2021/07/01

アダの森 10

  シオドアとケツァル少佐は負傷したロホを連れて死者の村を迂回し、ティティオワ山の山頂南壁へ登った。北壁の切り立った崖と違って、こちら側は緩やかな斜面で、それだけ歩く距離は長くなる。シオドアは少佐が何故このルートを登るのか理由がわからなかった。勿論ジャングルを歩くのは障害物が多く、もっと難しい。それに大きな山の裾は山頂の周回より距離がある。しかし南の地方からオルガ・グランデへ通じる幹線道路が走っているのは山裾だ。アンゲルス鉱石が掘り出した鉱石を港まで運ぶ運送路でトラックの交通量が多い。セルバ共和国陸軍の輸送隊も毎日その道を利用する。実際、ロホもその道を目指してジャングルを抜けて行こうとした。そして同じことを考えたゲリラに追いつかれ、捕まった。
 ティティオワは有史以前に活動を停止した複成火山だ。南斜面の上部に側火山の噴火口が残っていた。小さいながら綺麗な円形をした緑色の水の池を見て、シオドアはちょっと驚いた。エル・ティティ警察署にあるティティオワ山の地図に記載されていなかったからだ。
 ケツァル少佐がシオドアに止まれと合図した。

「”入口”です。ここで休憩します。」

 つまり、ステファン中尉が合流するのを待つのだ。シオドアは古い溶岩由来の岩陰にロホを下ろした。包帯に血が滲んでいるが、出血は昨夜ほどではなさそうだ。シオドアは少佐が下ろしたリュックからオレンジジュースのパックを取り出した。開封してロホの唇に少し掛けてやると反応したので、右手を支えてやって怪我人が飲みたいだけ飲ませてやった。自身は水筒の水が半分残っていたので、少佐と分け合った。水を飲むと少佐は見張りのために岩陰から出て行った。
 水分と糖分を摂取したお陰で、ロホは少しだけ気力を取り戻した様だ。泥だらけかすり傷だらけのシオドアの顔を見上げて、微かに笑った。シオドアも微笑み返し、ステファン中尉はまだだろうかと岩陰から顔を出した。少佐が左手10メートル程離れた岩の上に座って斜面の下を眺めているのが見えた。
 シオドアは小石が転がる微かな音を耳にした。右側からだ。シオドアは少佐を見た。彼女は気がついていない。またジャリッと音がした。敵でも味方でもどっちでも良い、少佐に教えなくては。
 シオドアは咄嗟に喉の奥でクッと音を立ててみた。途端に少佐が岩の向こう側へ飛び降りて姿を消した。
 物音が大胆になった。岩の上の少佐が消えたからだ。向こうは早くに少佐を見つけていた。シオドアは腰から拳銃を抜いた。それから少佐が持って来ていたロホのアサルトライフルの存在を思い出した。銃器はロホの傍に置かれていた。
 今のロホに自動小銃の類を使用するのは無理だ。シオドアは静かに岩陰の奥に戻ると、ロホの右手に拳銃を握らせた。そして自分はアサルトライフルを手に取った。約4キロのライフルの重さが手にずっしりと来た。守るべき命の重さだ。再び岩陰の外に出て、身を伏せた。
 迷彩服の男が旧式のAKを構えながら近づいて来るところだった。ディエゴ・カンパロだ。しかも1人だった。シオドア達が水辺でロホの手当をしていた間に斜面を登って先回りしていたのだ。何故手下を連れていない? シオドアは不安になって反対側を見た。幸い背後は誰もいなかった。ホッとした途端、銃声が響き、すぐそばの岩の表面が弾かれた。見つかった。シオドアは首を縮めた。ライフルを構えようとしたが、また銃弾が飛んで来た。

「止めなさい!」

 ケツァル少佐が怒鳴った。カンパロが銃口の向きを変えた。

「こいつは驚いた! アンタ、ケツァル少佐じゃないのか? まさかこんな場所で本物にお目にかかれるとはな!」

 シオドアはギョッとした。彼女は敵の前に姿を曝したのか? 彼はそっと岩陰から顔を出した。
 ケツァル少佐が先刻まで座っていた岩の下でアサルトライフルを構えて立っていた。カンパロとの距離は200メートル程だ。互いに銃口を向け合って立った。

「1人で来たのですか?」

と少佐。カンパロがニコリともせずに答えた。

「怪我人を抱えたアメリカ人の相手は俺1人で十分だと思ったのでね。」

 そして彼は自嘲気味に言った。

「手下の言うことを信じるべきだったな。誰もいない筈なのに、いきなり殴られたってよ・・・」
「捕虜を救出した人間が同時に陽動作戦を行える筈がないでしょう。」
「そうだな・・・”ヴェルデ・シエロ”を捕まえたんだ、仲間がやって来てもおかしくなかった。」
「大統領警護隊が”ヴェルデ・シエロ”だなんて、誰がお前に教えたのです?」

 シオドアは少佐がカンパロを撃たなかった訳がわかった。アメリカ大使館の動きを知ることが出来て反政府ゲリラに情報を流している人物が存在する可能性を、シオドアは語った。少佐は真面目に聞いてくれていたのだ。

「誰だろうと関係ないだろ。アイツらにとって、俺はただの”出来損ない”だ。俺に名前を名乗る様な連中じゃねぇっ!」

 ”ヴェルデ・シエロ”の血を引く異種族の子孫達を”ヴェルデ・シエロ”の純血至上主義者達は、侮蔑の意味で”出来損ない”と呼ぶのだ、とメスティーソのステファン中尉が教えてくれた。しかし大部分の”ヴェルデ・シエロ”のメスティーソ達は能力を発現させられない故に、自分達のルーツを自覚することもなく普通の人間として普通に暮らしているのだ。
 ディエゴ・カンパロは自分の祖先を知っている。”出来損ない”であることにコンプレックスを抱いている。つまり、この男は、”出来損ない”らしく、中途半端に超能力を持っているのだ。だから、ここへ1人でやって来た。
 なぁ、ケツァル少佐、とカンパロが睨み合ったまま声をかけた。

「アンタが俺の心を読もうとして失敗したのは、わかるぜ。俺に”心話”は無理だからな。そして俺は、そこの岩陰でさっきの銃撃に腰を抜かしたアメリカ人と怪我をして動けねぇジャガーの兄さんの気配がわかる。今、アンタがその銃で俺を撃っても、俺はあの2人を道連れにする程度の力がある。アンタと相討ちになることも有り得る。どうする? このままじっと睨み合って、ジャガーの兄さんが弱って死ぬのを待つかい?」
「否、待たないね。」

 不意にシオドアの頭の上で声がした直後、銃声が響いてカンパロの頭から血飛沫が上がった。ケツァル少佐の銃も火を吹いた。連射を胴に受けてカンパロの体が背後に吹っ飛んだ。手首を撃たれ、A Kも飛んだ。
 シオドアは地面に伏せていた。見たくなかったし、見る勇気もなかった。
 銃声が止み、シオドアとロホの身を守っていた大岩からステファン中尉が飛び降りた。その勢いのまま斜面を下って、ズタズタになったカンパロの死骸に近づいた。

「悪いな、俺も”出来損ない”なんで、お前を生け捕る技量がなかったんだ。」

 そう呟いて、中尉は死骸にぺっと唾を吐き捨てた。彼の横にケツァル少佐が来た。

「グラダ・シティの”ツィンル”の中に良からぬ振る舞いをする者がいる様です。」

 彼女の言葉に、中尉が上官を見た。強張った表情で尋ねた。

「確かですか?」
「コイツがそう言いました。その者がドクトルをコイツに売り、コイツはその者にロホを売ろうとしたに違いありません。」
「ロホはブーカ族の貴族の子ですから、身代金を狙ったのでしょう。」

 少佐はカンパロの死骸に興味を失ったのか、視線を部下に移した。

「遅かったですね。貴方の方が先に来ていると思っていました。」
「”赤い森”を殲滅させたので時間を喰いました。遅れて申し訳ありません。」

 少佐が天を仰いだ。

「私の部下達は、どうして命令外のことをするのでしょう?」


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

部下を絶対に信用する。
部下を絶対に守って見せる。
だから、余計なことはするな、カルロ、そしてテオ・・・ 

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