シオドアは2日程アパートに閉じこもってパソコンで何やら作業していた。食事を運ぶアリアナとも口を利かず、エルネストは門前払いを食った。
3日後、国立遺伝病理学研究所の旧シオドア・ハーストの研究室のメンバー達のパソコンにシオドアからメールが届いた。メールには”7438”と言う名前の添付ファイルが含まれていた。遺伝子分析研究室の科学者達は、シオドアがサンプル”7438・F・24・セルバ”の元の人間を探しに行ったことを知っていた。だから数人がほぼ同時にその添付ファイルを開いた。
数10秒後、研究室の全ネットワークがダウンした。研究所だけでなく基地が大騒ぎになったのは言うまでも無い。シオドア・ハーストがウィルスを仕込んだメールを研究所内に拡散させたのだ。直ちにシステム復旧の作業が始まり、知らせを受けたホープ将軍はシオドア・ハーストを拘束した。目的を訊かれてもシオドアは黙りで通した。やがて被害の実態が判明すると、研究所の人々はシオドアの行為に首を傾げた。
”セルバ”と言う単語を含む文章、遺伝子分析ファイル、グラフ、表などが消されていた。キーワードが”セルバ”と言う単語であることに気がついたのはエルネスト・ゲイルだったが、それがわかったのはウィルス騒動から4日も経ってからだった。大量のデータが消されたことはわかっていても、消されているので内容の確認に時間がかかったのだ。
「シオドア・ハーストは狂っているらしい。」
とホープ将軍がワイズマン所長に言った。
「脳の働きが優秀過ぎると、こう言うことが起きやすいのだろうな。」
将軍の根拠のない偏見に、シオドアの遺伝子組み替えの指揮を執ったワイズマン所長はムッとなったが、将軍をこれ以上怒らせたくなかった。
「ハーストを基地の外へ出します。監視付きで外で生活させます。」
「病院に入れた方が良いのではないか?」
「彼は重度の統合失調症ですが、他人に危害を加える恐れはありません。静養させます。時間がかかっても治してやりますよ。」
そう言う経緯で、シオドア・ハーストは研究所からも基地からも追い出され、近くの小さな住宅街にアパートを与えられた。但し一人暮らしではない。ケビン・シュライプマイヤーが監視を兼ねて同居だ。シオドアは彼と日常の会話を交わしたが、どちらもセルバ共和国の思い出は話さなかった。シュライプマイヤーはシオドアがコンビニのレジ係のバイトを始めたと報告して、研究所を驚かせた。彼がそんな普通の庶民が行う仕事をするなど、誰も想像しなかったからだ。
ダブスンは彼がいよいよ本格的におかしくなったと言い、エルネスト・ゲイルは何か裏があると疑った。アリアナは彼が本気で過去を捨てたがっていると確信した。
シオドアが消したデータは復旧に時間がかかった。元データをシオドア自身が所持していたので、それを本人が復旧不可能な状態に破壊していたからだ。
シュライプマイヤーは毎日コンビニの外で車中に座ってシオドアが接客するのを見ていた。シオドアは裏方の商品搬入やゴミ出しも行っていて、バイト仲間と交代で夜勤も行った。普通の店員だ。店の客は選べない。ヒスパニック系の客が来ると、シュライプマイヤーは彼自身の血圧が上がるのを感じた。彼もセルバ共和国にわだかまりがある。それをどうしても拭い去ることが出来ないでいた。彼の場合、接触したのはケツァル少佐とデネロス少尉だけだ。女性だ。彼はコンビニにヒスパニック系の女性が買い物に来ると、どうしても車から降りて様子を伺いに店内に入ってしまった。
「君みたいにいかつい男が来ると、客が怯えるんだよ。」
とシオドアから苦情まで言われた。
「オーナーだって良い顔しないし。セルバ人なんかこんな所にいないんだから、家に帰ってろよ。」
実を言うとオーナーは用心棒が睨んでいるので質の悪い客が寄り付かなくて良いと喜んでいたのだが。
その翌日、夕方帰宅するとシュライプマイヤーが地方紙を見せてくれた。シオドアは新聞を購読する習慣がなかったし、地方紙は全く関心がなかった。しかしボディガードがここを読んでくれと指した記事には思わず目を通してしまった。
それはアメリカ国内の3つの博物館にセルバ共和国文化・教育省が所蔵品の返還を要求したと言うものだった。セルバ共和国の遺跡から盗掘された壁画や彫刻が北米で売買されていると言う情報を得たセルバ共和国大統領警護隊文化保護担当部が現地調査して、正規のルート以外で国外に持ち出された美術品を発見した。それで政府の関係機関が当該美術品を所蔵・展示している博物館に返還を求めたのだ。博物館側は盗難品だとは知らなかったと主張した。1軒はセルバ共和国に買い取りを求め、残りの2軒は頑なに返還を拒んだ。セルバ共和国は盗まれた物にお金を払って返してもらう気はさらさらなく、訴訟問題に発展する兆しが見える、と記事は伝えていた。
「お金が絡んで来ると厄介だな。」
シオドアはシュライプマイヤーに新聞を返した。
「俺には、壁画や彫刻の価値がわからない。ヨーロッパの美術品だったら、多少の値段の見当はつくけど、考古学的なものはさっぱりさ。」
彼は関心なさげに夕食の準備をしにキッチンに入った。コンビニでもらったお手軽ミールだ。シュライプマイヤーの分もある。その分給料から引かれるのだが、彼は文句を言わなかった。金銭感覚は鈍いのだ。
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