階段を下りて行く間、ケツァル少佐は無言だった。シオドアは下りた突き当たりの扉の向こうからコソコソヒソヒソ話し声がして来るのを早速聞き取った。「ほら」と囁くと、途端に声が止んだ。
「連中は邪魔が入るとすぐ沈黙するんだ。」
デネロス少尉が耳を澄まして聞く素振りをした。
「さっきまで、何か喋ってましたね。」
「聞こえるのかい?」
少佐が足を止め、シオドアも彼女を振り返った。デネロスが肩をすくめた。
「聞こえると言うか、何か感じました。」
「この子はブーカですから・・・」
と少佐が囁いた。
「霊感は鋭い方だと思いますよ。過去に似た体験をしたことはありますか?」
「うーん・・・」
デネロスはあまりお化けの存在を気にしない子供だったらしい。
「お墓とか、交通事故の現場とかでそれらしきものを見たことはあります。でもあっちが話すのは聞いたことがありません。」
「君が聞き取れたら、俺のバイトは楽なんだけどな。」
シオドアは階段を下り切ると、そこに荷物を置いた。狭いが3人の寝袋を何とか広げられそうだ。デネロスが眉を上げた。
「中に入らないんですか?」
「俺が中に入ると亡者は沈黙してしまうんだ。だから、今夜はここで寝転んで彼等の話し声を聞いてやろうと思う。」
「えー・・・」
デネロスはミイラに囲まれて寝たいのだろうか? 不満顔になったので、少佐が寝袋を広げながら言った。
「貴女一人であっちへ行きますか?」
恐らく絶対にあっちへ行きたくない人であるに違いない少佐が、部下に意地悪をしている。デネロスは扉を見た。ミイラに囲まれてみたいと言う好奇心と、一人で行くのは嫌だと言う素直な感情が彼女の中で戦っている、とシオドアは察した。彼はデネロスに声をかけた。
「俺は声が聞こえたら音だけでも拾ってアルファベットで書き留めていく。君も聞こえたらそうしてくれないかな? 2人で照合しよう。」
「そうなさい、マハルダ。」
ケツァル少佐は意地悪を言ってみたものの、やっぱり部下を一人で怖い場所へ行かせたくないのだ。万が一のことがあれば助けに行かねばならない。彼女自身行きたくないし、部下を怖い目に遭わせるのは彼女のプライドが許さない。例え訓練だとしても、話が通じない亡者の相手をさせたくなかった。これが弱小の悪霊なら何とか出来るのだが。
デネロス少尉もシオドアの提案を受け容れた。
隙間なく置かれた寝袋を階段の最後の段から見て、シオドアが尋ねた。
「誰がどこに寝るんだ?」
両側に女性がいてくれたら嬉しいのだが、少佐が真ん中を指差して、デネロス、と言った。左がシオドアで彼女は右だ。
「え? 俺が端っこ?」
「一番若い子を真ん中に置いて守ります。」
少佐が横目で彼を見た。
「マハルダに変なことをしたら、銃殺です。」
「しないよ!」
水とトイレは修復ラボの入り口にあった。シオドアはタブレットとノートを準備した。少佐とデネロスは上着だけ脱いでTシャツ姿で寝袋に入った。シオドアも体を押し込んだ。セルバのミイラはみんな膝を抱えた三角座りのポーズだが、寝袋に入るとエジプトのミイラになった気分だ。デネロスが囁いた。
「照明消します?」
「消した方が亡者が出やすいかも・・・」
シオドアが言い終わらぬうちに照明が消えた。デネロスが気で壁のスイッチを押したのだ。真っ暗になった。タブレットもノートも見えない。鼻を摘まれてもわからない程真っ暗だ。シオドアは懐中電灯を探して持参したリュックの中に手を入れた。
「うわっ!」
いきなり冷たい物が頬に当たって、彼は思わず声を上げた。照明が灯った。ケツァル少佐が点けたのだ。
「マハルダ!」
少佐の抑えた怒声が狭い空間に響いた。デネロスがリンゴをシオドアの顔のすぐそばに差し出したポーズで固まった。頬に触れた冷たい物の正体はリンゴだった。
「ええっと・・・あの・・・」
デネロスが手を引っ込めながら言い訳を試みた。
「夜中にみんなで食べようと思って、リンゴとビスケットを持って来たんですけどぉ・・・」
「ピクニックではありません。」
少佐が怒っているのは、部下が食べ物を持ち込んだからではない。暗闇でも目が利く”ヴェルデ・シエロ”が、暗闇の中では何も見えない普通の人であるシオドアを脅かしたからだ。
「ここがどんな場所か考えて行動なさい。ドクトルに謝るのです。」
まるで子供を叱るママだ。デネロスがシオドアに「ごめんなさい」と言った。
「あんなに驚くとは思わなかったので・・・」
「俺は君みたいには闇の中で目が利かないんだよ。マジ、びっくりした。だけど、もう大丈夫だから、気にするな。」
シオドアは少佐にも声をかけた。
「君も俺の声でびっくりしたんだろ? ごめんよ。」
少佐は彼女の部族の言葉で何やらブツブツ言いながら寝袋の中に戻った。
シオドアは懐中電灯を灯し、デネロスが照明を消した。それから彼女はシオドアのタブレットにメッセージを打ち込んだ。
ーー少佐が私達のことを、ガキ呼ばわりしていました。
ーー俺もガキに入れられたのかな?
ーーリンゴで悲鳴を上げたから、そうじゃないですか。
そして彼女がリンゴを差し出したので、シオドアは有り難く受け取った。
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