2021/07/28

礼拝堂  6

  盗掘美術品密売ルートの元締めで麻薬シンジケートの一端でもあったロザナ・ロハスの要塞を破壊しボスのロハスを生け捕ったステファン大尉が、手柄を褒められもせず、降格もされず、国防省病院の廊下でケツァル少佐の護衛を命じられているのは、上官が負傷して前線を退いた後の指揮を執らずに私怨でロハスの要塞に突入した罰だと、少佐は言い、ステファン本人もそう認識していた。しかしシオドアは、大統領警護隊の司令官であるエステベス大佐と言う人が護衛されている筈のケツァル少佐にステファンを守らせているのだと理解した。病院の建物は遺伝病理学研究所と同じで結界を張りやすい。少佐は彼女の病室から離れている大部屋で寝ているアスルも守ることが出来るのだ。
 見舞いを終えて、シャベス軍曹が運転する車で彼はアリアナと共に一旦帰宅した。彼女を家に入れて、彼は再び出かけようとした。シャベス軍曹は良い顔をしなかった。内務省の指示で亡命者の監視をしているのだ。のこのこ外出されては彼も気が抜けない。仕方なく、その夜は家にいることにした。
 シャベスが夜の護衛と交替に帰宅し、シオドアはアリアナと夕食を取った。アリアナは上機嫌でアスルが脚の傷以外は元気だったことを報告した。

「”ヴェルデ・シエロ”って、貴方と同じで傷の治りが早いんですって。だからアスルはもう痛くないそうなの。だけど憲兵隊の守護を放棄して要塞に突入した罰で、普通の人と同じ日数を入院していないといけないんですって。」
「何だい、それ? 仕事をするなってことか?」
「アスルは営倉に入るよりベッドで寝ている方が辛いってこぼしてたわ。」

 日中の業務時間以外は風来坊のような生活をしているらしいアスルには、例え数日のことでも1箇所で寝ているのは苦痛なのだろう。それは廊下の椅子に座って護衛を続けるステファンも同じなのだ。居眠りも散歩も許されない。トイレに行くにも上官の許可が要る。

「大尉はタバコを我慢しているのかい?」
「そうよ、病院の中ですもの。だから売店で売られているキャンデーを舐めていたわ。」
「キャンデー?」
「タバコと同じ香りがするの。」

 ああ、とシオドアは合点した。禁煙となっている国防省病院では、気のコントロールが上手くいかないメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”の患者の為に、タバコと同じ植物を原料とするキャンデーを作って与えているのだろう。売店でも販売しているのだ。アリアナが可笑しそうに笑いながら言った。

「そのキャンデー、私も舐めたいと言ったら断られたの。死ぬほど不味いんですって。」
「そうだろうな・・・美味しかったら、街でも売られている筈だよ。」

 シオドアはタバコも吸わないので、キャンデーの味が想像出来ない。だが美味しい筈がないと思った。ハバナ産の高級葉巻だって、その味のキャンデーが出回ったと言う話を聞いたことがない。
 夕食の後、それぞれの部屋に引き揚げた。シオドアは電話を出した。セルバ国立民族博物館にかけてみたが、誰も出なかった。営業時間はとっくに終わっている。職員は皆んな帰ったのだ。館長も帰ってしまったのだろう。彼は自室を出て、アリアナの部屋のドアをノックした。アリアナはまだ部屋に入ったばかりだったので、寝る支度をしている最中だった。シオドアがデネロスの電話番号を教えてくれと言ったら、女の子の番号を本人の許可なく教える訳にはいかないと断られた。

「何だよ、下心なんかないぞ。」

 シオドアが怒って見せると、彼女はちょっとむくれた。

「一緒にバイトした時に訊かなかったの?」
「そんな必要はないと、あの時は思ったんだ。それに俺が今用があるのは彼女じゃなくて、彼女の知り合いだ。その人の番号を彼女に訊きたいんだよ。」
「誰なの? 私がマハルダに電話して訊いてあげるわ。」

 時々アリアナは故意に融通が効かない。シオドアが大統領警護隊の友人達に関わる行動を始めると、彼女は仲間外れにされまいと必死になるのだ。シオドアは仕方なく目的の人の名を言った。

「考古学のケサダ教授だよ。マハルダの担当教授だろ?」

 それでやっとアリアナはデネロス少尉に電話ではなくメールを送ってくれた。大統領警護隊の官舎は門限でなくても電話を掛けられる場所が決められていて、外から掛ける場合は事前にメールで予告した方が良いのだと彼女はロホから教えられていた。時間帯に関係なく電話を掛けられるのは、同じ大統領警護隊の少佐以上の階級の将校だ。
 メールの返事はメールで来た。シオドアはそれを見せてもらい、自分の電話に登録した。礼を言って、おやすみのキスをすると、アリアナがちょっと照れた。
 自室に戻り、シオドアはベッドではなく椅子に座って姿勢を正した。緊張感を持ってマスケゴ族の教授に電話をかけた。ケサダ教授はすぐに出てくれた。背後で子供の声や女性の声が聞こえたので、家族団欒の夕食の場を邪魔してしまったようだ。

「お寛ぎの時間に申し訳ありません。」

 シオドアは名乗って直ぐに用件に入った。

「ムリリョ博士の連絡先を教えていただけませんか?」

 ケサダ教授は暫く沈黙した。ケツァル少佐でさえ滅多に掴まえることが出来ないマスケゴ族の長老の電話番号を白人が訊いているのだ。シオドアは付け加えた。

「友人の安全を確保するために、あの方の協力を頼みたいのです。」
ーー友人?
「大統領警護隊の友人です。」

 数秒間を置いて、ケサダ教授は言った。

ーーこちらから掛けなおします。

 電話が切れた。シオドアは脈ありと感じた。ケサダとムリリョは同じ大学の師弟関係よりマスケゴ族の純血種同士の繋がりが強いのだろう。そして、恐らくケサダは”砂の民”だ。しかし純血至上主義者ではない。ムリリョは純血至上主義者で”砂の民”の組織の長であり、マスケゴ族の長老だ。
 まだ眠るには早い時間だったので、シオドアはジャガイモの遺伝子の変遷を研究した学者の本を開いた。料理のレシピが載っていれば面白いのだが、生憎文章と遺伝子の相関図ばかりだ。同じものを見るなら人間の方がずっと面白い、と思っていると眠たくなってきた。こっくりしたところに、ケサダから電話が掛かってきた。

ーー明日の夕刻7時、グラダ大聖堂のエクスカリバー礼拝堂で。

 それだけ囁いてケサダは電話を切った。シオドアは一瞬彼が冗談を言ったのかと思った。グラダ大聖堂と言えば、セルバ共和国カトリック教会の中心だ。”曙のピラミッド”より低い土地に建てられており、高い尖塔を持っているがピラミッドより高い位置にならないよう配慮されている。礼拝の時間には信者が集まっているので、聖堂は厳かだが周辺は賑やかな区域になっている。”ヴェルデ・シエロ”の長老がキリスト教会を面会の場所に指定するのは奇妙だが、仲間の目を誤魔化すには都合が良いのかも知れない。


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

原作ではケサダはフィデルと言う洗礼名しか出てこない。
そして考古学者ではなく人類学者として登場する。
さらに、もう少し若い設定だった。

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