2021/07/26

博物館  16

  ムリリョ博士からシオドアへ何も連絡はなかった。しかしシオドアの銀行口座には働いた時間分の給金が振り込まれていた。振り込み元名義はセルバ国立民族博物館だった。これなら亡命者を監視している内務省も文句を言うまい。
 大統領警護隊文化保護担当部は発掘シーズンが始まって忙しいのだろう、生物学部のシオドアと医学部のアリアナは彼等と出会う機会が少なくなって、ちょっと寂しかった。たまにマハルダ・デネロス少尉が英語の校正を依頼すると言う口実で、アリアナと大学で接触する程度だ。それでシオドアはアリアナにデネロスと出会う時に彼にも声をかけてくれと頼んでおいた。
 博物館のバイトから10日程経ってから、やっとシオドアの時間の都合がついて、アリアナとデネロスの勉強会に参加が叶った。場所はキャンパスのカフェだ。彼が現場に行くと、既に女性2人で始めていた。コーヒーを飲みながら聞いていると、勉強しているのか雑談しているのかわからない。アリアナにとってもデネロスにとっても息抜きなのだ。アリアナが「これで終わり」と言ったので、やっと彼にも口出しするタイミングが回ってきた。

「文化保護担当部の仕事は忙しいのかい?」
「スィ。」

 デネロスがニッコリして頷いた。

「ちょっと遺跡監視とは違うのですけど、文化財保護に重要な任務を遂行中です。」
「それじゃ、ジャングルには行っていないの?」

とアリアナ。行ってません、とデネロスが答えた。

「発掘隊の監視はまだ始まっていないんです。今季のイタリアの発掘隊はまだ準備中でセルバ人が苛つく程遅いんです。」

 シオドアとアリアナは笑ってしまった。

「それでアスルは警備隊の訓練を指導して、ロホとカルロの手伝いです。」
「ロホとカルロは何をしているの?」

 アリアナがステファン大尉やマルティネス中尉と呼ぶのを止めたことにシオドアは気がついた。デネロスは少し真面目な表情を作った。

「国家機密です。」

そしてケラケラ笑った。シオドアはちょっと不安になった。

「また外国へ行って盗掘品回収をしているんじゃないだろうな?」
「ノ、2人ともグラダ・シティにいます。でも盗掘品は良い線行ってます。」

 シオドアは何となく察しがついた。

「密売ルートを探っているんだな?」

 シーっとデネロスは指を口元に当てた。誰も彼等の会話に聞き耳など立てていなかったが。アリアナは単純に驚いた。

「警察みたいな仕事もするの?」
「たまには。」

とデネロス。彼女はまだ修行中なので、恐らくオフィスの留守番なのだ。先輩達が羨ましいのだろう。ちょっと拗ねて見せた。

「警察の人がオフィスに来たり、こっちから出かけたり、出入りが激しいんです。」
「貴女は何かに関わっているの、マハルダ?」
「私はイタリア発掘隊の申請書の整理ばっかりですよ。」

 仲間はずれなんです、と彼女はブツブツ言った。彼女のナワルはオセロットだとケツァル少佐が言っていた。獰猛だが小さい獣だ。多分、デネロスの超能力は威力がそんなに大きくないのだ。だからケツァル少佐は出来るだけ彼女を危険な現場から遠ざけている。修行中と言う名目で。彼女の得意なデータ処理や情報整理を担当させているのも、出来るだけ彼女を戦闘から遠ざけたいと言う少佐の親心だ。若いデネロスは、多分それを理解しているものの、やっぱり物足りないのだろう。

「マハルダ、君の兄弟も皆んな君と同じ能力を持っているのかい?」

 デネロスの不満を紛らわせてやろうとシオドアは質問した。デネロスが首を振った。

「ノ、私には3人の兄と2人の姉がいますが、皆んな”心話”しか出来ません。ナワルも持っていません。」
「それじゃ、兄弟姉妹の中で君が一番能力が強いんだ。」
「スィ。でも小さい時はそれで寂しい思いもしました。友達がなかなか出来なかったんです。近所の子供は私を怖がっていました。きっと気の抑制が上手く出来ていなかったのでしょう。早く大きくなった兄が、色々学んで私に教えてくれましたので、何とか普通に学校へは行けました。両親も私を普通の子供として育てようと努力してくれました。でも、成長するとだんだん手に負えなくなったようです。」

 語るデネロスに暗い過去を持つ印象は全く見えなかった。きっと家族から愛され大事に育てられたのだ。

「長兄が軍隊に入ることを勧めてくれました。上手くいけば大統領警護隊にスカウトされるかも知れない、そうすれば良いお給料をもらえるし、高等教育も受けられるし、能力の上手な使い方を教えてもらえて友達もいっぱい出来るだろうって。」
「素敵なお兄さんね!」
「スィ! 大好きな兄です。今でも官舎に畑の野菜を送ってくれるんですよ。」

 デネロスの実家は近郊で農業をしているのだ。そう言えば、先日アスルが酔っ払った時に彼女を「野菜畑の姫」と呼んでいたなぁ、とシオドアは思い出した。あの時は意味も何も考えなくて、ただ変なことを言うなぁと思っただけだった。

「お兄さんは先見の明があったのね。貴女は大統領警護隊にスカウトされたじゃない。」

 エヘヘ、とデネロスが照れ笑いした。

「士官学校へ入る方が大変でした。うちは兄弟が多いので学費を払うのも苦労だったと思うのですが、両親は文句一つ言わずに仕送りしてくれました。だから私も頑張って、スカウトが来た時に、思い切り”心話”でアピールしました。私を採用しないと損ですよって。」
「きっとそのスカウトも貴女が気に入ったのよ。」
「文化保護担当部に採用されたのは、ケツァル少佐に目をかけてもらったからかい?」

 デネロスは採用された当時のことを思い出して、ウフフと小さく笑った。

「大統領警護隊は女性が少ないんです。一族の女性達は軍隊より企業のオフィスで働く方が好みなんですよ。大統領警護隊でも女性は事務方への配属を好む人ばかりです。政府高官の側近や外交官になったりするんです。でも私はそんなに頭は良くないし、どっちかと言えばジャングルや砂漠で仕事をしたかったんです。それで野戦要員を希望したのですが、大統領警護隊の野戦要員って、要するに大統領官邸や高官の警護や式典の儀仗兵なんです。」
「つまらないわね。」

 アリアナが素直に感想を述べると、デネロスがうんうんと頷いた。

「つまらないんです。出会いの場も少ないでしょ? そしたらトーコ副司令官に呼び出されて、考古学に興味があるかと訊かれたんです。ないことはないですと答えたら、文化・教育省にオフィスを置いている大統領警護隊文化保護担当部に空きがあるので、そこで働いてみないかって勧められました。びっくりしました。だって、文化保護担当部って、名前こそ事務方ですけど、陸軍の分隊を指揮して遺跡発掘隊や調査団の警護をしたり、盗掘団や反政府ゲリラと戦闘をやるエリート集団ですからね。警護隊の憧れなんですよ。」
「指揮官も有名だね?」
「スィ!」

 デネロスが嬉しそうに目を輝かせた。

「ケツァル少佐は大統領警護隊の憧れなんです。気の大きさが半端ないし、使い方も上手だし、美人だし、お金持ちのお嬢さんなのに全然そんな素振りを見せないし、考古学の成績も優秀だし、強いし、そしてちょっと恐い・・・」

 まるでヒーローを語るような口ぶりだ。放っておくとまだ賞賛の言葉が続きそうだったので、シオドアは口を挟んだ。

「それであっさり採用されたのかい?」
「副司令が推薦状を書いて下さいました。だけど、その後が大変で・・・」

 デネロスの表情が初めて微かに曇った。シオドアは何となくその理由がわかった。

「純血種の隊員達が、文化保護担当部に推薦された君をやっかんだんだね?」

 アリアナがびっくりして彼を見た。

「そんなことがあったの? だって、マハルダは優秀じゃないの?」
「彼女が優秀だから、純血種達は悔しいんだよ。メスティーソの”ヴェルデ・シエロ”に出世で追い越されたんだから。」
「それじゃ、貴女は虐めに遭ったの、マハルダ?」
「虐められはしませんでしたけど・・・意地悪はされました。でもそう言うのは小学校で経験済みでしたから、正式採用されるまで我慢しました。それに通信制の大学に入学して考古学を始めたので忙しくて、意地悪な連中の相手をする暇もありませんでした。」
「貴女は偉いわ、マハルダ。」
「そうですか?」

 またエヘヘとデネロスが照れ笑いした。

「初めて文化保護担当部に正式に配属された日って覚えてる?」
「勿論です! あのオフィスに初めて入った時・・・」

 彼女はクスッと笑った。

「誰もいなかったんです。」


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

いつも元気溌溂マハルダちゃん!  でもやっぱり悩み事はあるのよね・・・

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