2021/07/29

礼拝堂  7

  朝の出勤時、運転手のシャベス軍曹に今夜も出かけるので帰りはアリアナだけ乗せてやってくれと言ったら、軍曹はまた不満そうな顔をした。

「せめて何処へ行くのか教えてくれませんか?」

 それでシオドアは行き先に関しては正直に言った。

「グラダ大聖堂だよ。晩課の礼拝を見学するんだ。俺は宗教と無縁の場所で育ったから、伝統的な宗教儀式に興味がある。」
「そこから別の場所へ移動とかはないですね?」
「ない。」

 もしかするとムリリョが場所を移そうと言うかも知れないが、シオドアはそこまで監視役に言うつもりはなかった。シャベスを安心させて、大学に出勤した。日中は考古学部の教職員と出会う機会はなく、昼食も一人で取った。シエスタの後半は学生が数名来て、世間話をした。若者達はアメリカ文化に興味がある。世界中どこでも普通に見られる光景だった。
 午後は授業がなかったので翌日の授業の準備で時間を過ごし、大学のカフェで早めの夕食を取った。街中のバルはまだ開店時間になっていなかったし、カフェを利用するなら料金が安い大学で飲食しても味はそんなに差がなかった。
 タクシーではなくバスでセルバ大聖堂へ行くと、聖堂前の大広場では屋台が出ていて、ちょっとびっくりした。お祭りかと思ったがそうではなかった。雨が降らなければ毎晩屋台が出ているのだ。
 大聖堂の中は屋外より涼しかった。晩課を行っている信者達の邪魔をしないように端の通路を静かに歩き、エクスカリバー礼拝堂を探した。結局近くにいた老女に声をかけて教えてもらう羽目になったが。
 グラダ・シティに最初に上陸した宣教師に捧げられた礼拝堂で、エクスカリバー師の像が祀られている。その祭壇の前でファルゴ・デ・ムリリョが座っていた。濃紺のシャツと黒いパンツで痩身を包んだ姿は、年齢を感じさせず、忍者の様に素早く駆け回りそうだ。

「こんばんは。来て下さって有り難うございます。」

 シオドアは礼を失さないよう用心深く挨拶した。ムリリョは無言で手を振り、彼に近くへ来いと合図した。シオドアは相手の目を見ないように心がけながら近づいた。ムリリョが指差した椅子に座ると、老人が言った。

「もう一人来る。」

 シオドアはびっくりした。2人だけで話したかったのだ。するとムリリョも言った。

「お前と2人だけで話したかったが、ケサダが余計な気を利かせてお前を私から守ろうとした。だから、あれも来る。」

 ケサダ教授が来るのか、と思ったら、礼拝堂の扉が小さく開いた。振り返ってシオドアは驚いた。思わず立ち上がってしまった。

「ケツァル少佐!」

 少佐がゆったり大きめのTシャツに病院職員のパンツを身につけて入って来た。明らかに病室を脱走してきたのだとわかる服装だ。

「まだ寝てないと駄目じゃないか!」
「平気です。戦闘をする訳でなし。」

 ケサダ教授は自分が来るのではなく、ケツァル少佐にシオドアがムリリョと会見すると告げ口したのだ。だから、友人を見捨てて置けないケツァル少佐は病院を抜け出して来てしまった。シオドアは思わず愚痴った。

「護衛は何やってんだ? ステファンの目を誤魔化して来たのか、少佐?」

 少佐がニッと笑った。部下を欺くなど朝飯前だと言いたげだ。そしてムリリョの前に来ると”ヴェルデ・シエロ”の言葉で挨拶をした。驚いたことに、ムリリョも立ち上がって、彼女に頭を下げて挨拶を返した。シオドアに少佐が説明した。

「族長同士の挨拶をしたのです。」

 現生でたった一人の純血のグラダ族だから、ケツァル少佐はグラダ族の族長なのだ。そしてムリリョは長老であるだけでなくマスケゴ族の族長だった。
  ムリリョが手で椅子を指したので、少佐はシオドアの隣に座った。微かに甘い香りがした。病室の見舞いの花の移り香だ。

「結界を張った。暫くは誰もこの礼拝堂に入って来ない。」

 ムリリョがシオドアを見た。

「さて、何を儂から聞きたいのかな、白人?」

 シオドアは深呼吸した。下手なことを言えば、この長老は腹を立てるだろう。2度と面会してくれないかも知れないし、最悪命を奪われるかも知れない。彼は用心深く質問した。

「カルロ・ステファンの命を狙っている者がいます。お心当たりはありませんか? 彼が殺されなければならない理由を知りたいのです。そして俺に出来ることならば、相手を説得して彼を救いたい。」

 少佐がゆっくり首を動かして彼を見た。感情を表さない黒い目で彼を眺め、それからムリリョに向き直った。彼女が言った。

「私も知りたい。誰が彼の死を望んでいるのですか。」


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