2021/07/10

異郷の空 16

  男達が去ってしまうとアリアナはリビングをぼんやり眺めた。割れた投光器のレンズが落ちている。ステファンの気の力で吹っ飛ばされた兵士がぶつかったテーブルがひっくり返り、上にあったラップトップが床に落ちていた。シオドアが置いていった料金切れの使い捨て携帯電話も転がっていた。
 彼女は携帯電話を拾った。ボタンを押すと一瞬だけ生き返った。最後の通話の番号を彼女はチラリと見た。彼女の脳はそれだけで十分だった。死んでしまった携帯電話を置いて、自分の電話でその番号にかけた。エルネストが部屋の何処かに盗聴器を仕掛けている筈だが、どうでも良かった。向こうに言いたいことが伝われば良いのだ。
 呼び出し1回で先方が出た。アリアナは相手に名乗る暇を与えずに喋った。

「オズボーンです。ここへ来ては駄目。テオと一緒に逃げて下さい。」

 数秒間を置いて、シオドアの声が聞こえた。

ーーアリアナ、どうした?

 アリアナはその声を聞くと涙が出てきた。しかし泣いていては伝えたいことが伝わらない。

「エルネストとヒッコリー大佐が来たの。彼を連れて行ってしまった・・・」

 シオドアも数秒間沈黙した。そして向こうで「あの盗聴オタクめ!」と喚く声が聞こえた。

ーー今、君の家か?
「そう・・・」
ーー来たのは2人だけか?
「いいえ、全部で8人いたわ。多分特殊部隊だと思う。彼はもう力が残っていなかったから、戦わずに捕まったわ。目隠しされたから、ダブスン博士がエルネストにセルバ人について何かアドバイスしたのよ。あの人、よくセルバの太平洋岸へ行っていたから。」
ーー君は何もされなかったのか? 怪我とかしていないか?

 シオドアはいつから他人を気遣うようになったのだろう。

「私は大丈夫。でも明日の朝、研究所へ来いと言われてる。」
ーー取り敢えず、逆らわずに従っていろ。こっちで何か手を考える。

 シオドアの方で電話を切った。アリアナは深呼吸した。そしてケツァル少佐の名前を出さずに会話出来たことに気がついた。盗聴されていても、エルネストに彼女の名前はわからない。否、今頃あの男は捕まえたセルバ人に注意を集中させて盗聴どころでないだろう。
 彼女は寝室へ行った。部屋の中にまだあの男の匂いが残っていた。日向ぼっこしている猫の毛皮に似た匂いだ。彼女はベッドに身を投げ出し、泣いた。

 シオドアとケツァル少佐はメルカトル博物館の近くの公園に車を停めていた。まだ早朝の午前2時だ。真っ暗で星は見えていない。月もない。空は曇っているのだ。雪が降るかも知れない。南国育ちのセルバ人はきっと寒い筈だ。シオドアは助手席の少佐を見た。彼女は先刻から腕組みして目を閉じたままじっとしていた。体に触れるな、声をかけるなと言われているので、彼も背をシートにもたれかけて目を閉じた。
 エルネストは門衛からシオドアがアリアナの家に呼ばれたことを聞いていた。だがステファン大尉が彼女の家にいることをどうやって知ったのだろう。室内に盗聴器を仕掛けているとしたら、ミゲール大使との電話も、大尉がカメル軍曹と行った任務や暗殺未遂の話も聞いた筈だ。あいつはセルバ共和国の秘密をどこまで知ってしまったのだろう。もしあの国が超能力者の国だと知ったら、アメリカ政府はどうするつもりだろう。今まで地球の片隅でひっそりと暮らしてきた古代の神々の子孫達をそっとしてやってくれないか。
 少佐が大きな息を吐いたので、彼は目を開いた。彼女が何処かに心を飛ばしていたのだろうと思ったが、質問しなかった。

「何かアイデアを思いついたかい?」

 すると彼女は言った。

「お腹が空きました。何か食べましょう。」

 シオドアは勤めているコンビニへ彼女を連れて行った。そこでブリトーとコーヒー、使い捨て携帯電話を2つ買った。少佐も使い捨て電話を使用していたのだが、アリアナとの通話が終わった後で捨てたのだ。
 お腹が膨れると少佐はシートを倒して寝てしまった。シオドアは彼女が豪胆なことは分かっているつもりだったが、ちょっと呆れた。アパートに帰ろうかとも思った。しかし建物のそばまで行くと、見慣れない車両が2台ばかり前の道路に駐車していたので、停止せずに通り過ぎた。公園に戻り、そこで彼も少し眠った。

 

0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...