2021/07/21

博物館  1

  冬の休暇が終わり、大学に学生達が戻ってくると一度に賑やかになった。シオドアとアリアナの新しい仕事もやっと本格的に始動だ。大学事務局は2人に文化・教育省へ行って所定の職員採用に関する手続きをしてくるようにと言い渡した。シオドアは一度経験していたので、アリアナの都合に合わせて出かけた。彼女が文化・教育省と聞いてちょっと尻込みした。大統領警護隊文化保護担当部があるからだ。しかし手続きは本人が行わなければならないものもあるので、結局彼女は渋々ながら出かけた。
 事務手続きは相変わらずセルバ流で、少し書類を書くと、続きは次の日に来いと言われる、行けば別の窓口へ回される、その繰り返しだ。やる気があるのかないのかわからない役人の仕事ぶりに、仕舞いにはアリアナも「何なの、ここは?」と呆れて笑い出してしまった。必要な手続きが終わるのに5日もかかった。1週間を自宅と大学と文化・教育省の間をグルグル回って過ごした様なものだ。
 金曜日の午後シエスタの後で、やっと全部終了した。シオドアはアリアナの手続きが終わるのを待ってから、大統領警護隊のオフィスへ行こうと誘った。彼女が躊躇ったが、シオドアはここで避けて通れない問題をクリアしておきたかった。ステファンと普通の友人として同席することに慣れてくれ。
 4階に上がると、幸いにもケツァル少佐が机の前に座って書類の山と格闘しているのが見えた。彼女の前の机では、ステファン大尉とロホがそれぞれの机に向かいパソコン画面と睨めっこしていた。アスルはカウンターの外側で数人の職員と何かガラクタの様な物を点検していた。デネロス少尉は隣の部署の職員とお喋りに忙しそうだ。いや、仕事上の相談だろう。
 ロホの元気そうな姿を見て、シオドアは思わず笑が溢れた。反政府ゲリラから逃げ延びて、医療班に託した時のロホは殆ど意識がなかった。左腕は動かせなかった。
 今、シオドアの目の前で、ロホは普通に左腕を動かし、キーボードを叩いていた。
 文化保護担当部のカウンター前に列がなかったので、シオドアはカウンターにもたれかかって、「オーラ!」と声をかけてみた。驚いたことに、少佐以外の全員が反応してくれた。顔を上げ、手を止め、振り返ってくれたのだ。以前は完全に無視してくれていたのに?!
 デネロスがキャー!と声を上げてカウンターの内側から出て来た。アリアナの手を取って、

「やっと来てくれましたね! 今週中には絶対に来てくれるって、私、賭けてたんです。」

 彼女はアスルに向かって勝ち誇った様に言った。

「クワコ少尉、今夜はビール5本、お願いします!」
「けっ!」

 アスルがまたガラクタの山へ向き直った。シオドアは吹き出した。

「俺達は賭けの対象かい? 軍の規律違反じゃないのか?」

 4階の職員達が聞こえないふりをして仕事を再開した。シオドアがアリアナを振り返ると、彼女はデネロスに手を握られたまま、笑いだすのを必死で耐えていた。彼女の脳も遺伝子組み替えで生み出された優秀なものだ。既にスペイン語は何とか聞き取れる様になっていたし、この場での事態も理解出来た。
 ロホが席を立ってカウンターの側に来た。

「お久しぶりです、ドクトル。」
「テオって呼んでくれよ。アリアナもドクトラじゃなくアリアナで良い。」
「こんにちは、テオ、アリアナ。」

 イケメンのロホに笑顔で挨拶されて、アリアナが頬を赤く染めて挨拶を返した。

「初めまして、アリアナ・オズボーンです。オスボーネの方が良いかしら?」
「貴女のお望みの発音でお呼びしますよ。」

 ロホはいつも紳士だ。自己紹介した。

「アルフォンソ・マルティネスです。中尉です。ロホと呼ばれていますので、貴女からもロホと呼んでいただけると嬉しいです。」

 彼はアスルを呼んだ。上官に呼ばれたので、アスルは仕方なくシオドアの横に来た。

「彼はキナ・クワコ、少尉です。アスルと呼ばれています。愛想のない男ですが、気は優しい良いヤツなんで、遠慮なく話しかけてやって下さい。」

 アスルはツンとして、アリアナに一言「よろしく」とだけ言い、またガラクタの山へ戻った。いつもと変わらない態度にシオドアが苦笑してその背を見たので、アリアナは安心を覚えた。確かに何も説明がなければ、アスルの態度は嫌われていると言う印象を他人に与えかねなかった。

「マハルダ・デネロス少尉は既にお馴染みの様ですね。」
「ええ、休暇前に大学で出会いました。その前も・・・」

 この人達は皆んな”ヴェルデ・シエロ”なのだ、とアリアナは自身の心に言い聞かせた。不思議な力を持ち、優しくて、でも彼女の手が届かないところに心がある人々。
 ロホがごく自然にステファンを振り返った。

「彼もご存知ですね。私の上官のカルロ・ステファン大尉です。ほんの半年前までは私と同じ中尉だったのですが、私がミスして彼は手柄をたて、先に出世してしまった。」

 ロホが愉快そうに笑った。ステファンが彼を見て顔を顰めた。

「笑い事じゃないだろ、ロホ。ちゃんとドクトルに助けていただいた礼を言ったのか?」

 ロホが舌を出し、シオドアに向き直った。

「失礼しました! 貴方が来て下さってあまりにも嬉しかったので、お礼を申し上げるのを忘れていました。ティティオワ山で助けていただいて、有り難うございました。心からお礼申し上げます。」

 改まった物言いに、シオドアは苦笑した。

「助けられたのは俺の方だよ。もう怪我はすっかり良くなったんだね?」
「スィ。以前と変わりなく動けます。ただ、まだ現場へ行かせてもらえないので、事務仕事で毎日過ごしています。」

 すると、思いがけず一般職員からチャチャ入れがあった。

「ロホ中尉、肝心のお方の紹介を忘れているぞ。」
「ああ、しまった!」

 ロホが真っ赤になり、4階の職員一同からドッと笑い声が起こった。忘れられた指揮官、ケツァル少佐がアサルトライフルを取り出す前に、シオドアは素早く言った。

「少佐はもう何度もお会いしているから、大丈夫だ。アリアナもすっかり顔馴染みだし。」

 アリアナも笑いながら、そっとステファン大尉を見た。ステファンは御大のご機嫌を伺うかの様に、少佐の表情を覗いていた。そのケツァル少佐はペンを机の上に投げ出し、時計を見た。そして宣言した。

「5分早いが、終業とする。」

 4階の職員全員から歓声が上がったのは言うまでもない。


 

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第11部  紅い水晶     14

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