2021/07/22

博物館  5

  セルバ国立民族博物館は午後7時閉館だ。午前9時に開館し、正午にシエスタで閉まり、午後2時に再開する。正面玄関を入ったところに巨大な壁画が展示されている。頭部に翼がある神やジャガーの上半身に人間の下半身を持つ神、槍を持った兵士の軍団、月や星を操る女性達、トカゲやワニや鹿の様な動物・・・シオドアが眺めていると、少し遅れてケツァル少佐が入ってきた。文化・教育省は午後6時に閉庁するので、彼女は多分何か軽く食べて来たのだろう。シオドアは自分も何か食べてくれば良かったと後悔した。アリアナは医学部の新しい友人の家に招かれて泊まりになるのだ。運転手は先に帰らせた。メイドは夕食の準備を終えたら帰らせる様に運転手に指図し、シオドア自身はタクシーで帰宅するつもりだ。
 少佐が壁画の前で足を止めた。

「これは本物です。」

と聞かれもしないのに彼女が説明した。

「遺跡に置いたままにしておくと崩壊が進むばかりだったので、分割してここへ運び、修復しました。10年かかりました。描かれた当時の絵の具を再現するのに時間がかかったのです。」
「職人技だね。元の絵が素晴らしいのは勿論だけど、それを現代に蘇らせる技術を持つ人々も凄い。」

 シオドアが賞賛すると、少佐は自分が褒められたみたいにちょっと頬を赤らめた。

「コンピューターで再現映像を作りましたが、実際に石に塗ってみると色調などが微妙に異なるので、皆んな苦労した様です。」
「君達の先祖だね。」

 シオドアは中央に大きく描かれている頭部に翼がある神を指差した。少佐が苦笑した。

「そんな頭をした人間がいたら、私は神様どころか化け物だと思いますけど。」

 子孫にそんなことを言われては神様は立つ瀬がないだろう。
 閉館を告げるチャイムが鳴り、玄関の扉が自動的に閉じられた。ガチャリと施錠される音が響いた。これから朝まで、中の人間は裏の通用口しか使えない。館内の照明が順番に消されていく。少佐がシオドアについて来いと合図した。
 現代のセルバ共和国で生産されている工業製品や農作物の標本が並ぶケースの間を通り、奥の「関係者以外立ち入り禁止」のドアを2人は潜った。ドアの向こうは職員や学芸員達の事務所で、帰り支度をしている人々の間を通り抜けた。ケツァル少佐は博物館関係者と顔馴染みなので簡単な挨拶だけで立ち止まらずに歩き続けた。シオドアもビジターのプレートを入り口で少佐にもらったので、彼女の真似をして「オーラ」だけで通した。職員の多くはメスティーソで白人もいた。館長が純血至上主義者の”砂の民”とは信じられない構成だ。
 事務室の奥にあるドアを抜けると、今度はラボだった。遺跡から運ばれた出土品の修復作業をする場所で、そこではまだ数人の職人が働いていた。作業に一区切りつけないと帰れない心境なのだろう、とシオドアは思った。
 ラボから更にドアを通り抜けた。階段だった。下から埃の様な黴臭い風が緩々と吹いていた。ケツァル少佐が足を止めた。

「いつもながら、ここを降りるのは嫌いです。」

と彼女が囁いた。シオドアは彼女の横に立って、階下を見下ろした。階段は途中に踊り場があって、180度ターンしていた。降りた先は見えなかったが、人の話し声が聞こえた。ザワザワと、不明瞭で大勢がてんでバラバラに喋っている。

「地下室だね。大勢いるみたいだが?」

 すると少佐が彼を振り返った。

「聞こえるのですか?」
「何を? 人の話し声かい? スペイン語じゃないと思うけど、10人かそこらの人数が話をしているみたいだ。」

 シオドアは何処かで同じような物を聞いたことがあると思ったが、思い出せなかった。少佐が階段をゆっくり降り始めた。彼は彼女の後ろに着いた。すると少佐が囁いた。

「後ろではなく隣にいて下さい。」
「良いけど?」

 心なしか彼女の勢いが落ちた感じがしたと思ったら、シオドアは彼女に手を握られて驚いた。それもただ握ったのではない、彼女は彼の手をギュッと力を入れて握りしめた。まさか? シオドアは新しい発見をした思いだった。

「少佐、ここの地下が怖いのか?」
「怖くなどありません。」

 少佐が強がって言った。

「足元が滑らないよう、用心しているだけです。」

 シオドアは階段の人感センサーが作動して照明が灯るのを見ながら、ケツァル少佐の弱点発見にちょっとホッとするものを感じていた。オールマイティの”ヴェルデ・シエロ”の女性は、悪霊や反政府ゲリラは平気なのに亡者が苦手なのだ。

0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...