2021/07/04

異郷の空 2

 2日後、シオドアはロバートソン少佐と共にグラダ・シティ国際空港から飛行機に乗って母国へ飛び立った。民間機なので 様々な乗客が一緒だった。軍用機で強制送還されるかと思っていたシオドアは少しだけリラックス出来た。セルバ人のビジネスマンや旅行者も多い。機内は英語とスペイン語が飛び交って賑やかだった。飛行距離も長くないので、エコノミークラスだ。シオドアは窓側の席を与えられたが、トイレは自由に行かせてもらえた。
 通路を歩いて行くと、セルバ人の団体が固まって座っていた。旅行に行くのだろう、ツーリズムガイドをめくっていたり、地図を広げて隣の人と喋っていたり、楽しそうだ。何気なく彼等の様子を眺めながら歩いていたら、いきなり知った顔を見つけてしまった。
 錯覚かと思ったが、間違いなかった。浅黒い肌に白人の血が混ざった顔、髭は剃っているが鋭い目付きは変わらない。
 カルロ・ステファン?! どうしてここに?
 目が合った。残念なことにシオドアは”心話”が出来ない。ステファンが唯一生まれつき自由に使える”ヴェルデ・シエロ”の能力なのに。挨拶代わりに、シオドアは微かに微笑みかけた。向こうもウィンクした。そして隣席のシオドアが知らない若い男に話しかけた。

「セルバの遺跡から出た彫刻等を所蔵している博物館はそんなに多くないな。」

 話しかけられた男もメスティーソで、5館ほどですね、と答えた。それなら検索ですぐに出てくるな、とシオドアは思った。ステファンはさりげなく行き先を教えてくれた、と彼は思った。恐らく国外に流失したセルバ共和国の文化財の調査に行くのだろう。古代の神様の子孫が飛行機に乗っていると言うことが予想外だったので、ちょっと可笑しく思えた。
 トイレで用を足して出ると、驚いたことにステファンが順番待ちをしていた。シオドアは短く尋ねた。

「公務だね?」
「スィ。」

 シオドアは早口で国立遺伝病理学研究所の場所を告げた。

「居住区域だったら民間人でも入れるんだ。」

 困ったことがあれば何時でも訪ねて来いと言う意味で言った。勿論、シオドア自身が自由に面会者を迎えられるかどうか不明だったが。ステファン大尉は「グラシャス」と言って個室の中に入った。
 それから飛行機が着陸して入国審査を済ませる迄、セルバ人達と言葉を交わす機会はなかった。空港のロビーで3人のスーツ姿の男が待ち構えており、シオドアは窓を黒く塗られたバンに乗せられ、真っ直ぐ国立遺伝病理学研究所へ連れて行かれた。
 それから半月余り地獄の様な日々が続いた。ホープ将軍とその子飼いの科学者達はシオドアがセルバ共和国で行方不明になっていた期間に、何をしていたのか知ろうと躍起になった。まるでスパイの尋問みたいにシオドアは質問攻めにされ、薬剤を打たれ、催眠術も試された。シオドアは友人達の秘密を守るために頑張った。他人とは違う脳の働きを最大限にフル回転させ、催眠術も薬剤も乗り切った。

「頑固な記憶喪失だな。」

とワイズマン所長が評した。

「バス事故で記憶を失った上に、ゲリラに襲われてまた記憶喪失の上書きか?」

 薬剤を打たれた時に喋ってしまったのは、反政府ゲリラに誘拐された時の体験だった。縛られて頭から袋を被せられ、ジャングルの中を歩かされたこと、服の中にムカデが入ってきたこと。そして科学者達を困惑させたのは、シオドアが語った真実だった。

「石の家の中にいたら幽霊の声が聞こえた。」
「ジャガーが助けてくれた。」
「ジャガーは友達のナワルだったんだ。」
「俺が暮らした村はまだJ・F・Kが生きていた時代に存在したんだ。」
「太陽に背中を向けて歩くと、時間を早回しで現代に戻ってこられるんだ。」

 精神科医はホープ将軍とワイズマン所長にシオドア・ハーストは統合失調症の可能性があると報告した。
 シオドアは研究室への出勤を止められ、無期限の休業を言い渡された。研究所にあるかも知れないセルバ人の遺伝子情報の確認は出来なくなったが、シオドアには休息が必要だった。半月間の尋問は流石の彼も気力を失う程に精神的にこたえた。休業を言いつけられて3日間、彼はアパートで寝ていた。メイドは彼が些細なことで癇癪を起こして以来怖がって来なくなったので、アリアナ・オズボーンが世話をしに来てくれた。
 遺伝子工学に全く興味を失ってしまったシオドアに、アリアナは仕事以外の話をしようと努めた。

「セルバの女性は神秘的よね。」

 お茶を淹れて一緒にテレビを見ながら、彼女が囁いた。シオドアはカウチにもたれかかって、つまらないコメディドラマを眺めていた。

「どう神秘的なんだ?」

 アリアナは、彼を刺激する恐れのある話題は避けろと精神科医から忠告されていたが、他に話題を思いつかなかった。

「彼女達はとても親切で優雅で美しいの。でも隠し事が上手。どこまでが本当のことを言っているのか、わからない。」
「彼等は軍人だ。ここの連中だって、本当のことを言わないだろう。国家機密を扱うのだから、当たり前さ。」

 アリアナは彼を見ないで呟いた。

「マハルダは、私達の目の前で消えたのよ。」

 彼女には気の毒だったが、シオドアは声をたてて笑ってしまった。

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第11部  紅い水晶     22

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