2021/07/22

博物館  4

  週明け、シオドアは大学で偶然ケツァル少佐を見つけた。少佐はキャンパスの中庭でベンチに座り、タブレットに何か打ち込んでいた。学生達が彼女に気づいて振り返る。特に男子学生は興味津々だ。無理もない、ミリタリールックの先住民美女は人目に付く。セルバ人なら彼女が何者か見当がつくだろう。武器を持っていなくても、彼女の身分はわかる。セルバの若者の憧れと畏怖の対象、大統領警護隊だ。
 シオドアが彼女に近づいていくと、数人の学生が足を止めて彼女に話しかけた。少佐が顔を上げ、彼等の質問に答えた様だ。学生達は喜んで彼女を囲む半円を築き、シオドアは少佐が見えなくなってちょっとがっかりした。授業が始まる。歩調を早めてベンチの近くを通ると、学生達が古代遺跡の話をしているのがチラッと耳に入った。考古学部の学生達が、文化保護担当部に質問をしている。全く自然なことだった。発掘の相談でもしているのだろう。
 午前中の授業をこなすと、大学は2時間のシエスタに入った。企業が4時間のシエスタを取るのと違って学生にはちょっと厳しい。教授達にも厳しい。冬とは言え南国の太陽は容赦無く照りつけていた。シオドアは大学のカフェへ昼食を取りに行った。この日アリアナは医学部の教授達と付属の病院へ実際の患者を見に出かけており、彼は一人だった。医学部にはアメリカ人の教授がいるし、病院にもアメリカ人の医師が働いているとかで、アリアナは居心地が良いらしい。
 ビュッフェ形式のカフェでポージョエンセボジャードとご飯を取って、シオドアは木陰のテーブルを探した。良い場所は殆ど先客がいたが、4人がけのテーブルを一人で占領している人がいた。シオドアは邪魔が入らぬうちに急いでそこへ行った。

「同席を願います、ケツァル少佐。」

 彼と同じポージョエンセボジャードの皿とご飯、フライドチキンをテーブルに置いたケツァル少佐がテーブルの残りに広げていた新聞を仕方なく畳んだ。同席を許可する言葉はなかったが、こんにちはと言ってくれた。シオドアはトレイを置いて、椅子に座った。

「金曜日の夜、ロホとマハルダは門限に間に合ったかい?」
「辛うじて。営倉に入れられずに今朝出勤していたので、セイフだったのでしょう。」
「カルロはアパートに帰ったのか?」
「他に何処へ帰るのです?」

 まだステファン暗殺未遂事件は解決していないだろうと、シオドアは言いたかったが控えた。ステファン大尉は自分で自分の身を守れる、と少佐は言いそうだった。

「アスルがお世話になったそうで、礼を言います。」

と少佐が話の方向を変えた。アスルは結局あのままシオドアの寝室の床で朝まで爆睡していた。シオドアは彼の頭の下に枕を置いてやり、毛布をかけてやったのだ。土曜日の朝、彼とアリアナはアスル特製の美味しい朝食にありつけた。ペピアンの爽やかな味に感動した。アスルは週末はメイドが休みなのを知っていて、夕食の下拵えまでして置き去りになっていたステファン大尉のビートルで帰って行った。

「アスルがあんなに料理上手だとは知らなかった。」
「では、コックの友達の家に寝泊まりしているのでしょう。」

 愛想が悪い男だが、アスルは意外に交友関係が広い様だ。少佐が次の野外業務に彼を同伴させようと呟いた。竈門の前で鍋のお守りに明け暮れるアスルを想像して、シオドアは笑った。

「カルロは虫除けで、アスルは料理番なんだな。ロホは運転手だったっけ?」
「本人の前でそんなことを言わない様に。転職されると困ります。」

 少佐も笑いながら言った。シオドアは彼女の大学での用事が気になった。

「今日は考古学関係の用事でここへ来たのかい?」
「スィ・・・ノ・・・」

 少佐はちょっと視線を周囲に巡らせた。他人に聞かれたくない用件なのか? 

「考古学部の教授に会いに来たのですが、なかなか掴まらないのです。」
「考古学部の教授達から、なかなか掴まらない、と言われている君が掴まえられない人なのか?」

 ちょっと驚きだ。余程多忙なのか、それとも余程人嫌いなのか? 

「私の考古学の担当教授だった方で、マハルダの担当教授をしているフィデル・ケサダの先生でもある人です。」

と言われても、シオドアはフィデル・ケサダ教授を知らない。しかし大統領警護隊の隊員を教えるのだから、恐らくその教授もケサダ教授も”ヴェルデ・シエロ”なのだろう。 少佐が言葉を足した。

「亡くなったリオッタ教授も彼に教授を受けていました。」
「それは・・・」

 複雑な心境になった。リオッタ教授は”ヴェルデ・シエロ”に興味を持ち、消えた村を探ろうとして純血至上主義者の怒りを買ったのだ。そして事故死させられた。”ヴェルデ・シエロ”は超能力を使って直接人間を殺害したりしない。どうやらそれは厳しく掟で禁止されているらしい。だが、物に何らかの力を与えて落ちたり転がる勢いを増加させ、標的の人間を事故で死なせることをやってのけるのだ。リオッタ教授は調査しようとしていた”ヴェルデ・シエロ”が目の前にいる恩師だと気付かなかったのだ。

「その教授の教授というのは?」
「ファルゴ・デ・ムリリョ、人類学者でセルバ国立民族博物館の館長でもあります。」

 シオドアは声を低めた。

「もしかして、”ツィンル”?」
「スィ。」

 ケツァル少佐も声を低めた。

「ガッチガチの堅物です。 白人嫌い、黒人も嫌い、若い者も嫌い。」
「そんな人に用事って、仕事だろうな、やっぱり。」
「そうなのですが、呼んだのは私ではなく、向こうなのです。」

 その時、少佐は誰かを発見した。立ち上がって手を振り、相手を呼んだ。

「フィデル! こっちへ来て!」

 シオドアが後ろを振り返ると、想像したより若い男が立っており、ケツァル少佐に気がついて向きを変えてやって来るところだった。ロホと良い勝負の純血種の先住民イケメンだ。大学の教授らしく服装は上品に襟付きのニットシャツ、下はコットンパンツでベルトも締めている。片手で大きな書物を2冊抱えていた。
 シオドアも少佐に倣って立ち上がって彼を迎えた。フィデル・ケサダ教授はシオドアが知らない言語でケツァル少佐に挨拶をした。シオドアは悟った。この男は純血至上主義者だ。少佐が敢えてスペイン語で挨拶を返した。

「久しぶり。今日は貴方の師匠を探しています。何処にいらっしゃるかご存知ですか?」

 ケサダは直ぐに答えず、シオドアを見た。英語で尋ねた。

「アメリカから亡命してきた遺伝子学者と言うのは貴方か?」

 シオドアはスペイン語で返した。

「そうです。教師としての教育を受けていないので、生物学部で講師として雇われました。テオドール・アルスト、以後お見知り置きを。」

 ケサダが小さく頷いた。スペイン語に切り替えた。

「考古学部のフィデル・ケサダです。大統領警護隊文化保護担当部の若い連中が世話になったとか・・・?」
「俺が彼等を助けた以上に、彼等は俺を助けてくれました。感謝しているし、尊敬もしています。彼等は俺の大切な友人です。」

 シオドアはケサダが彼の目を見つめ、何か読み取ろうと試みたことを感じた。一般のセルバ人はマナーとして相手の目を見ることを失礼なことと位置付けている。だが本当は”ヴェルデ・シエロ”に心を支配されない為の普通の人間”ヴェルデ・ティエラ”の知恵なのだ。堂々と相手の目を見るのは”ヴェルデ・シエロ”である証拠だ。そして目を合わせた相手に支配されないのも”ヴェルデ・シエロ”なのだ。
 ケサダがシオドアから目を逸らした。彼はケツァル少佐を振り返った。

「少佐、貴方のお友達はなかなかのものだ。」

とケサダが言ったので、シオドアは「勝った!」と思った。少佐はいつものポーカーフェイスで、「そう?」と言った。そして

「この人を甘く見ると後悔しますよ。」

とも言った。ケサダは肩をすくめ、やっと彼女の質問に答えた。

「ムリリョ博士は今朝から博物館の方に籠っておられる。調べ物の邪魔をすると叱られるぞ。」
「私は博士に呼ばれたのです。人を呼び出すのなら、ちゃんと場所と時間を指定して頂きたい。私は午前中を潰してしまった。」

 遠慮なく文句を言うケツァル少佐に、ケサダが苦笑した。

「これだから、大統領警護隊は固くていかん。」
「しかし、彼女が言うことは尤もです。」

とシオドアはうっかり口を挟んでしまった。ケサダが怒るかと思えば、意に反して考古学教授が笑ったので、彼はちょっとびっくりした。ケサダが頷いて見せた。

「確かに、セニョール・アルストの言う通りだ。我が師は誰もが自分の言うことに従うと思い込む癖がある。」

 彼は時計を見た。

「博士に、グラダが腹を立てていると言っておこう。都合の良い時間をお聞きして、貴女の携帯に連絡する。それでよろしいか?」
「ブエノ。」

 少佐が椅子に腰を下ろした。ケサダ教授は小さく手を振って別れの挨拶をした。そして学生達の群れの中へ姿を消した。
 シオドアは座り直した。

「彼は何族?」
「マスケゴ族です。」
「あまり聞かないなぁ。純血至上主義かい?」

 少佐がほぐした鶏肉をスプーンで口元に運びかけて手を止めた。

「何故そう思うのです?」
「教授が君に君達の言葉で挨拶したからさ。」
「純血至上主義者なら”心話”で挨拶します。」

 少佐はパクリとチキンを口に入れた。口の中の物を飲み込んでから言った。

「ケサダは純血種ですが、至上主義者ではありません。マスケゴ族の多くは混血が進んで”ヴェルデ・ティエラ”の中に溶け込んで暮らしています。ですから、大統領警護隊の中にマスケゴ族の隊員は少ないし、政府の中に入り込んでいる人もあまりいません。彼等は”街の人”なのです。」
「それにしては、俺のことをケサダ教授はよく知っていたみたいだが?」

 少佐はシオドアがご飯を食べるのを暫く眺めていた。彼がミネラルウォーターで口の中を一度綺麗にした時、彼女は徐ろに言った。

「貴方は混同している様ですが、純血至上主義者と”砂の民”は別物ですよ。」

 シオドアは顔を上げて彼女を見た。ケツァル少佐は言った。

「純血至上主義者は本当に単独部族の純血種だけを人間だと信じ、他の存在を疎ましく思うファシストです。”砂の民”はそれとは違います。一族に害を為す者を排除することに特化された集団です。普段は一般の人に紛れて暮らしています。出身部族は様々ですし、複数部族の混血もいます。ファシスト達は組織だった集団ではなく、それぞれの思惑で動きます。”砂の民”は厳しい規則で動く組織を持ちます。警護隊が士官学校の生徒から隊員をスカウトするのと同じ様に、”砂の民”は市井で暮らす”ヴェルデ・シエロ”から仲間をスカウトします。ファシストが親から子に思想を繋げるのとは違います。」

 そしてこうも言った。

「ムリリョ博士は、純血至上主義者で、”砂の民”です。」


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