2021/07/11

異郷の空 20

  エルネスト・ゲイルはアリアナ・オズボーンの家に仕掛けた盗聴器をシオドアに発見され破壊されたが、気にしなかった。シオドアが言った通り、昔から彼等の間ではイタチごっこで遊び感覚だったのだ。それに今回の「ハンティング」では十分役に立った。
 居住区の湖岸に設置されたC C T Vに黒い大きな獣が映っているのを発見したのは、エルネストだった。覗き見が趣味だから、警察や警備の防犯カメラ回線に侵入するのは得意だ。テレビで報道されていた「黒豹」だと直ぐにわかった。「黒豹」は湖を泳いでやって来て、あろうことかアリアナ・オズボーンの家の桟橋付近に上陸した。彼はアリアナに注意喚起の為に電話をしようと思ったが、「黒豹」が岸に上がって直ぐに蹲ってしまったので、電話するのを止めた。彼女が獣を見つけた時の反応を見たかった。獣は朝の太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。真っ黒な見事な毛皮だった。防犯カメラの解像度の高くない映像でも、綺麗な動物だとわかった。
 アリアナは彼が予想した時刻に帰宅した。研究所から車で5分の距離だ。何時、あの獣に気がつくだろう。エルネストはドキドキしながら自宅に造ったモニター室で見ていた。仕事もリモートだからモニター室に座っていれば出来た。アリアナの家の前にある防犯カメラに彼女が帰宅するのが映っていたが、裏庭は住民の要望でカメラがない。庭と公共の岸辺を仕切る植え込みの切れ目で蹲る「黒豹」は映っていたが、庭に出るアリアナは見えなかった。
 そのうち、「黒豹」が動いた。頭を上げ、何かを見た。彼女が来たのだ。エルネストは彼女が見えないことを悔やんだ。きっと悲鳴を上げたに違いない。「黒豹」が体を持ち上げた。這うように前進したので、エルネストはモニターの前で思わず怒鳴ってしまった。

「動くな! 見えなくなる!」

「黒豹」は尻尾だけカメラの中に残してまた動きを止めた。エルネストはアリアナが逃げてしまったのだろうと思った。実際、彼女はその時一旦家の中に逃げたのだ。彼は盗聴器の音声を聞くために機械を操作した。モニターから目を離した数秒間に、「黒豹」の尻尾がカメラから消えた。
 エルネストが期待したアリアナの救援要請の電話はなかった。彼女が「黒豹」に食われたのかと思ったが、そのうちリビングとキッチンに仕掛けた盗聴器から彼女が室内を動き回る音が聞こえ、彼はがっかりした。彼女は「黒豹」に気づかず、獣は場所を移動したのだろう、と思った。その後道路や他の湖岸のカメラをチェックしたが、何処にも「黒豹」は映っていなかった。民家の庭から庭を移動していると思われた。これは警備兵に連絡した方が良いかも知れない、と彼は思い、同時に面倒臭いと感じた。彼は気晴らしに基地の外に出かけ、公園のベンチで昼寝しているシオドアを発見した。昼寝の邪魔をして、警察無線で知り得た情報を聞かせてやると、シオドアはちょっと動揺したかに見えた。しかし、この時エルネストはまだ博物館の泥棒と「黒豹」を結びつけて考えていなかった。
 夜になる頃、アリアナがシオドアに電話をかける声が聞こえてきた。聞くともなしに聞いていると、彼女が彼に衣類を持って来てくれと要請した。男物の衣類だ。奇妙な要請だと思いつつ、エルネストは夕食の為に一旦モニター室を離れた。
 モニター室に戻ると、盗聴器からアリアナとシオドアの会話が聞こえてきた。その内容は不思議なものだった。彼女の家の中にシオドア以外の男がいるらしかった。しかもセルバ人だ。さらにエルネストを驚かせた会話が聞こえた。

ーー彼と今朝出会ったと言ったね。何処で?
ーーこの家の庭先。湖に降りるステップのところよ。
ーー彼は裸だったろう? 君は顔見知りなら誰でも平気で家に入れるのか?
ーー私が見つけた時、彼は人間の姿じゃなかったの!

 それからアリアナは信じられないような、御伽噺としか思えない話を語った。庭先で黒い獣を見つけ、その獣が人間の男に変化したこと、大怪我をしていたので家に連れ帰って手当してやったこと。熱を出して震えていた獣から変化した男を抱いて温めたこと。
 シオドアはアリアナの証言に驚かなかった。それどころか、セルバ人の中にはジャガーに変身する者がいると受け取れる発言をした。
 シオドアの声が聞こえなくなったので、エルネストはアリアナに電話を掛けてみた。門衛からシオドアが基地に入ったと報告を受けたと出まかせを言うと、アリアナも適当な嘘をついた。エルネストが電話を切ると、アリアナとシオドアが彼の悪口を言ったので、ちょっと腹が立った。我慢して聞いていると、彼等の会話でさらに驚きの事実が判明した。博物館の泥棒と「黒豹」男が同一人物で、セルバ共和国の政府が絡んでいると言うのだ。しかもシオドアの携帯に電話を掛けて来た人物はセルバ大使ともう1人「少佐」と呼ばれる人間だった。シオドアが「彼女」と言ったので、少佐は女性だと推測された。その時、第3の人物の声が聞こえた。男の声でスペイン語訛りのある英語だった。「黒豹」のセルバ人だ。
 シオドアは「少佐」を迎えに出かけた。アリアナと「黒豹」男だけが家に残った。
 エルネストは決心した。迎えが到着する前に、「黒豹」男を確保しなければならない。彼はヒッコリー大佐に電話を掛けた。大佐は研究所で研究に使われる超能力者達を集める任務を負ったプロだ。超能力者の存在は信じているが、「黒豹」に変身する人間の話は笑い飛ばされた。しかしエルネストが録音したアリアナとシオドアの会話を聞かせると、大佐は直ぐに部下を招集した。「黒豹」男は怪我をして弱っている。捕獲するなら今夜しかない。プロの超能力者ハンター達はアリアナ・オズボーンの家に集結した。エルネストはアリアナを抑える役目を自ら申し出た。彼女の家の鍵は持っていた。
 捕獲劇は短時間で終了した。「黒豹」男はエルネストの予想以上に衰弱していた。原因はアリアナだ、とエルネストには直ぐわかった。彼の好色な”妹”は昔から基地で訓練している兵士達の体を見るのが好きだった。大人になると時々若い兵士をつまみ食いしていた。親代わりのライアン博士もワイズマン所長も彼女が妊娠さえしなければ構わないと放任した。基地の外の男に夢中になられるよりましだと思ったのだ。セルバ人は正に彼女好みの肉体の持ち主だった。そして若かった。研究所へ運び込んで体を洗浄した際に髭も剃ってやったのだが、ゲバラ髭を剃り落とすと、意外に幼い顔立ちだったのだ。もしかするとアリアナが初めての女性体験ではないか、とエルネストは思った。
 ダブスンがアリアナの体からセルバ人の精子を採取した。彼女がどれだけ遺伝子解析の腕前を発揮させられるのか、エルネストは疑問だった。遺伝子情報の分析はシオドアの独壇場だったのだ。折角本物の超能力者の遺伝子を手に入れたのに分析出来ないのでは意味がない。だが研究所に反旗を翻したシオドアを研究に加える訳にはいかない。どうしたものか、とエルネストは考えながら、昨夜から今朝にかけての捕獲劇の報告書を作成していた。
 モニターの一つに、捕獲したセルバ人が映っていた。両手を手錠でベッドに繋がれている。頭部や胸部に脳波計や心電図の端子を付けられ、腕には栄養剤と麻酔剤の点滴を刺されていた。裸の左脇腹にガーゼを当ててテープで止めてある。大きな刃物傷があったが半分治りかけていた。警察の鑑識に頼み込んで送ってもらった博物館に残されていた泥棒のものと思われる血痕の分析結果と、捕らえたセルバ人の血液の分析結果が一致した。セルバ人が怪盗”コンドル”だと判明したので、研究所でのコードネームも”コンドル”に決定した。ただし、警察には泥棒を捕まえた報告をしていない。

「博物館に残っていた血痕から、警察は逃走した2人目の泥棒はかなり出血しているものと考えている。怪我をしてから今日で2日目だ。常識では治療しなければ命の危険があるそうだ。しかし、”コンドル”の傷は既に治りかけている。」

 ワイズマン所長が感動とも聞こえる微かに震える声で言った。エルネストはこの件に関しては驚かなかった。

「シオドア・ハーストもあの程度の傷なら直ぐ治りますよ。治癒能力の遺伝子は兵士に必要でしょう。」
「兵士が直接戦闘を行う場面は限られてくる時代だ。しかし、確かに場合によって人間を投入しなければならない戦場はまだ残っている。治癒能力の遺伝情報を解析するように。」

 ダブスンは所長に視線を向けられて頷いた。エルネストは彼女の能力を高く評価していないので、内心大丈夫かなと思った。分析に失敗して新しい精子の採取が必要になれば、”コンドル”が気の毒だ。


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