2021/07/03

アダの森 13

  マハルダ・デネロス少尉の予想が外れてケツァル少佐は40分後に部署へ戻って来た。彼女がカウンターの仕切り戸を荒々しく押し開けて入って来たので、文化財・遺跡担当課の人々はこの4階のセクションに出してもらえる予算が減らされたな、と思った。果たして、彼女の後ろからついて来た課長は更に暗い顔をしていた。

「盗掘が増えていると言うのに、遺跡パトロールに出せる金はないとさ! 内務省の役人達が公金をネコババして飲み食いに使っていた事実はどうなるんだ?!」

 課長が吠えた。

「国防費は増額されているのに、文化・教育省にはその半分も出してくれない。大臣は会議室で繰り言ばかりで、国会議事堂で発言する勇気もない無能者だ!!」
「その無能者を大臣に任命した大統領も無能者だ。」
「大統領を選んだのは誰だ?」
「私はアイツに投票していない。」

 待合室の客まで巻き込んで4階フロアは賑やかになった。これでまた業務がストップだ。このセルバ的な風景をシオドアは第3者の立場で見物していた。ここでは古代の神様は関係ない。現在を生きているセルバ人が自分達の考えを主張し合っていた。
 ケツァル少佐が机に戻って持って来た書類をバサっと投げ出した。机の下からシオドアが見慣れた物を出してきたので、彼は思わず身を乗り出した。

「少佐、それはマズイ!」

 ケツァル少佐は天井に向けてアサルトライフルを一発放った。4階フロアがいっぺんに鎮まった。彼女はカウンター内の職員達をぐるりと見回して言った。

「さっさと報告書を上げる!」

 そして自席に着いた。職員達が何事もなかったかの様に働き出した。さっきまで喚いていた客達も大人しくカウンターの前に並んだり、ベンチに戻った。シオドアは天井を見上げた。何処にも弾痕はなかった。彼女は空砲を撃ったのだ。呆気に取られたシオドアの表情を見て、デネロス少尉がクスクス笑った。ステファン大尉が呟いた。

「今週は既に3回目だ。」

 少佐はご機嫌斜めなのだろう。きっとロホが謹慎処分を喰らって本部に留め置かれたからに違いない。彼女はシオドアに気づかないで(或いは気づかないフリをして)書類を片付け始めた。シオドアは仕方なく立ち上がって彼女の前に立った。

「オーラ、少佐。」
「何か御用ですか?」

 愛想の無さはいつも通りだ。シオドアは苦笑した。

「ゲリラから助けてもらった礼を言いに来た。それと、暫くお別れになるかも知れない。或いは、これっきりかも・・・」

 ステファン大尉とデネロス少尉が仕事の手を止めた。”ヴェルデ・シエロ”を驚かせてやったぞ、とシオドアは思った。少佐がペンを探すフリをしながら言った。

「北へ帰るのですか?」
「スィ。大使館が俺を探しているなら、俺が向こうに帰る意思がないことをちゃんと伝えようと思う。強制送還されるかも知れないが、向こうに戻ったら俺の考えをしっかり訴えるつもりだ。セルバとアメリカは敵国同士じゃない。俺がセルバに引っ越す権利を否定出来ない筈だ。」

 少佐がやっと顔を上げて彼を見てくれた。

「ゴンザレス署長はそれを承知しているのですか?」
「スィ。俺の安全の為に、向こうとの関係にちゃんとケジメをつけて来いと言ってくれた。もし向こうの政府が俺を出国させないと言うのなら、俺は署長を向こうに呼ぶ。俺が見つけた俺の家族なんだ。」

 シオドアは相手が何も言わないので、仕方なく別れの挨拶を言った。

「世話になった。有り難う。ロホとアスルにも挨拶したかったけど、不在では仕方がない。彼等によろしくと伝えてくれ。それじゃ・・・」

 彼はステファン大尉とデネロス少尉にも頷きかけて、カウンターの外に出た。振り返ると涙が出そうな気がして、前を向いたままだった。生まれて初めて気の置けない仲間に出会った気がしたが、己の人生にケジメをつけないことには彼等に迷惑がかかるとわかっていた。国立遺伝病理学研究所は”ヴェルデ・シエロ”の存在を知れば絶対に興味を抱く。大統領警護隊に手を出せなくても、巷で平和に暮らしているセルバ人に接触して来るだろう。この国を引っ掻き回して欲しくなかった。研究所がこの国のことをどれだけ知っているのか、確認しなければならない。
 気がついたら、雑居ビルを出て歩道に立っていた。アメリカ大使館へは歩いて20分ほどだ。そう思った時、隣でケツァル少佐の声がした。

「いつになったら横断するのです? 青信号を2回も逃しましたよ。」

 横を見ると少佐が立っていた。

「いつからそこに居たんだ?」
「青信号2回分前から。」

 信号が青になったので、2人は道路を横断した。

「ついて来たのか?」
「貴方が本当に大使館に行くのかどうか確かめる為に。」
「もう逃亡したりしないさ。」

 心なしか歩調が遅くなった。出来れば彼女とずっと話していたい。しかし何を話そう・・・。

「ステファンは大尉に昇進したのに、嬉しくなさそうに見える。」

 思いついたことを言ってみた。すると少佐が同意した。

「昇級するのに十分な活躍をしたのに、認めたがらない人々がいるからです。」

 思わずシオドアは足を止めてしまった。

「彼の活躍を認めたがらない?」
「彼は兵士としての実力で”赤い森”を殲滅しました。”ヴェルデ・シエロ”の能力を使って闘ったのではありません。」
「それは良いことじゃないのか?」
「良いことです。だから大尉に昇級しました。」
「わからないなぁ。」

 シオドアは道端で話す内容ではないと気がついた。何処か邪魔が入らない場所はないものか。しかし少佐は気にせずに続けた。

「警護隊の中には、能力を上手に使えても出世出来ない者もいます。実戦経験がなかったり、経験があっても軍人としての能力に欠けている人です。彼等は退役する迄少尉のままです。」
「ステファンは能力を使えなくても中尉になって、今度は大尉になった。万年少尉達から妬まれているのか。」
「そしてその親達からも。」

 少佐が深い溜息をついた。シオドアはある疑問を感じた。

「ステファンは能力を使えないのに、どうして大統領警護隊に入れたんだ?」

 すると少佐ははっきりと言った。

「彼は能力の使い方を知らないだけなのです。目覚めれば、大将にもなれます。」


 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

お別れを言いに来たシオドアを少佐が追いかけてきた。
彼女は多分シオドアが好きなんだと思う・・・

第11部  紅い水晶     19

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