2021/07/11

異郷の空 18

  昼前にアリアナ・オズボーンが帰宅した。酷く焦燥感を漂わせながら、家に入ると出迎えたシオドアに抱きつき、それから鞄をソファの上に投げ出してバスルームに真っ直ぐ向かった。

「君に挨拶ぐらいすれば良いのにな。」

 シオドアは”妹”の無礼をケツァル少佐に謝った。少佐は鞄が投げ出されたソファの真ん中に座っていたのだ。少佐はコメントせず、窓の外を振り返って見た。アリアナの車が車庫の外にある。シオドアの車を車庫に入れたからだ。路上に1台セダンが停まっていて、運転席と助手席にいる男達がこちらを見ていた。

「彼女は監視されていますね。」
「俺達も見られたかな?」
「貴方は車があるから、ここにいると連中はわかっているでしょう。」
「君は見られた?」
「見えていないと思います。」

 少佐は「私は猫ですから」と意味不明のことを呟いた。シオドアは先刻まで座っていた彼女の向かいの椅子に座った。

「アリアナは今朝風呂に入らなかった。彼女の習慣じゃない。清潔好きなんだ。」

 少佐がフンと鼻先で笑った。

「彼女の体からカルロの匂いがプンプンしていました。」

 シオドアはある考えに至って、ドキッとした。バスルームの方を見て、寝室の方角を見た。アリアナは庭先で拾った黒い猫に魅了されていた。彼を手当てして自身の体温で彼を温めてやった。それだけで満足しただろうか? シオドアが少佐を迎えに出ていた時間、2人はどうやって過ごしたのか。

「やばいかも・・・」

と彼が呟くと、少佐が不思議そうに彼を見た。

「どうしてです? カルロも彼女も大人ですよ。」

 シオドアは彼女を振り返った。少佐はアリアナがステファン大尉を誘惑したことに気がついていたのだ。だが、その行為の重要性には気がついていない。

「エルネストは彼女がステファンに何をしたか悟ったんだ。彼女の体にはステファンの遺伝子が残っている可能性があった。だから、エルネストは彼女に体を洗わずに研究所に来いと命じたんだ。」

 ケツァル少佐はやっとシオドアの憂慮の内容を理解した。ああ、と軽く相槌を打った。ちょっと痛ましいものを見るようにバスルームの方を見た。

「彼女には侮辱的な体験だったでしょうね。」
「それは・・・確かに彼女は気の毒だが・・・」

 どうも少佐と物事の見解がズレている、とシオドアは感じた。

「”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を研究所が手に入れてしまったってことだ。」

 彼はテーブルの上に体を乗り出して、少佐に顔を近づけた。

「いいかい、連中はステファンを捕まえた。だけど、彼はしっかりした自我を確立させた成人で、他人に操られることはない。薬やなんかで意識を混濁させて精神状態を弱らせ、研究所の言うことを聞かせる方法があるが、彼の様に強力な超能力を持つ人間を調教なんて出来っこないんだ。つまり、彼は本当に研究所が手に入れた初めての”本物”だから、まだ誰も調教の仕方を知らないんだ。操ろうとしても、絶対に無理だ。彼の力の本当の大きさを誰も知らないからね。無理やり従わせたら却って危険な事態になる。その程度の予測は連中も出来る。
 ステファン本人は兵器として使えないから、彼の遺伝子を使って使える人間を作るんだ。普通の人間の遺伝子情報に組み込んで超能力を使えるようにする。或いは時間はかかるが、彼の子供を作って研究所が操れる人間に育てる。」

 シオドアは自嘲した。

「思い出したんだよ、少佐。 俺がやっていた研究が、正にそれだったんだ。俺は変わった能力を持つ人間の遺伝子を集めて、分析して、兵器として応用出来る方法を研究していたんだ。だから、研究所は俺を野放しにしてくれないんだ。」

 少佐が理解した、と頷いた。

「カルロは種馬として捕まえられたのですね。」

 シオドアの目に、彼女はそんなに重要なことと考えていない様に映った。

「セルバの人口は120万です。そのうち純血の先住民は5パーセント、そのうち”ヴェルデ・シエロ”はその0.5パーセントです。メスティーソの”ヴェルデ・シエロ”が何人いるのか、私にはわかりませんが、かなりの人口になります。種馬の価値は大したことではありませんが・・・」
「そう言うことじゃなくて・・・」

 アリアナがバスルームから出て来た。バスローブを纏って、真っ直ぐ寝室へ入って行った。

「セルバ共和国は国を挙げて神様の遺伝子を守っているじゃないか。血液サンプルの持ち出しだって難しい。現にアンゲルス鉱石で採取したサンプルも全く偶然に”それらしい”ものが1件あっただけだ。セルバ人は外国に行っても、多分正体がバレないように用心している筈だ。研究所が手に入れられる遺伝子は、捕まえた男のものだけなんだ。」

 シオドアは結論を言った。

「ステファンを救出するのが一番の目標だが、遺伝子のデータも消さないといけない。」

 少佐が天井を見上げた。暫く考えてから、視線を彼に戻した。

「では、役割分担をしましょう。カルロは私が救出します。貴方はデータを消して下さい。」

 そんなに簡単に言って良い訳? シオドアは彼女の楽観主義は何処から来るのだろう、と疑問に思った。


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ここでの少佐の人口計算を信じると、「空の緑」はてても少ない。
実際少ないのだが、物語では結構いるやん、と言う感じがある。
だから少佐の計算は「100%単一部族の純血種」の計算だろうと思われる・・・

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