2021/07/01

アダの森 11

  ステファン中尉がシオドアの所へ上がって来た。シオドアは立ち上がって、ディエゴ・カンパロだった男の死骸を見ないように心掛けながら、ロホのそばへ行った。リュックから最後のオレンジジュースのパックを出して、日陰に入って来たステファン中尉に差し出すと、中尉は首を振って断った。

「それは貴方とロホで飲んで下さい。」

 そしてロホの前に屈み込んで僚友の傷の具合を見た。シオドアが説明した。

「少佐が応急処置を施したんだ。カンパロは彼の肩の関節を故意に刺していた。」

 ステファン中尉はロホの左手に触れた。

「感覚はあるか?」

 ロホが小さく頷いた。指を動かして見せた。ステファン中尉がシオドアを見上げた。

「大丈夫です、病院で診て貰えば元通りに治るでしょう。」
「出血が酷かった。感染症も心配だ。早く連れて帰ろう。」
「今度は私がロホを背負います。」

 ステファン中尉もゲリラ相手に戦って来たのだ。疲れているのはお互い様だとシオドアは思ったが、彼の体力もそろそろ限界に来ていたことは確かだった。ロホをステファン中尉の背中に載せるのを手伝ってから、リュックを背負った。
 岩陰から出ると、ケツァル少佐は既に火口の縁に登っていた。足元が岩から崩れやすいガレに変化していたので、歩いて登るのが難しかった。シオドアはステファン中尉の横に並んだ。

「さっき”赤い森”を殲滅したと言っていたけど、カンパロの手下全員を倒したのかい?」
「スィ。連中は全員手配書が廻っている男達でした。どの男も少なくとも4、5人は殺している悪党共でした。」
「俺は自分が無事だったのが不思議に思うよ。」
「貴方は最初の夜に逃げ出せたからです。1回目の要求にアメリカ大使館が応じなければ、耳や指を切り落とされるところでしたよ。」
「ロホには本当に感謝している。」
「ロホも貴方に感謝していますよ。ずっと背負って逃げてくれたのですから。」

 中尉が背中のもう1人の中尉に「なぁ?」と声をかけた。ロホがスィと呟いた。
3人がクレーターの縁に辿り着くと、少佐が「遅い」と文句を言った。そして今度は緑色の池に向かって急斜面を下り始めた。シオドアは驚いた。

「こんな斜面を怪我人を背負って降りられるものか!」

 ステファン中尉が意見を言う前に、少佐が足を止めて振り返った。

「通れる場所を探して降りて来なさい。」

 シオドアはステファン中尉を見た。ちょっと呆れた。

「思い遣りが欠けてないか?」
「いつもの彼女です。」

 通り道を見つけるのは名人の”ヴェルデ・シエロ”だ。ステファン中尉はすぐに九十九折に降りて行けるルートを見つけた。それでも足元は登りより慎重になった。

「さっきのカンパロを撃った時は、彼女は弾を必要以上に撃ち込み過ぎたんじゃないか? 君の狙撃でアイツは既に死んでいただろう?」

 シオドアが意見を言うと、ステファン中尉が苦笑した。

「部下を傷つけられて激怒していたので、抑制が効かなかったのでしょう。少佐を怒らせると本当に怖いですよ。」

 池の畔で少佐が待っていた。シオドアは何故こんな場所に彼女が皆んなを連れて来たのか理由がわからなかった。立ち止まって火口の壁を見上げていると、少佐の横に立ったステファン中尉に呼ばれた。

「少佐と私の間に立って下さい。」

 意味がわからぬまま、言われた通りに立つと、少佐に手を握られた。びっくりしたが、さらに驚いたことに、反対側の手をステファン中尉に握られた。
 少佐がロホに声を掛けた。

「ロホ、しっかりカルロにしがみついていなさい。跳びますよ。」
「跳ぶって?」

 シオドアの質問が終わるか終わらぬかのうちに、少佐とステファン中尉が同時に池に向かってジャンプした。シオドアは思わず叫び声を上げていた。


 シオドアはいきなり草が生えた大地の表面に倒れ込んだ。水じゃない、と思った瞬間に背中に恐ろしく重い物がのしかかった。

「グエ・・・」

 胸から空気が押し出され、彼はうめき声を上げた。潰れるかと思った。上の方でケツァル少佐の声が聞こえた。

「着地失敗・・・いつものことだけど。」

 首を動かして見上げると、バナナの木に少佐が引っかかっていた。
 シオドアの背中でステファン中尉の声が言った。

「もう少し上達して頂けませんか?」
「ごめんなさい。」

 少佐がバナナの木から飛び降り、重なり合っている男達のそばに駆け寄った。

「ロホが下にならなくて良かった。」

 彼女はまず一番上にいたロホに肩を貸して、ステファン中尉から下ろした。ステファン中尉が起き上がり、シオドアは命拾いした。起き上がって周囲を見回すとバナナ畑だった。まだ小さな実が房になって木からぶら下がっている。畑の向こうの方で車が走る音が聞こえた。

「大丈夫ですか?」

 ステファン中尉が気遣ってくれた。シオドアは大丈夫と手を振った。咳が出た。

「池に跳び込んだと思ったけど・・・?」
「”通路”を通ったのです。」
「”通路”?」
「空間の隙間・・・みたいなものです。」

 上手く説明出来ないと言いたげに、ステファン中尉は肩をすくめた。ロホは近くのバナナの木にもたれかかって座っていた。まだかなり辛そうだ。痛み止めが医療キットにあった筈、とシオドアはリュックを下ろそうとした。近くで車のエンジンがかかる音がした。少佐がバナナの葉で隠していたジープを動かしたのだ。

「オルガ・グランデ基地へ行きます。ロホを軍医に診せてから、貴方をエル・ティティへ送りましょう。」

 シオドアは車を眺め、それからバナナの木の下の2人の中尉を見た。

「少佐、訊いてもいいかな?」
「何ですか?」
「さっきのテレポーテーションみたいなことが出来るんだったら、山に登ったりしなくても良かったんじゃないか? それに今も、直接基地に行けば良いだろう?」

 少佐がハンドルにもたれかかって溜息をついた。

「ドクトル、私はテレポーテーションなどしていません。”通路”を通っただけです。”通路”は出入り口が決まっているのです。何処からでも入れる訳ではなく、何処へでも好きな場所に出られる訳でもありません。」
「つまり、今回は、あの池とこの畑が繋がっているだけ?」
「そうです。」

 少佐は説明が面倒臭くなったらしい。部下に大きく腕を振って見せた。

「早く怪我人を乗せなさい。置いていきますよ。」


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

原作では、”出口”から最初に出たのはステファン、シオドア、ロホの順だった。
少佐はシオドアに「早くカルロから降りて下さい」と催促する。
後にミゲール大使の部屋に”出口”ができた時もステファンが最初で、アリアナ、シオドア、少佐が上に乗っかって着地。
ステファンが「どうして私がいつも下なんだ?」と文句を言うが、ブログ版ではこの台詞が使えなくなった。
ロホを背負うのがシオドアからステファンに交替したからだ。

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