2021/07/08

異郷の空 11

  アリアナは黒い大きな猫を庭先で見つけたのだ。人間と同じ大きさの猫だ。鋭い牙を生やし、緑色に輝く目を持ち、太い四肢で大地を蹴って跳躍する、真っ黒なジャガーだった。ただ彼女が見つけた時、黒いジャガーは傷ついていた。左脇腹から血を流し、全身ずぶ濡れでブルブル震えていた。アリアナは博物館の泥棒も黒豹の出没も知らなかったが、目の前にいる動物が尋常でない物だと判じた。急いで家に駆け込んだ。ジャガーが追いかけて来るかと思ったが、その気配はなく、窓から庭を見ると、桟橋へ降りる階段の上で倒れていたのは獣ではなく人間だった。
 アリアナは警察に電話するべきだと心の中で自分に言い聞かせながらも、庭に出て、男に歩み寄った。男は全裸だった。脇腹から出血していた。近づいて来る彼女に気がついて顔を上げた。アリアナは彼の顔に見覚えがあった。何故彼がここに? そして男の目が緑色の猫の目だと気がついて、危うく悲鳴を上げそうになった。しかし彼女が声を出す前に、彼の方が先にぐったりと地面に顔を着けてしまった。
 死にかけている・・・
 彼女は彼の肩に手をかけて言った。

「しっかりして! 家へ連れて行くわ。そこまで頑張って!」

 男は最後の気力を振り絞って彼女に支えられながら立ち上がり、家迄歩き、何とかバスルームまで辿り着いた。そこでアリアナは彼を洗い、傷の応急手当てをした。傷は出血していたが半分ほど塞がっていた。だから縫合は必要ないと彼女は判断して、傷口が開かないよう医療用テープで塞いだ。包帯を胴に巻かれている間も男は一言も発しなかった。そして彼女の寝室へ誘導され、ベッドの上に横たわると直ぐに眠りに落ちた。
 経緯を聞かされたシオドアはアリアナの服装を眺めた。

「君も眠った様だね。」

 アリアナが自分の体を見下ろした。

「彼は熱を出して震えていたの。だから温めただけよ。」
「自分の体温でか。まぁ・・・あの体だから抱き甲斐はあっただろうさ。」

 彼女がムッとして言い返した。

「私は黒い猫を抱いたつもりよ。」

 ピザを2切れ残して、彼等は食事を終えた。

「ジャガーが彼になったと言っても、貴方は驚かないのね。」
「うん・・・彼が初めてじゃないから。」

 アリアナが固い表情でシオドアを見た。

「セルバ人って、皆んなジャガーになるの?」

 シオドアは思わず吹き出した。そして彼女が目に涙を浮かべていることに気がついた。ちょっと反省した。

「ごめん、君は俺ほどにはセルバ人を知らないって忘れていたよ。あの国の国民が皆んな変身する訳じゃない。殆どは俺達と同じ普通の人間だよ。同じって遺伝子操作されたって意味じゃなくて、本当に普通の人間って意味で・・・」
「わかってる。」
「だから、普通のセルバ人は変身しない。消えたりしないし、テレパシーも使わない。悪霊祓いもしない。時間の跳躍もしない。空間の跳躍もしない。」
「貴方はそれを全部体験したの?」

 アリアナに見つめられてシオドアがどう答えようかと迷った時、寝室で物音がした。救われた気分でシオドアは席を立ち、寝室へ行った。ドアをノックして、声をかけた。

「シオドア・ハーストだ。入るぞ、ステファン大尉。」

 そっとドアを開けると、ステファン大尉が慌ててベッドの上で毛布を被るところだった。シオドアは少し安堵した。大尉は動ける様だ。裸なので、ドアを開かれて慌てたのだ。

「君と俺は服が同じサイズだから、俺の家から新しい衣類を持ってきた。趣味に合わないかも知れないが、我慢して着てくれ。俺が過去の村から戻った時に、君に拾われて君の服をもらった。そのお返しだから、気にしないで使って欲しい。」

 大尉が上半身を起こして、グラシャスと言った。

「貴方の声が聞こえたので、まさかと思ってドアで聞き耳を立てていました。そしたらクシャミが出て・・・」
「その格好のままじゃ風邪をひく。残り物で悪いがピザがあるので、持って来る。腹が減っているだろう?」

 すると大尉が尋ねた。

「私を助けてくれた女の人は?」
「アリアナ・オズボーン、俺と同じ研究所で育った。妹みたいな人だ。グラダ・シティの文化保護担当部のオフィスで君と会ったことがあると言っている。」

 しかしステファン大尉は首を傾げただけでコメントしなかった。
 シオドアはダイニングに戻った。残り物のピザを皿に移し、アリアナが温めてくれたミルクと一緒にトレイに載せて寝室に戻った。ステファン大尉は服を着てベッドに座っていた。よほど空腹だったのだろう、ピザをもらうと直ぐに食べてしまった。部屋の隅にあった椅子に座って眺めていたシオドアは、その食べっぷりに思わず笑みを浮かべた。食欲があれば大丈夫だ。

「もう1枚頼もうか?」
「いえ、結構です。落ち着きました。」
「傷の具合はどうだい? 痛むか?」
「大丈夫です。寝ている間にかなり塞がった様です。」

 多分、”ヴェルデ・シエロ”だから言えることだ。シオドアは事件の経緯を知りたかった。

「博物館で何があったんだ? 警察は君達が仲間割れをしたと考えている様だが?」
「私にも訳がわからないのです。」

と大尉は言った。


 


0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...