1週間程してエルネスト・ゲイルがシオドアのアパートに訪ねて来た。この男も遺伝子操作で生まれた人間だ。アリアナやダブスンに言わせると特別選抜の3名の子供の中で一番劣っていたそうだが、今は最優秀児だったシオドアが使い物にならなくなったので、やっと出番が回ってきた感があった。彼は手土産にチョコレートとブランデーを持って来た。
「ヤァ、兄弟。調子はどうだい?」
シオドアは彼が何か探りに来たのだとしか思えなかった。
「体調は良いよ。」
と彼は言った。
「だが過去は一切思い出せないし、仕事に戻りたいと言う意欲も湧かない。研究所は俺を養う無駄な費用を打ち切って、俺を外へ放り出してくれないかな。俺は肉体労働でも何でも生きて行くためにやってみせるさ。セルバ共和国でもそうやって暮らしていたんだから。」
「冗談だろう。」
エルネストが作り笑いを浮かべた。
「君がただの市民のふりをして暮らしていたとは思えないな。探していたんだろ?」
「何を?」
彼はシオドアの目を見つめた。シオドアも相手の目を見たが、互いの言いたいことは全く伝わらなかった。遺伝子構成が似ていると言っても、”ヴェルデ・シエロ”と俺達は全く違うんだ。遺伝子を組み替えても、普通の人間は”ヴェルデ・シエロ”にはなれない。
エルネストが言った。
「セルバ共和国の伝説の神様さ。」
ドキリとした。エルネストはシュライプマイヤーやアリアナが目撃した”消える女”の話を聞いたのだ。そしてシオドアが記憶を失う前にこだわったセルバ人労働者のサンプルに思い当たったのだろう。助手のデイヴィッド・ジョーンズが呪いの笛でおかしくなった時、あの小さな私立の博物館でセルバ共和国の神話が書かれた説明板を読んだ可能性も合った。
「神様がいる筈ないじゃないか。」
シオドアはぶっきらぼうに言い返した。
「コカインの産地が近いんだ。俺が何かおかしな物をゲリラに飲まされた可能性の方が、俺が話したと言う奇妙な体験話の真相への説得力がある。」
「アリアナやケビンもコカインをやったのかい?」
「彼等のことなんか俺が知るものか。」
その夜、食事を届けに来たアリアナに、エルネストとの会話を語って聞かせた。彼女はコカインを摂取したと言うシオドアの説に憤慨した。
「本当に私達の目の前で、あのセルバ人の女の子は消えたの! そして不意に現れた。3人同時に同じ幻覚を見る筈がないわ。」
そして涙ぐんだ。
「私だって精神科医から色々聞かれたのよ。でも本当に見たことしか言えないじゃない!」
彼女の剣幕にシオドアは黙り込むしかなかった。彼女もボディガード達も実際に”ヴェルデ・シエロ”の能力を目撃してしまったのだ。 だが、まだ3人だけだ。同じ場所で同時に見た。まだ何かトリックが存在したと誤魔化せる。
「もし、本当にセルバ人が姿を消せるのだとしたら、君は正常だと納得出来るかい? 」
アリアナは硬い表情で彼を見たままだった。
「私は正常よ。ケビンも正常。貴方だって本当は見たのでしょう? 」
「幽霊やジャガー男を?」
シオドアは自分で笑って見せた。出来るだけ自然に見えるように、目が笑っていると見えるように。しかしアリアナは誤魔化されなかった。
「貴方はセルバの神様に魅入られているのよ。」
「神様なんていないよ。セルバ人は俺達と同じ人間だ。」
「それじゃ、どうして貴方は遺伝子分析を止めたの? 彼等の正体を暴くのが恐ろしいからじゃないの?」
「俺は記憶を失ってから遺伝子に興味を失った。前回サンプル集めに行かせて欲しいと要求したのも、セルバに逃げ出したかっただけで、出国の言い訳を作ったんだ。神様の遺伝子なんか俺には関係ないね。」
アリアナが溜息をついて彼から離れた。帰り支度をしながら彼女は最後に言った。
「エルネストは本気よ。私とケビン、それに貴方が見た者を探っているわ。」
彼女が帰ると、シオドアはパソコンを立ち上げた。博物館とセルバをキーワードで検索すると、確かに5軒の博物館が確認出来た。1軒は有名な大きな博物館で、残りは小さな所だった。研究所から近い、シオドアの助手が呪いの笛を買った博物館もあった。メルカトル博物館だ。展示物の写真を見ると、大統領警護隊文化保護担当部が国外持ち出しを辛うじて目溢しする割れた土器やレプリカの壁画が殆んどだった。本物の出土品を展示しているのは一軒だけ、メルカトル博物館だ。ステファン達は来るだろうか、とシオドアはちょっと期待した。セルバ人と話をしたかった。
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