航空機は何度乗っても好きになれない、とカルロ・ステファン大尉は思った。空港迄送ってくれた大使館の書記官は、彼と入れ違いにアメリカに入国する移民審査官を拾って帰ると言っていた。ステファンは一人で飛行機に乗った。ケツァル少佐は今朝迄彼と一緒に帰国するつもりでいたらしいが、パスポートを持って来るのを忘れたことに気がついて、早朝から大騒ぎした。大使館で再発行してもらう迄、カメル軍曹の遺体引き取りを依頼したファルコ少佐の手伝いをすると言って彼女は出かけてしまい、結局彼は一人で帰国したのだ。
入国審査は直ぐに済んだ。パスポートと共に大使館に預けていた緑の鳥の徽章を係にチラリと見せると、殆どフリーパスで通された。元々荷物らしい物を持っていなかったので、税関も簡単に通った。
ロビーに出ると、迎えがいた。大統領警護隊の見事なオーラを放ったトーコ副司令官だった。ブーカ族とマスケゴ族のハーフで純血種に違いないのだが、複数部族の血が混ざっているので単独部族の純血を重んじる所謂純血至上主義者と仲が悪い人だ。訓練をサボったり規律を守らなかったりする若い隊員達に大変厳しいが、真面目に軍務に励む者には優しい面も見せる。ステファンは私服であることを後悔した。大使館では目立たない様にと私服着用を命じられたが、母国に帰って来たら、やっぱり軍服を着用したかった。持っていないのだから仕方がなかったが、きちんと軍服で決めている上官に対して失礼だと自身を責めた。
ステファン大尉は副司令官の前に立って敬礼した。
「大統領警護隊文化保護担当部、カルロ・ステファン只今任務終了にて帰還致しました。」
「ご苦労。」
副司令官が敬礼を返してくれた。
距離をおいた場所を歩いて行く観光客が囁きあっているのが聞こえた。軍人だ、かっこいい! セルバの兵隊ってクールだね・・・等々。
トーコ副司令官はそんな雑音を聞こえないふりをして、来いと合図した。ステファンは大人しくついて行った。実を言えば、迎えが来るなど予想だにしていなかったのだ。自分でタクシーでも拾って大統領警護隊本部へ帰国報告へ行くつもりだった。どうして副司令官が俺の出迎えにお越し下さったのだ? もしかして、これは任務完了出来なかったことのお咎めか?
防弾ガラス仕様の大統領警護隊公用車がVIP用出口に停まっていた。普通の隊員が乗るジープや軍用トラックとは違う。どうなっている? ステファンは戸惑った。副司令官が公用車の後部席に乗り込み、彼にも乗れと手を振ったので、ますます混乱しそうになった。せめて”心話”で事情を説明してくれれば良いのに、と思いつつ、彼は上官の隣に座った。
公用車が走り出した。トーコ副司令官が、窓の外を眺めるふりをしながら話しかけて来た。
「ナワルを使ったそうだな。」
ステファンはドキリとした。彼は”出来損ない”の隊員で、”心話”しか使えない落ちこぼれだと言うのが、警護隊での常識だったのだ。
「生き延びたい一心で無意識に使ってしまった様です。許可なく変身しました。申し訳ありませんでした。」
「許可なく、か・・・」
トーコがフッと笑った。
「誰もお前が変身出来るとは想像すらしなかったのだ。許可など要らぬ。」
彼はやっとステファンを振り返った。
「お前が入隊した時、ケツァルがお前を指してグラダがいると言った。しかし誰も本気にしなかった。だが・・・」
トーコ副司令官は視線を前に向けた。
「グラダはグラダを見分けたのだ。気づくべきであった。」
「私の母は、遠い祖先にグラダを持っています。しかし、グラダと呼ばれる濃い血は持っていません。」
「本当にそう思っているのか?」
再びトーコはステファンを見た。
「お前の父親は何者だ?」
「私の父?」
ステファンは遠い記憶を探ろうとした。彼には2歳年下の妹がいる。その妹が生まれるか生まれないかの内に死んでしまった父を、彼は覚えていなかった。記憶に微かに残っているのは大きな力強い男のぼんやりとした陰だった。
彼の目を見ていたトーコががっかりした表情になった。
「父親を亡くした時、お前はほとんど赤ん坊だったのだな。」
「母は父のことを何も教えてくれません。尋ねるといつも泣くばかりで話にならないのです。近所の人の話では鉱山で働いていて落盤事故で亡くなったと言うことです。」
トーコが一瞬緊張した、とステファンは感じた。車内の空気がビーンと張り詰めた感触がした。運転手の隊員もびっくりした様だ。運転席と後部席の間にはシールドがあって会話は聞こえない筈だ。運転手はトーコの気に驚いたのだ。トーコが固い表情で尋ねた。
「鉱山と言ったか?」
「スィ。」
「オルガ・グランデか?」
「スィ。」
トーコが深く息をした。彼は前を向いた。心の中で呟いた。
お前の父が誰だかわかったぞ。
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