2021/07/15

異郷の空 27

  ケツァル少佐はシオドア・ハーストが知らなかった研究所の地下通路を設計図から見つけていた。食堂の厨房の冷蔵室から入って行くのだ。シオドアと警備兵から奪った制服を着たステファン大尉、それに赤いジャンパーを着た少佐は職員達が食事をする食堂を横切った。地下施設では超能力者達が収容室から逃げ出し、騒動になっているのに、誰も気が付かない。彼等の職場のコンピューターが狂ってしまっていることにまだ気が付かない。シオドアが連れている警備兵が捕虜だった男だとも思わないし、ましてや場違いな姿の少佐にも関心を持たない。
 シオドアは内心ケツァル少佐の人間の心を操る能力はどれだけの規模なのだろうと、畏怖を覚えていた。神様を敬う古代の民衆の気持ちがわかる気がした。”ヴェルデ・シエロ”は民衆を操り国家を維持し、天文学で気候を観測して神託で民衆に農作物の収穫時期や天災からの避難を伝え、栄えていた筈なのに、どうして歴史に痕跡を残さず表舞台から消えてしまったのだろう。生き残った子孫達が細々とその能力を生業に使い、普通の民衆に敬われながらも畏れられ、出自を隠して生きて来たのは何故だろう。
 冷蔵庫の奥にある扉を開けると、暗い通路が伸びていた。だが決して不潔な場所ではなかった。シオドアが中に足を踏み入れると自動的に照明が点灯した。最後に中に入った少佐が扉を閉じた。

「このトンネルは何処に繋がっているんだ?」
「赤い屋根の給食センターです。」
「はぁ?」
「貴方は、毎日食べていた食事が何処から運ばれて来ているのか、知らなかったのですか? 研究所の厨房はセンターで作られた料理を温めているだけですよ。」

 勿論少佐の知識も昨日インターネットで得たものだ。彼女は時計を持っていなかったが、シオドアより時間感覚は正確だった。

「1600過ぎにセンターから夕食が運ばれます。其れ迄にこの通路を抜けましょう。カートに通り道を塞がれたら面倒ですからね。」

 彼等は歩き始めた。人感センサーになっているらしく、歩く先々で照明が点灯し、歩いた背後で消灯されていく。シオドアの足音だけが響くので、彼は気になった。軍靴を履いているのに、セルバ人達は足音を立てない。こいつら、猫の足を持っているのか?
 冷蔵庫ほどではないが、通路内の空気は冷たく、乾いていた。シオドアは天井を見た。照明は埋め込み式だ。声を響かせたくなかったが、黙っていると息が詰まりそうな気がして、彼はステファン大尉に話しかけた。

「ここにコウモリはいないよな?」

 彼等が出会ったオクタカス遺跡の洞窟を思い出した。ステファンも同じことを思い出したのだろう、ちょっと笑った。

「コウモリが飛んで来たら、追い払ってあげますよ。」
「石は飛んで来ないだろう。」
「しかし銃弾が飛んで来る可能性は否定出来ません。」

 男達の無駄口を最後尾で聞いていた少佐が呟いた。

「そもそも、何故あの"風の刃の審判”があの時に起きたのか?」

 シオドアは彼女を振り返った。

「古い建造物が劣化して崩れたんだろう?」
「天井の穴を塞いでいた木や石が落ちた程度で、サラではなく通路にいた発掘隊に重軽傷者が出る事故になるとは思えません。”風の刃の審判”にかけられる咎人は、天井の穴の下に立たされるのです。」
「つまり?」
「落ちた石の破片が吹き飛ぶ様な力が人為的に加えられたと考える方が妥当です。」

 ステファン大尉が足を止めたので、彼女も止まった。シオドアも立ち止まった。大尉が少佐に尋ねた。

「あれは事故ではなく、何者かが発掘隊を狙った事件だと仰るのですか?」
「恐らく・・・」

 少佐はシオドアを見た。

「あの時、ドクトルはママコナの興味を引いてしまい、私が彼をオクタカスに隠しました。”砂の民”はママコナが興味を失えば、ドクトルを追跡したりしません。一族の脅威でない者を殺しては、却って危険だからです。」
「リオッタ教授は・・・」

 シオドアは当時のことを思い出そうとした。

「まだあの時、”消えた村”の話を知らなかった。だから、彼が狙われた訳じゃない。俺も脅威じゃないと思ってもらえたのなら、俺が狙われた訳でもない。」

 彼はステファンを見た。少佐も見たので、ステファンはたじろいだ。

「私が狙われたとでも?」

 彼は鼻先で笑い飛ばした。

「私はドクトルの護衛をしていたのです。ドクトルの行動を知っておかなければ、私があの洞窟に入ると知ることは出来ない。あの日、ドクトルは現場に行ってから、洞窟に入ることを決めたのでしょう?」

 シオドアは記憶の中を必死で検索した。

「洞窟に入ろうと誘われたのは、遺跡へ行く途中のトラックの上だ。そこで洞窟に入ることを決めて、君のキャンプ迄登るのを止めた。メサへ行かないと君への伝言を警護隊の兵士に頼んだんだ。」

 一瞬、通路内の空気が緊張した様な感覚をシオドアは覚えた。気温が摂氏で1度ほど下がった様な感覚だ。 少佐が部下を見つめた。

「カルロ、何か思い当たる節でもあるのですか?」

 ステファンが上官を振り返った。

「誓って言います、私はあの日、伝言を持って来た筈の兵士に会った覚えはありません。」
「ええ?!」

 シオドアはびっくりして声を上げてしまい、慌てて自分の口を手で塞いだ。通路内に彼の声が響いた。それが静まるのを待ってから、彼は言い張った。

「兵士は君に伝えると言って、確かにメサの方角へ車で走って行った。」
「私はその男に会っていません。ドクトルとボディガードが来なかったので、自分でメサを下りて様子を見に行ったのです。そしたらドクトルは発掘隊と一緒に洞窟に入る準備中でした。」
「その兵士は・・・」

 少佐が少し考えてから質問した。

「メスティーソでしたか、それとも純血種?」

 シオドアはまた考え込んだ。兵士達は軍服を着てヘルメットを被り、誰もが同じに見えた。だが、伝言を引き受けた兵士は、トラックの上で何度か彼やリオッタ教授に話しかけて来た。発掘隊のメンバーが話をしていると、近くに立っていることが度々あった。

「彼は先住民だったと思う。はっきり覚えていないんだ。」

 また気温が1度下がった気がした。今度はステファンが少佐を見つめた。

「少佐、何か思い当たることでも?」

 しかし、ケツァル少佐は答えなかった。進みましょう、と彼等を促しただけだった。

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第11部  紅い水晶     21

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