔に当てて見た。髭面で泥だらけで、血も付いている。服は汚れてボロボロだ。グラダ・シティのスラム街でもこんなボロボロの人はいない。ホームレスだってもっとましな格好をしている。空腹で喉も乾いていた。アパートに帰るべきか? しかしシュライプマイヤー達がいるだろう。またアメリカに連れ戻されたら、2度とセルバ共和国に戻って来られない。
 通りをトボトボと歩いていた。すれ違う人々が胡散臭そうに彼を振り返って見ている。警察に通報されるかも知れない。夕暮れ時だった。飲食店から美味そうな匂いが漂ってくる。アメリカに戻される前に空腹で野垂れ死ぬかも知れないな、と思った時、一台のビートルが横を通った。ビートルは数10メートル先で停止した。シオドアがゆっくり近づいて来るのを待つが如く、停止灯を点滅させていた。シオドアは博物館に展示されていそうな古い車をぼんやり眺めながら近くまで歩いて行った。
 運転席側のドアが開き、男が1人降りて来た。腕組みをして立つと、シオドアを眺めていた。街頭の薄灯で、シオドアはやっと彼が知り合いだと気がついた。

「ヤァ、ステファン中尉、久しぶり・・・」

 軍服を着ていない中尉を見るのは初めてだったが、ゲバラ髭を生やした虎の様な顔はステファンに間違いなかった。

「そんな格好で、何処から来たんです?」

とステファン中尉が尋ねたので、シオドアは思わず噛み付いた。

「何処から? 知っているくせに! 俺は今朝まで・・・」

 空腹だったので力が入らなかった。怒鳴った為にエネルギーを使い果たしたようだ。彼はよろめいて、中尉に抱き止められた。

「俺は1960年代のジャングルにいたんだ。」
「ああ、そうですか。」

 ステファン中尉は、そんなのどうでも良い、と言う口調で聞き流し、シオドアを車の反対側まで誘導して、助手席に押し込んだ。周囲を素早く見回し、運転席に乗り込むと発車させた。シオドアは車内に残るタバコの匂いを嗅いだ。ジャングルで嗅いだ匂いだ。なんて言う銘柄だろう。
 ビートルは首都の交通量の多い道路を走り、やがて大きなロータリーで方向を90度変えて、静かな区画へ入った。角をいくつか曲がると次第に建物の様子が変化して、近代的大都市から植民地時代の影響が残る旧市街地の住宅地へと入った。
 石造の建物の前でステファン中尉はビートルを駐めた。着きました、と言われてシオドアは車から降りた。中尉に導かれるまま階段を登った。手摺りが付いているのが嬉しかった。古い商社か何かの建物をアパートに転用した感じで、階段は中央にあり、各階毎に部屋が左右に2つずつあった。ステファン中尉の部屋は3階だった。ドアを開けると、階段にいた猫達がシオドアより先に部屋に入って行った。最後にシオドアが入ると、中尉は廊下が無人であることを確認してドアを閉め施錠した。
 シオドアはひどくくたびれていたが、中尉がシャワーを浴びて下さいと言った。キッチンの横にバスルームがあり、こんな古いアパートにしては珍しくお湯のシャワーだった。シオドアはバスルームで体に食らい付いていた虫を引き剥がし、血を洗い流した。泥も取って、石鹸で体をこすり、髪も洗った。生き返った気分で、いつの間にか中尉が用意してくれていたシャツと短パンに着替えた。体格が似ていたので、新しい服を手に入れる迄は何とかなりそうだ。
 床の上で猫達が餌をもらって食べていた。ステファン中尉はキッチンで缶詰のチリコンカンを温め、パンを切って夕食の支度をしていた。家政婦の賄い付きのケツァル少佐のアパートとは大きな差だ。
 壁にセルバ共和国の地図が3枚貼ってあった。1枚にはピンがいっぱい刺してあり、どうやら遺跡の場所らしい。もう1枚は別の色のピンで、何の場所なのかわからないが、主に山岳地帯に刺してある。最後の1枚も違う色のピンでジャングルや山岳地帯に刺してあるが、シオドアはその位置に覚えがあった。エル・ティティ警察にも似たような箇所に印を付けた地図があったのだ。これは反政府ゲリラの出没地点だ。
 隣の部屋にベッドがあり、その横の壁は写真がいっぱいだった。シオドアはプライベイトな空間を覗くのは失礼だと思いつつ、その写真に目を遣った。若い男女が写っている写真ばかりだ。私服姿も軍服姿もあるが、写っていたのはシオドアも知っている人々だった。ロホにアスルにケツァル少佐、ステファン中尉に、初めて見る若い女の子。整列してたり、何処かの遺跡で壁の上に座っていたり、ふざけているのかスーパーマンの様なポーズを取っていたり・・・学生の記念写真みたいだ。
 食事の用意が出来たと告げられて、シオドアはテーブルに着いた。形ばかりのお祈りを捧げ、やっと食べ物にありつけた。シオドアは夢中でガツガツ食べた。まるで2日間何も食べなかった様にお腹が空いていた。ステファン中尉が愉快そうに眺めていた。

「まるで何日も食べていなかったみたいですね。」
「今朝食べたっきりだったからね。君も早く食べなよ。」
「私は少佐を待っています。」

 シオドアは手を止めた。ケツァル少佐がここへ来るのか? 嬉しいような怖いような気がした。彼女がアスルに命じてあのジャングルに彼を閉じ込めたのだ。ここにいて良いのだろうか。

「ステファン中尉、今日は何月何日だ?」

 中尉の返事を聞いて、シオドアは混乱しそうになった。彼はジャングルの村に13日いて、14日目の朝に太陽を背に脱出したのだ。しかし、ステファン中尉が言った日付は、彼がケツァル少佐のアパートで食事をした日から4日目だった。
 その時、ドアをノックする音が聞こえた。中尉がシオドアに手でそのままと合図して静かにドアへ歩み寄った。

「何方?」

 女性の声が応えた。

「ジョ。(私)」

 中尉は解錠し、ドアを半分だけ開いた。ケツァル少佐が滑り込んで来た。中尉はドアを閉め、再び施錠した。
 シオドアはお茶代わりに出してもらっていたビールで口の中の物を流し込み、ヤァと言った。少佐は頷き、持って来た2つの包みをステファン中尉に渡した。中尉は大きい方を隣の部屋へ持って行き、ベッドの上に投げ置いた。小さい方はテーブルの上で、良い匂いがしたので、シオドアは勝手に開いた。タコスが入っていた。

「食べて良いですよ。」

と少佐が言った。彼女は空いている席に腰を落ち着けた。

「でも、私はカルロの為に買って来たんです。それを忘れないで。」

 しかしタコスはしっかり3人分だった。ステファン中尉が席に着くと軍人達は食事を始めた。シオドアは少佐に話しかけた。

「俺はジャングルの奥の村で14日いたんだが、中尉に今日の日付を訊いたら、俺が君の家でご馳走になってから4日しか経っていないそうだよ。」
「そうですか。」
「俺を隠してくれたことは有り難いと思っている。だけど、過去に飛ばすのは、ちょっとやり過ぎじゃないか?」
「他に隠す場所を思いつかなかっただけです。」

 ケツァル少佐は手を伸ばしてステファン中尉の口元に付いたサルサソースを指で取り、ペロリと舐めた。シオドアは上官が部下に対して取るには親密すぎるその行為にびっくりした。ステファン中尉も心なしか薄暗い照明の下で赤くなった。
 シオドアは何だか自分が照れ臭くなったので、急いで言った。

「アスルは時間を跳躍出来るのか?」

 

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