2021/07/09

異郷の空 12

  カメル軍曹はセルバ共和国陸軍特殊部隊の隊員だった。特殊部隊は普通の人間、つまり”ヴェルデ・ティエラ”とメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”で構成されている部隊だ。ここの”ヴェルデ・シエロ”はせいぜい”心話”を使える程度で、本人も出自の自覚がない連中ばかりだ。カルロ・ステファンも大統領警護隊にスカウトされなければ、こちらの部隊に配属される筈だった。だから、部隊で数少ない本物の”ヴェルデ・シエロ”である司令官から、北米の博物館が返還を渋っているセルバ文明の文物を奪還する任務にカメル軍曹を相棒として連れて行くようにと命令された時、若干足手まといだなと感じつつも従った。
 カメル軍曹はステファン同様貧民街の出身で、泥棒の才覚があった。ステファンが子供時代に家族の生活のためにかっぱらいや掏摸やひったくり等の窃盗を重ねていたのと違い、軍曹はトリックを用いて人を騙し金品を巻き上げる詐欺師的な行為が得意だったのだ。だから”コンドル”はカメル軍曹が下見をして計画を立て、ステファンが実行すると言う手口で美術品の”回収”を行った。任務遂行は上手く進んだが、2人が仲良くなることはなかった。カメル軍曹はステファンが放つ強い気を感じていたのかも知れない。任務の相談をする時、彼はステファンの目を決して見なかった。仕事をしない時は常に別行動だった。ステファンも子供の時から周囲の人間が彼に対して取るそんな風な態度に慣れていたので、別段不自然に感じなかった。
 最後の標的であるメルカトル博物館に侵入する時、初めてカメルが一緒に中に入ると言った。ステファンは邪魔だと拒否した。カメルは一旦意見を引っ込めたが、当日実行する段になって再び一緒に行くと言った。そして強引について来た。メルカトル博物館は個人が趣味で経営しているので、あまり高価な品はない。しかしメキシコのコーナーだけは本物の見事なオパールの仮面が展示されていた。小さな物だが、売れば結構な値段が付く。計画では、ダミーとしてその仮面を盗むことになっていた。
 ステファンが警報装置の線を切ってガラスケースから仮面を取り出した時、背後からカメル軍曹が突進して来た。気配を感じたステファンは本能的に体を右へ動かし、左脇腹をナイフで切られた。

「恐らくカメルは私の心臓を背後から狙ったのです。しかし私が動いたので、腹を切られた程度で済みました。」

 驚いたはずみで気の放出が一瞬爆発的になったのだろう、線を切った筈の警報装置が作動してベルがけたたましい音を立てて鳴った。カメル軍曹は慌てた。その隙にステファンは逃げた。カメルが追って来たが、直ぐにパトカーのサイレンが聞こえた。銃声を耳にしたが、ステファンはひたすら走った。切られた脇腹から血が吹き出し、激痛と恐怖が襲ってきた。

「私は無我夢中で逃げました。走っているうちに体が軽くなっていく感覚があり、袋小路に追い詰められた時、夢中でジャンプしたら塀の上に上がれたのです。」
「変身したことに気がついたのは、何時?」
「塀から近くの家の屋根に飛び移った後です。傷が痛むので確認しようとしたら、何故か舌で舐めてしまいまして、血の味で我に帰りました。」
「人間に戻ろうとは思わなかった?」
「その時はただ仰天してしまって・・・屋根の下では警察車両が集まっていましたし、人が大勢いたので、そのまま屋根伝いに移動しました。人間に戻ろうにも方法がわからないし、裸だし、味方もいないし・・・」
「俺のところへ来ることは考えなかった? ああ、住所を教えていなかったな。」
「それに貴方と出会えても、ジャガーが私であると伝えることは出来なかったでしょう。」
「そうだね。犬が導入されたから、逃げ続けて、湖に入って臭いを消したんだね。 この家の庭先に来たのは偶然かい? 偶然だな、君はアリアナを覚えていなかったんだもんな。」

 ステファン大尉は微かに苦笑して見えた。

「彼女に見られた時は、もうお終いだと覚悟しました。通報されて撃たれる、それだけが頭に浮かびました。しかし体力も気力も限界でしたから、地面に横たわっていたら、彼女が戻って来て、声を掛けて来ました。それで、人間に戻ったとわかりました。後は・・・もうどうにでもなれと思って、彼女にされるがまま風呂に入れられて、手当を受けて、寝てしまいました。」

 シオドアはアリアナが猫を抱いて寝たと言ったことを彼に話すのを止めた。言えばこの若い軍人は彼女とまともに顔を合わせられないのではないかと心配したからだ。

「君が逃げ回っていた頃に、ミゲール駐米大使に連絡を取ったんだ。まだ何が起きたのか具体的に分からなくて、俺自身が情報を欲したからね。大使は”コンドル”を知っていた様だが、メルカトル博物館の事件は知らなかった。」

 大尉の目が不安そうに泳いだ。

「大使は何か言いましたか?」
「警察が黒豹を探していると伝えたら、本国に連絡を取ると言って電話を切った。それっきりだ。」

 そしてシオドアは急いで大使の言葉を付け足した。

「電話を切る直前に大使は言った。豹ではなくて、ジャガーだ、エル・ジャガー・ネグロだって。」

 シオドアは、ステファン大尉が弾かれたように立ち上がったので、彼も驚いた。

「どうかした?」
「・・・なんでもありません・・・」

 しかし大尉は何かに激しく動揺していた。顔を背け、自分の腕で自分を抱き抱えるポーズになり、口の中でぶつぶつ呟いた。シオドアには「そんな筈はない」と聞こえた。



1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

この時点では、カルロ・ステファンはグラダの自覚がない。

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