2021/06/27

はざま 6

  エステベス大佐の部屋にエステベス大佐はいなかった。それどころか、がらんとした小部屋にあるのは、何も載っていない折り畳みの机とパイプ椅子が数脚だけだった。少佐が書類とUSBを机の上に置き、アリアナに尋ねた。

「ドアを閉めますか、開放しておきますか?」
「閉めます。」

 アリアナは自分でドアを閉じ、パイプ椅子を開いて座った。机の反対側に少佐が座った。そしてやっと自己紹介した。

「初めまして。シータ・ケツァル・ミゲール、大統領警護隊文化保護担当部の指揮官少佐です。公式にはミゲール少佐ですが、ケツァルで通ります。」
「アリアナ・オズボーンです。アメリカ政府管理の国立遺伝病理学研究所で遺伝子の研究をしています。」
「今日はどの様なご用件でしょう?」

 アリアナは単刀直入に用件に入った。

「今朝、シオドア・ハーストの行方不明の件でケビン・シュライプマイヤーと言う男性が貴女を訪ねて来ましたね。私の用件も同じです。ハーストの行方を探しています。彼が何処にいるのか、ご存知ありませんか?」

 すると少佐は彼女が意外に思う質問で返してきた。

「どうしてあなた方は彼を探しているのですか?」
「どうして?」

 アリアナはちょっと腹が立った。

「彼は私と同じ研究所で生まれ、育ちました。兄妹の様なものです。行方がわからない兄妹を探すのは当たり前でしょう?」
「兄妹なら、彼が今何処にいるのかわかるのではないですか?」
「はぁ?」

 アリアナは相手の言葉が理解出来なかった。この人は何を言っているのだ? するとケツァル少佐がフッと溜息を付いた。

「普通の人なんですね。」

と呟いた。

「どう言う意味ですか?」

 すると少佐はアリアナがびっくり仰天する様なことを言った。

「ハースト博士は、彼と貴女が遺伝子組み替えで生まれた人工の人間だと言いましたよ。」
「彼がそんなことを?!」

 ショックだった。シオドアは国家機密を外国の軍人に喋ってしまったのか? 考古学関係の事務仕事をしていても、この女性は軍人だ。狼狽えたアリアナは必死で言い訳を考えた。

「彼は事故に遭って頭が少し混乱しているのです。確かに私達は遺伝子組み替えを行っていますが、微生物のDNA研究で、ワクチンなどの開発をしているだけです。人間の遺伝子を組み替えるなんて、倫理に反したことをする筈がないじゃないですか!」
「そうだとよろしいのですが。」

 ケツァル少佐が薄笑いを浮かべた。

「我々インディヘナも古代からジャガイモやトウモロコシの遺伝子組み替えを行って作物の品種改良をして来ましたからね。」

 彼女は机の上に置いた書類とUSBをアリアナの方へ押し出した。

「ハースト博士はセルバ人労働者の血液サンプルから奇妙なものを見つけたと仰っていました。何かご存知ですか?」
「”7438・F・
24・セルバ”のことですか?」


 言ってから、アリアナはしまったと思った。シオドアはあの血液サンプルの提供者を探しに行って災難に遭った。2度目もあったのかも知れない。自分達の遺伝子がアメリカの国家機密ならば、あの血液サンプルはセルバ共和国の国家機密であってもおかしくない。シオドアがそれに触れてしまい、セルバ共和国政府の怒りを買ったのなら? ケツァル少佐がその始末をする人だったら?
 アリアナの恐怖を感じ取ったのか、少佐が椅子の背にもたれかかって、リラックスした態度を見せた。

「私も部下達も彼の講義は難しくて理解出来ません。しかし彼の研究にあまり良い印象を抱かない人もいます。彼が彼等を怒らせた可能性もあります。彼はもう遺伝子に興味がないと言っていました。その言葉を信じない人々が彼の研究を妨害しようとした可能性も考えられます。」
「では、彼はもう・・・?」
「何処かに隠れているか、あるいは・・・」

 それ以上は言わずに、ケツァル少佐は書類をアリアナの前に更に押し出した。

「大学の彼の研究所にあったものです。私には古代文字の解読より難しい。貴女に持っていて頂いた方が、彼も喜ぶでしょう。」

 アリアナは書類をパラパラとめくって見た。塩基配列の図や計算式がぎっしり書き込まれていた。何のことか判読するのは時間がかかりそうだ。

「ハースト博士の捜索願いは出されましたか?」
「大使館に行方不明届けを出しました。」
「私から内務省にも働きかけておきましょう。全国の警察に手配をかけてもらいます。」
「有り難う。」

 もしかして、ケツァル少佐は良い人? アリアナは少し希望を持てた気になった。

「大統領警護隊と言うのは、どの省庁の管轄ですか?」

 ちょっとした質問だ。少佐が立ち上がってドアまで行った。

「大統領直轄の軍隊です。国防省と関係はありませんが、3軍の指揮権を場合によっては任せてもらえます。希望はしません。そんなことがあれば、国家の危機ですからね。ところで、帰国される迄貴女に護衛を付けたいと思いますが、よろしいですか?」

 アリアナは戸惑った。

「ハーストの護衛をしていた男性達がいますが・・・」
「ああ・・・」

 ケツァル少佐はシュライプマイヤーを思い出したらしく、鼻先で笑った。

「あの人では貴女を守りきれません。」

 それはどう言う意味か、と訊く前に少佐がドアを開いて、「マハルダ!」と外に声を掛けた。はい!と元気良い声が応えて、部屋の前に若い女性が駆け寄った。先刻は室内にいなかった女性だ。ケツァル少佐より若く、綺麗な黒髪をポニーテールにして後ろに垂らしている。彼女もカーキ色のTシャツにジーンズだった。キラキラ輝く陽気な目をしていた。少佐が紹介した。

「マハルダ・デネロス少尉です。少尉、こちらはアリアナ・オズボーン博士です。アメリカへお帰りになる迄護衛を命じます。」
「ウン プラセール コノセールテ!」(よろしく!)

と言って、デネロス少尉が手を差し出したので、アリアナは立ち上がって彼女の手を握り返した。何だか安心出来る暖かな手だった。


 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

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