ムリリョはシオドアに目を向けながらも、話しかける相手は必ずケツァル少佐だった。
「グラダはやっぱり私が何を希望しているかわかるのだな。」
少佐は無表情だが、老博士の言葉の意味を測りかねているのがシオドアにはわかった。ムリリョはまだ彼女を呼び出した用件を教えてくれないのだ。シオドアは試しに老人に質問してみた。
「俺が亡霊の声を聞けることに何か思うところでもあるのですか?」
ムリリョが棚のミイラを一体取り出した。成人のものらしいミイラは、大人の男性の腕でも一抱えはある大きさだ。彼はそれをケツァル少佐の前に持って近づいた。
「これは”ヴェルデ・シエロ”か”ヴェルデ・ティエラ”か、どっちだと思う?」
少佐が脱力した。
「そんなこと、私にはわかりません。この遺体からは何も感じない。遺体が語りかけてこない限り、私にはこの人が何者なのか判別出来ません。」
「細胞を・・・」
シオドアはDNAを分析すれば遺伝子レベルで判別出来ると言いかけた。しかし、少佐が片手を上げて彼を制した。それ以上勝手に喋ってくれるな、と言うことだ。
ムリリョがミイラを元の位置に戻した。
「お前はグラダだ、亡者が見えるのだろう?」
「見えても話は出来ません。亡者とは”心話”が出来ないのです。」
「だが、この白人は声を聞けると言ったぞ。」
ムリリョがシオドアを見ずに指だけ指した。全く失礼な爺様だ、とシオドアは思った。彼はまた我慢出来ずに言った。
「俺は声を聞けるが、言葉を聞き取れない。君達の先祖の言語を知らないし、亡霊の言葉は不明瞭で単語として聞き取れないんだ。それに俺が部屋に入ったり、外へ顔を出したりして彼等の姿を見ようとしたら、声は止んでしまうんだ。」
ムリリョが黙り込んだ。シオドアは室内のミイラを見た。
「要するに、ムリリョ博士はここのミイラを”ヴェルデ・シエロ”と”ヴェルデ・ティエラ”に分別したいと希望されている訳ですね?」
「遺体に傷を付けることは許さぬ。」
初めてムリリョが彼をまともに見た。
「”シエロ”であろうが”ティエラ”であろうが、セルバ人の祖先の遺体を傷つけてはならぬ。」
「しかし、表面の細胞は乾燥で破壊されているので、骨周辺か骨の組織を採取しないと、分析に掛けられないし、これだけの数を処理しようとなるとかなりの時間がかかるし、グラダ大学の設備で間に合うかどうか・・・」
「時間がない。」
ムリリョはキッパリと言った。
「博物館の建物は老朽化している。この地は地震が多い。政府に数年前から最新の耐震構造で博物館を建て替える要求を出していたが、遂に予算が通った。来月から仮保管所へ所蔵品の移転を開始する。しかしミイラは所蔵場所が足りないので”忘却の谷”へ持って行く。」
ああ・・・と少佐が顔を顰めた。シオドアが怪訝な表情をしたので、彼女が素早く説明した。
「”ヴェルデ・ティエラ”の昔からの墓所です。遺跡なのですが、ミイラ専用の保管施設があり、そこにここのミイラを一時保管すると言う計画です・・・よね?」
最後はムリリョに自説の正しさを確認するトーンだった。ムリリョが弟子をジロリと見て、徐ろに頷いた。
「”忘却の谷”の亡者どもが、ここの”ヴェルデ・シエロ”の遺体を移すことで眠りを妨げられるのは心苦しい。だから”シエロ”のものだけ別に部屋を設けて入れる。そのために、ここで分けておきたい。」
科学的なのか非科学的なのかよくわからないが、そう言うことか。
少佐が不満顔になった。
「私はミイラと睨めっこして分別している時間などありません。発掘の季節が始まるのです。超忙しいことは教授が一番ご存知の筈です。」
「だから、他に適任者がいないか相談する為に、お前を呼んだ。そしてお前はこの白人を連れて来た。珍しく気が利くではないか。」
皮肉なのか褒めているのかよくわからない。シオドアは純血至上主義者のムリリョ博士が何故”心話”でケツァル少佐と話そうとしないのか、不思議に感じた。それにムリリョは少佐がグラダ族だから亡者を見ることが出来ると言う意味のことを言った。ムリリョは何族だったっけ? グラダ族でなければ霊は見えないのか? ロホは見えていた様だが?
気がつくと、少佐とムリリョがシオドアを見ていた。
「ドクトル・アルスト・・・」
ケツァル少佐はシオドアが何回頼んでも、テオと呼んでくれない。
「貴方は夜間暇ですね?」
「暇・・・だけど、夜間の外出は内務省の許可が要るし、今日は君が同伴だから無許可でここへ来ているだけで・・・」
「許可申請は儂が出しておく。」
とムリリョが言った。そりゃ、純血至上主義者で”砂の民”の爺様からの申請だったら通るだろうけど、とシオドアは思った。ちょっと強引じゃないか?
「期限は来月の10日迄、夜の8時から明け方5時迄、ここで分別をすること。」
「ちょっと待ってくれよ、俺の睡眠時間は・・・」
「シエスタの時間に寝れば良い。」
「大学のシエスタは2時間しかないぞ。」
「午後からの仕事が多いのか?」
シオドアは返答に詰まった。午後の授業があるのは火曜日だけだった。残りの曜日は研究室で学生に出す課題の準備研究をしていたのだ。ムリリョは勝手に話を進めた。
「食べ物の持ち込みは許可しない。食事は上の事務室で取ること。ラボも飲食禁止だ。」
「もしかして、タダ働き?」
「ノ。要した時間の分だけ支払う。」
ムリリョは”心話”で少佐に何か伝えた。少佐が表情を崩した。
「安い! そんな時給でバイトを雇えるとお思いですか?」
「予算ギリギリだ。」
とても”神様”の会話とは思えなかった。
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