2021/07/16

聖夜 1

  駐米セルバ大使館は、フェルナンド・フアン・ミゲール大使の私邸の一角を使用していた。大使館を開いた時は本国の省庁同様オフィスビルのフロアを一つ借り切っていたのだが、富豪の農園主が大使に任命された時、共和国政府はミゲール氏の私邸の一部を借りる契約をした。そしてミゲール氏が大使を辞める時は、私邸を大使公邸として購入する契約にもなっていた。大使は格安の条件でそれを呑んだ。
 ミゲール大使は大使館で開くクリスマスパーティーの計画を会議で話し合い、午後9時に終了した。セルバでは普通に夕食が始まる時刻だ。職員達が帰宅し、彼は執務室で1人残った武官にパーティーの警護の計画表を出すよう指示した。武官は大統領警護隊の緑色の鳥の徽章を胸に付けていた。肩書きは少佐だ。勿論純血種の”ヴェルデ・シエロ”だ。

「ファルコ少佐、君はクリスマスに帰国しないのかね?」
「私は独立記念日に休暇を申請しています。」
「そうか。早く家族に会いたいだろうに。申請がすんなり通るといいな。」
「グラシャス。」

 大使と武官が友好的な微笑みを交わしていると、突然オフィスのど真ん中にアメリカ兵の制服を着た男が空中から現れて床に転げ落ちた。大使と武官が呆気に取られているうちに、オフィスワーカーらしい白人女性が同様に出現して先の男の上に落ち、次いで同じくオフィスワーカー姿の白人男性が空中で必死でバランスを取り、女性の上に落ちまいと努力して最初の男の真横に落ちた。最後に赤いジャンパーを着た女性が3番目に出て来た男の真上に落ちた。

「グエ!」

 3番目に出て来た男が声を上げた。失礼! と赤いジャンパーの女性がスペイン語で謝罪した。白人の女性が自分の下敷きになった男から慌てて床に転がり下りて、彼に英語で声を掛けた。

「ごめんなさい!大丈夫?」

 男は肺から空気を押し出されてしまったらしく、うーっと唸った。
 ミゲール大使が武官を振り返って言った。

「今日はこれで終わりにしよう。帰って宜しい。」

 ファルコ少佐は赤いジャンパーの女性を見て、白人女性の下敷きになった男を見た。そして大使を振り返った。

「では、帰らせていただきます。ノス・ヴェモス・マニャーナ。」
「ノス・ヴェモス・マニャーナ。」

 また明日と挨拶して、武官は大使執務室を出て行った。武官がドアを閉じると、大使は赤いジャンパーの女性の下敷きになった男が立ち上がるのを眺めた。白人女性も彼女の犠牲になった男を支えて立ち上がった。その男は大使の存在に気がついた途端、しゃんと背筋を伸ばし、靴の踵をカチッと言わせて直立不動の姿勢を取った。大使は彼に頷いて見せ、白人女性に英語で「こんばんは」と挨拶した。白人女性は明らかにびっくりした表情で室内を見回した。そして見知らぬ中年の紳士に挨拶を返した。

「こんばんは・・・オズボーンと言います。ここは何処ですか?」

 シオドアは答えてやりたかったが、咳が出て声が出なかった。ステファン大尉が気をつけしたままでアリアナに教えた。

「駐米セルバ共和国大使館です。」
「こんばんは、ミゲール大使・・・」

 やっとシオドアは声を出せた。そしてケツァル少佐がいないことに気がついた。さっき迄彼の上に乗っかっていたのに。
 大使が来客用の椅子を手で指して座れとジェスチャーをした。立ったまま動かないステファン大尉のそばにいたアリアナをシオドアは椅子に誘導した。大使が気を利かせて大尉に声を掛けた。

「楽にしなさい、ステファン大尉。」
 
 それでステファン大尉が足を開いて「休め」の体勢になったので、シオドアはちょっと可笑しく感じた。大尉は直属の上官であるケツァル少佐の前では平気で砕けた姿勢になれるのに、大使の前では緊張したままだ。
 大使がシオドアに顔を向けて微笑んだ。

「少し遅かったですね。最後に電話でお話しした時は、彼を保護して下さったとお聞きしました。翌明け方迄には迎えの者が連れて帰って来ると思っていたのですが。」

 ステファン大尉が何か言い掛けたが、シオドアは遮った。

「申し訳ありません。俺の昔の職場の連中に彼の存在を知られてしまいました。俺がケツァル少佐を”出口”へ迎えに行った間に、連中に彼を攫われてしまい、取り返すのに手間取ったのです。少佐に余計な仕事をさせてしまいました。俺が馬鹿でした。彼女を迎えになど行かずに、彼女のいる場所に彼を連れて行くべきでした。」

 アリアナは彼等がスペイン語で喋っていたので会話の内容が分からなかった。しかし、シオドアが自分達が大使館に現れた理由を語っているのだと見当がついた。どうやって墓地から大使館に来ることが出来たのか、彼女には理解出来なかったが、これもセルバ人の超能力なのだろう、と思った。彼女は椅子の横でじっと立っているステファン大尉を見上げた。彼にもっとそばに来て欲しかった。さっきの様に手をしっかりと握っていて欲しかった。

「貴方の昔の職場の人々は、ステファンをどうしようとしたのです?」

 シオドアは躊躇った。母国に忠誠を誓った訳ではないが、外国の、それも大使に聞かせたくない話だ。しかし嘘をつきたくなかった。シオドアはセルバ共和国に行きたいのだ。あちらの国で残りの生涯を過ごしたいのだ。

「お恥ずかしい話ですが、俺とアリアナは母国政府が運営する国立遺伝病理学研究所で生まれた遺伝子組み替え人間です。研究所は超能力者と呼ばれる人々を全国から連れてきて、能力開発や人間兵器の研究をしています。彼等は様々な方面からセルバ共和国の古代の神々の不思議な能力の話を得ていました。しかし、これ迄は本気にしていなかったのです。南の小さな国に大きな能力を持った人々が暮らしているなどと信じていなかったのです。ですが、今回、中南米の美術品ばかりを狙う泥棒”コンドル”が警察に追い詰められ、姿を消したこと、同時に何処から来たのか黒いジャガーが現れたことで、うちのゲイル・・・俺とアリアナの”兄弟”になる男ですが、彼が俺の過去の言動と照らし合わせてセルバ共和国の秘密に興味を抱いたのです。彼は覗き見が趣味でして・・・C C T Vの覗き見や盗聴が好きで、偶然ステファンを助けたアリアナの家に盗聴器を仕掛けていまして、彼女と俺の会話を聞いたり、ジャガーの姿をカメラの映像で見てしまったりしたのです。
 研究所では、超能力者本人を飼い慣らすことは無理なので、遺伝子を採取して兵士の遺伝子に組み込んだり、新しい子供を作るのに使うのです。」
「つまり、子供を作らせる為に彼を攫ったと?」
「簡単に言えば、そう言うことです。」

 アリアナが不安気にシオドアを見た。彼女の名前が話の中で出て来たので、彼が何の話をしているのか心配だった。
 大使がステファンに何か質問しようと顔を向けた時、ケツァル少佐が部屋に戻って来た。大使がちょっと不満顔で声を掛けた。

「私に挨拶もしないで何処へ行っていた?」
「ファルコを追いかけて話をしていました。」

 少佐は少しも悪びれないで大使の前に立った。

「只今任務完了しました。休息の為に大使館の部屋を一つお借りしたい。」

 すると大使がニヤリと笑って言った。

「只今のキスをすれば、私邸の方の部屋を使わせるぞ。」

 シオドアは思わず少佐を見た。少佐は一瞬天井を見上げ、それから大使の前に進み出た。そして、いきなり大使の首に両腕をかけ、

「只今、パパ。」

と囁いて大使の両頬にキスをした。 大使が笑顔で彼女を抱き締めた。

「このお転婆娘が! 半時間で戻ると言って出かけて、結局帰って来たのは48時間後かい?」
「ごめんなさい。事態を軽く考えてしまって・・・」
「それじゃ、指揮官失格だな。警護隊を除隊させられたら、さっさと嫁に行けよ。」
「それだけは勘弁して・・・」
 
 思いっきりラテンアメリカの乗りで大使と少佐が頬のキスを繰り返した。アリアナが目を丸くした。シオドアは何故かステファン大尉を見てしまった。大尉は空中を見つめていたが、肩が細かく震えていた。

 あいつ、笑ってやがる・・・


2 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

父親には頭が上がらないケツァル少佐・・・

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

空中から現れたシオドア達に突っ込まないファルコ少佐に逆にツッコミを入れたくなったりする・・・

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