2021/07/02

アダの森 12

  ゲリラ騒動から半月後、シオドアはグラダ・シティに出かけた。エル・ティティに戻ってから、ゴンザレス署長と将来の計画をじっくりと話し合った。記憶が完全に戻った訳ではなかったが、これ迄に知り得たこと、思い出せたことを洗いざらい打ち明け、遺伝子組み替えで人為的に生み出された人間であることを語った。ゴンザレスはそれでも彼を見る目を変えなかった。今あるお前が本当のお前だと言ってくれた。そして”ヴェルデ・シエロ”との関わり合いを打ち明けると、ちょっと難しい顔をした。

「彼等の秘密を知ってしまった上で、この国に住もうと決意したのなら、彼等が納得する形で味方であることを示さなければいけないな。」

と署長は言った。

「お前の友達になってくれた大統領警護隊の人々はほんのひと握りだ。彼等がお前を守り切れるとは限らない。お前も彼等を守らなければいけない。お前の友達は皆んな若いのだろう? お前が味方であることを納得させなければならないのは、もっと年上の、長老と呼ばれる連中だ。誰が長老なのか、俺達一般の人間にはわからない。だから、連中は恐ろしいんだ。」

  田舎警察の署長ではあったが、腹を割って話してみると、やっぱりセルバ共和国の裏の世界を知っていた。ゴンザレスは、シオドアが本当の安全を手に入れる迄待つと言ってくれた。

「それから、わかっていると思うが、彼等の存在を大ぴらに語ってはならない。俺達警察官は巡査の身分の頃は一般の人と同じ知識しか持っていないが、警部やそれ以上の階級になると上の方から”ヴェルデ・シエロ”の扱い方を教えられる。例え一生出会うことがなくても、この国で多少なりと権力を行使する人間だったら知っておくべきルールだ。失礼のないように、怒らせないように、だが普通の人として扱う、それが彼等自身が望んでいることだ。外国人のお前が、俺と同じ気持ちで彼等と付き合うと誓っていることを、彼等に知らせる必要がある。」

 だから、シオドアは首都へ出てきた。北の国の政府と国立遺伝病理学研究所との関係に、決着をつける為に。大使館に出頭する前に、彼は文化・教育省へ足を向けた。大統領警護隊文化保護担当部の友人達に挨拶をしておきたかった。もしかするとセルバ共和国に戻って来られないかも知れない。それにロホの容態も知りたかった。オルガ・グランデ基地で別れた時、ロホは医療班のストレッチャーに寝かされて運ばれて行ったのだ。シオドアはそれから直ぐにエル・ティティに送られたので、彼が再手術を受けたかどうかも知らなかった。
 いつもの愛想がない女性軍曹に身分証を提示した。エル・ティティ警察が発行した正規の身分証だ。軍曹は全く気に留めないで入館パスを発行し、手渡してくれた。
 4階に行くと、大統領警護隊文化保護担当部は閑散としており、シオドアが初めて見る若い女性が1人パソコンで作業をしているだけだった。長い艶やかな黒髪を引っ詰めてポニーテールにしている。薄いピンク色のTシャツと白いコットンパンツ姿の軽装で学生に見えた。シオドアが「オーラ」と声をかけると、振り向いて「オーラ」と笑顔で返事をした。めっちゃ可愛いじゃん、とシオドアは思ってしまった。

「テオドール・アルストと言います。ケツァル少佐はおられますか?」

 あー、残念っと言う顔をした若い女性は、床を指差した。

「少佐は文教大臣と各セクション代表者の会議に出ておられます。学校関係のセクションが我が儘を言わなければ後1時間程で戻られますよ。」

 彼女の言葉に、文化財・遺跡担当課の職員達が遠慮なく笑った。学校関係の部署は”我が儘”が多いのか、とシオドアは苦笑した。彼も大学で教鞭を取った短い期間に研究費の攻防をしている教授達をよく見かけたのだ。大統領警護隊の給料は大統領府から出ているのだが、遺跡発掘調査隊の護衛にかかる費用は文化・教育省と国防省が攻防戦を繰り広げていると、大学の知人が教えてくれたことがあった。少佐はどっちが払っても構わないから、費用をケチるなと言いたいだろう。
 シオドアはカウンターの外になる待合スペースのベンチを見た。相変わらず申請に来て待たされている人が5人ばかり座っている。”
死者の村”でロホが応援を連れて戻るのを1日中虚しく待っていたことを考えれば、ここは天国だ。

「1時間なら待ちます。」

 多分、セルバ時間だから1時間は120分から200分だ。急ぐ用事がないので、シオドアはベンチの空いているスペースに腰を下ろした。ステファン中尉とアスルの机はいつも通り書類に埋もれている。ロホの机も同じだ。仕事は怪我人に容赦無く押し寄せて来るようだ。
 若い女性を見ていると、彼女は自身の机の書類をデータ入力してしまい、隣のステファン中尉の机に手を伸ばした。シオドアが「え?」と驚いている間に彼女は上官の机から書類を一掴み取って、それをまた彼女のパソコンに入力し始めた。どんどんデータを入れて行き、終わると机の反対側の山に積んだ。再び次の一掴みに取り掛かったので、シオドアはお節介かもと思いつつ、つい声を掛けた。

「君は秘書なのかな?」
「ノ。大統領警護隊の少尉です。」

 彼女の指が素早く動き回り、パソコンの方が付いて行けないのではないかとシオドアは心配した。彼女がステファン中尉の書類を半分まで片付けたところで、当のステファン中尉がお茶のカップを片手に階段を上って来た。シオドアは立ち上がって彼を迎えた。

「オーラ、久しぶりだね。」

 中尉が立ち止まり、こんにちは、と言った。一見無愛想に見えたが、目は優しく笑っていた。そして手を振ってカウンターの中へ招き入れてくれた。
 若い少尉が手を止めて2人を見たので、中尉が紹介した。

「マハルダ・デネロス少尉です。少尉、テオドール・アルストさんだ。」
「ドクトル・アルストでしたか!」

 デネロス少尉が立ち上がった。シオドアは彼女と握手した。大統領警護隊の人間と握手で挨拶をしたのは初めてだ、とぼんやり思った。
 ステファン中尉はシオドアにロホの椅子を勧め、自席に着いた。机の上を見て、少尉を振り返ったので、デネロス少尉が悪びれもせずに言った。

「提出期限が切れていたので、片付けておきました。残りも私がしておきますから、大尉はマルティネス中尉の書類をお願いします。」

 シオドアは一瞬彼女が上官の階級を間違えたのかと思った。しかし誰も訂正しようとしなかった。ステファン中尉(それとも大尉?)が自分の机の上の書類を掴み、デネロス少尉の机にドサっと置いた。

「頼む。」

 そしてカップのお茶を一口飲んでから、シオドアに注意を戻した。

「お元気ですか?」
「スィ。君も元気そうで何よりだ。」

 ロホの容態が気になったが、新たに生じた疑問に対する好奇心が勝った。

「さっき彼女は君を大尉と呼んだけど・・・」
「2日前に昇級しました。」

 反政府ゲリラ”赤い森”を1人で殲滅したからだ。間違いなく大手柄だ。出世は当然だ。シオドアはおめでとうと祝福の言葉を贈った。ステファン大尉は軽く頭を下げて祝福を受け止めた。あまり嬉しそうではない。まさか、とシオドアは急に心配になった。

「ロホの容態はどう?」
「順調に回復しています。」

 返事が早かった。答えるステファン大尉の目も明るかったので、シオドアはホッとした。大尉がもう少し説明が必要だと思ったのだろう、シオドアがオルガ・グランデ基地から去った後のことを簡単に教えてくれた。
 ロホは基地の軍医の診察を受け、直ぐに再手術を受けた。本当なら左腕を失うほどの深傷だった。奇跡的に(と大尉は言ったが、シオドアは”ヴェルデ・シエロ”だから、と解釈した)、神経や腱が切れていなかったので、裂かれた筋組織と血管を縫合してもらうと、少佐と大尉は彼をグラダ・シティに連れて帰り、国防省病院の大統領警護隊専門病棟に入院させた。

「肩の傷ですから、4日もすれば彼はベッドから出て歩いていました。体力も徐々に戻ったので、3日前、警護隊幹部から事情聴取を受け、ゲリラに捕虜にされた経緯を調べられました。」
「それは・・・」

 ロホが捕まってディエゴ・カンパロに刺されたのは俺のせい、とシオドアは言いかけて、言葉を飲み込んだ。大統領警護隊にとって、いかなる理由でも原因は己にあるのだ。ロホがケツァル少佐に命じられたのは偵察であって、シオドアの救出ではなかった。ジャガーに変身したのは、ジャングルの中を歩くのに効率が良いと彼自身が判断したからだ。そして十分な休憩を取らずに報告の為に隠れ家を出た。単独なら安全地帯へ行けると己を過信したのだ。大統領警護隊の上層部はそう判断した筈だ。

「彼が何か懲戒を受けることはないだろうね?」

 それが心配だ。体がもう大丈夫なら、次はその身上だ。降格などされたら気の毒だ。彼は罰を受けねばならないことをしていない。俺は彼に助けられたことを心から感謝している。
 ステファン大尉はシオドアの懸念を察してくれた。

「少佐と私は、彼が貴方を救出しなかったら、今頃貴方が酷い目に遭わされていた筈だと意見しました。貴方が心から彼に感謝していたとも証言しました。」

 そして、溜息をついて言った。

「上層部が一番問題にしたのは・・・」

 彼は声をグッと低くして囁いた。

「彼がナワルを使ったことです。」

 ナワルとは、メソアメリカ地域において伝承される鳥獣に変身する能力を持つとされた妖術師や魔女、シャーマン、あるいはその変身後の姿を指す言葉だ。考古学に疎いシオドアでも博物館の説明書きやパンフレットでその程度の知識はあった。”ヴェルデ・シエロ”の世界では、無闇に使ってはならない能力なのだろう。もしかすると、本来は儀式などの時に使う神聖な力なのかも知れない。
 ステファン大尉は僚友の将来が心配で、己の出世を喜べないのだ。

「司令のエステベス大佐は、当分の間ロホを現場に戻さないと決定を下されました。」
「それはつまり?」
「警護隊本部から彼を出さないと言うことです。暫くの間、彼は士官教育の場で教官をやらされます。何をして良いか良くないか、教える立場になって反省せよと言うことです。」

 シオドアはちょっとだけ安心した。完全に体力が戻る迄、ロホが安全な場所にいるのは大切なことだ。彼がそう言うと、ステファン大尉が渋い表情を見せた。

「そう言う訳で、私は非常に忙しいのです。1人足りない訳ですからね。エステベス大佐はロホを降格にもクビにもしないし、配置換えもしない。つまり、この部署に新しい人員は入って来ないのです。」

 キーボードを叩きながら、デネロス少尉がププッと吹いた。シオドアも笑いそうになった。ステファン大尉は怒って見せているが、本当はロホがまた戻って来ると知って嬉しいに違いない。シオドアは誰にともなく尋ねた。

「アスルも忙しいんだね?」
「当然です。」

 大尉がタバコを出して咥えた。

「ロホの事務仕事を私が、外の仕事をアスルが分担しています。」
「そして私が、皆んなの書類をデータ入力しています。」

 デネロス少尉が楽しそうに言った。


 

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