2021/07/19

聖夜 8

 シオドアとアリアナが応接室でくたびれてぼんやりしていると、フナイ理事官が来て、審査終了を告げた。

「今日は遅くなりましたので、大使私邸へお戻り下さい。ご案内します。」

 2人は大使館と私邸を繋ぐ扉まで案内された。扉を閉じる時に理事官が微笑みを浮かべて言った。

「きっと明日の夕刻にはセルバへ到着出来ますよ。」

 扉が閉じられると、アリアナが全身の力を抜いてふらついた。シオドアは彼女を支え、2階へ上がるとメイドに告げた。メイドが何か温かい飲み物をお持ちしましょうと言ってくれた。彼女はメスティーソで、”ヴェルデ・シエロ”なのか”ヴェルデ・ティエラ”なのか、シオドアにはわからなかった。もしかすると普通のヒスパニックの使用人かも知れない。
 審査官は小部屋で報告書を手早くまとめたが、手の震えがなかなか止められなかった。興奮を感じていた。報告書を送信すると、彼は荷物をまとめ、大使の執務室へ行った。
 執務室には彼の同僚が2人いた。大使館の武官エドガルド・ファルコ少佐と文化保護担当部のシータ・ケツァル少佐だ。審査官はシーロ・ロペス少佐、つまり大使執務室には大統領警護隊の少佐が3人も揃った訳だ。ロペスが入室した時、ファルコ少佐が警察の遺体安置所からカメル軍曹の遺体を無事回収した報告を行っていた。

「棺に入れて、明日ケツァルが付き添って帰国する予定です。これでカメル軍曹もカメルの家族も安心出来るでしょう。」

とファルコ少佐は真面目な顔で報告した。彼は前の晩にケツァル少佐からカメル軍曹の遺体回収の相談を持ちかけられ、この日の朝2人で出かけたのだ。家族が遺体を引き取ると言う簡単な”操心”で安置所からカメル軍曹を運び出し、用意したレンタカーで戻って来た。防犯カメラに映ったのは殆ど後ろ姿かフードを被った人物だけだ。少佐級の2人の共同作業だったので、物事はスムーズに運んだ。

「余計な仕事をさせて申し訳なかった。今日は報告書を提出したらそのまま帰ってよろしい。」

 大使の言葉に武官は敬礼した。そして初めて審査官に気がついたふりをした。

「おや、ロペス、遥々本国から出張か?」

 敬礼で挨拶を交わしてから、ロペス少佐は「珍しい事案があってね」と言った。そして大使に向き直った。

「テオドール・アルスト及びアリアナ・オスボーネの亡命申請に関する面接審査を終了しました。」
「ご苦労。」
「本国からの返答は、問題がなければ、今夜の内に連絡が来るでしょう。」
「問題とは?」

 ロペス少佐審査官はケツァル少佐をチラリと見てから大使に言った。

「大統領警護隊文化保護担当部のカルロ・ステファン大尉がナワルを使った件です。」

 部屋を出ようとしたファルコ少佐が足を止めた。ドアノブにかけた手を引っ込め、ロペスを見た。

「ステファンがナワルを使った?」

 あの”出来損ない”が? と言う響きを聞き取ったケツァル少佐が、何か問題でもあるのかと抗議を込めて言った。

「スィ、彼は使えますよ。」
「使ったどころか・・・」

 ロペス少佐は強ばった表情で大使を見つめた。

「アリアナ・オスボーネが目撃してしまった。しかも、普通のジャガーではない。エル・ジャガー・ネグロです!」

 ファルコ少佐が驚愕して一同を見た。大使が両手を机の上で組んだ。

「私は本国にそう報告した筈だがね、ロペス少佐。」
 
 たじろぐロペス少佐に、ケツァル少佐が微笑みかけた。

「本気にしなかったのですね、本部の連中は?」

 ファルコ少佐が彼女を見た。

「そう言えば、君は新入隊の若者達を見た時、私に『グラダがいる』と言ったな・・・」
「覚えていたのですか? エドガルド、貴方はあの時笑ったでしょう。」
「グラダの血を引く者は多い。殆どはブーカ族かサスコシ族だ。だがグラダを名乗れる様な濃い血統の人間は存在しない筈だ。」 
「では、私は何なのでしょう?」
 
 ケツァル少佐に問われて、2人の男性少佐は黙り込んだ。大使が少佐達のお喋りに終止符を打つために、ロペス少佐に声をかけた。

「ドクトラ・オスボーネがステファンのナワルについて口外することはないだろう。彼女はセルバ人の能力を初めて目撃した折に、他人に喋って精神障害を疑われた。2人の博士の亡命に本国は拒否する理由を持たないと思うが。」

 ロペス審査官は大使の言葉に、彼が渡米してきた本来の役目を思い出した。

「本国から亡命の許可が下り次第、彼等の渡航手続きを開始します。アメリカ側の妨害が入るとウザいので、明日可能な限り早い便で彼等を連れて帰ります。」
「我が国の国民を救ってくれた恩人達だ。丁重に頼むぞ。」

審査官は軽く頭を下げて、承ったと表現した。

「今夜は大使館で休ませていただきます。」
「部屋を用意させよう。食事はうちに来ると良い。」
「グラシャス。」

 ケツァル少佐が武官を見た。

「貴方も来る?」

 ファルコ少佐は首を振った。

「ノ、私は報告書を書いたら自宅に帰る。では、また明日。」

 彼は大使に挨拶をして、ロペス審査官とケツァル少佐には敬礼をして出て行った。ロペスが呟いた。

「相変わらず固い男だ。」
「奥方に忠誠を誓っているだけです。」

 ケツァル少佐も大使に向き直った。

「報告書を書いたら帰宅します。」
「早く行きなさい。」

と大使。

「君達がいると、参事官や書記官が怖がって部屋に入って来ない。」



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