2021/07/18

聖夜 5

  ミゲール大使は時計を見て、まだ時間に余裕があることを確認した。

「我々”ヴェルデ・シエロ”は7つの部族に分かれます。グラダ、ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナです。言葉は全部同じですが、持って生まれる能力が部族毎に少しずつ異なるのです。共通しているのは”心話”や空間の歪みを見る能力、他人に幻影を見せたり自分の姿を見えないと相手に思わせる”幻視”です。
 大統領警護隊文化保護担当部を例に挙げれば、アルフォンソ・マルティネス中尉とマハルダ・デネロス少尉はブーカ族です。現在一番純血種の人口が多く、メスティーソの数もかなりいます。他部族のメスティーソの大半の先祖にブーカ族がいると言っても過言ではありません。彼等は友好的で穏和な部族なので人口を減らさずに今日迄生き延びたのです。
 ブーカ族は空間の通り抜けを日常的に行えます。”入り口”を探すのが上手で、”出口”を作るのも上手です。他の部族は修練しなければ出来ません。空間の歪みを見ることは出来ても、”通路”に入るのが容易ではないのです。
 また、ブーカ族は古い石像などに籠る昔の精霊を見たり捕まえたり出来ます。彼等の多くが田舎で拝み屋として生き残っているのは、その能力のお陰です。マルティネスの生家も悪霊祓いを行う祈祷師の古い家柄で、一族の尊敬を集めています。白人の言葉で言えば貴族です。デネロスは白人や他の部族の血が混ざっているメスティーソなので修行を積まなければなりませんが、他の部族の純血種よりは習得が早い筈です。
 キナ・クワコ少尉はオクターリャ族です。この部族は非常に特殊な能力を持っており、時間を跳躍します。子供でも平気でやってのけます。他の部族は厳しい修行を何年も重ねて長老と呼ばれる年齢になる頃にやっと習得出来る力です。ですから、彼等は自ら厳しい掟を設けて、未来へ飛ぶことを死に値する大罪と定めています。
 クワコは12歳の時、1世紀近い過去へ一人で飛んだことがあります。そこで彼は疫病で彼自身の部族が死にかけているのを見たのです。彼は元の時間に引き返し、薬を持って再び過去へ飛びました。」
「ちょっと待って・・・」

 シオドアは慌てた。

「それは時間の掟に反するのではありませんか?」
「誰でもそう思った筈です。しかし、彼は疫病で苦しむ先祖を見捨てられなかった。もし1世紀前に一族が死に絶えていたら、自分は存在しない筈だ、ここで自分が皆んなを救うことが現在の自分に繋がっているのだ、と。薬を渡された人々は彼が掟を破ったことを心配しました。生き延びることに感謝し、彼の身を心配したのです。」
「アスルの判断は正しかった! オクターリャ族は疫病から救われ、キナ・クワコが現代に生きている!!」
「そうです。”ヴェルデ・シエロ”は過去の偉人の名前を記録しません。出来事を記憶するだけです。」

 シオドアは過去の村で知り合った少年がアスルの名前を知っていたことを思い出した。あの村は半世紀前に存在していた。キナ・クワコの名前はまだ人々の記憶に残っていたのだ。オクターリャの英雄として。

 あいつ、本当に物凄い英雄なんだ!

 大使はまた時計を見た。午前6時を過ぎていた。

「”ヴェルデ・シエロ”は、生まれつき持っていない能力でも、修行をすれば他部族が生まれつき持っている能力を習得出来ます。しかし、グラダ族だけは違うのです。」

 階上でドアが開閉する音が微かに聞こえた。誰かが目覚めたのだ。
 大使が声を低くした。

「グラダ族は、その名が首都に付けられる程、強い能力を持っていました。”ヴェルデ・シエロ”界のオールマイティとも言える、あらゆる能力を生まれつき持っていたのです。ですから、”曙のピラミッド”のママコナと政治と祭祀の頂点を司る大神官はグラダ族が独占していました。古代のセルバはグラダ族が支配する世界だったと言っても過言ではありませんでした。けれども、力が強い反面、彼等は人口が極端に少ない部族でした。能力を維持する為に近親婚を繰り返したことも原因だったのでしょう。子供が生まれなくなり、純血種のグラダ族は遠い過去に滅んでしまい、強力な支配者がいなくなったことで、”ヴェルデ・シエロ”がセルバを支配する時代は終わったのです。グラダの血を引く人々の多くはブーカ族の中で生き残りましたが、時代を追う毎に減って行きました。血が薄まっていったと言った方が良いかも知れません。」

 大使は冷えたコーヒーを飲み干した。そしてシオドアには新しいコーヒーを入れてくれた。

「実を言うと、私もシータ・ケツァルが誰の子供なのか知らないのです。ただ、ある日私は大統領警護隊本部の地下にある長老会の大広間に呼ばれました。私が選ばれた理由もわかりません。いきなり家に使者が現れて、連れて行かれたのです。
 大広間には長老達が並び、私は何か大きなミスをして一族の制裁でも受けるのかと震え上がりました。ほんの20代の”出来損ない”の若造でしたし、長老なんかと縁のない生活をしていましたから。一人の長老が赤ん坊を抱いて私の前に来て言いました。
『子供を与える。我が子として育てよ。この子供がどのような人生を歩むかはこの子供自身が決める』
 そして、こう言いました。
『この子供の名はシータ・ケツァル、真に純血のグラダである。心して育てよ。』
と。」

 シオドアはぽかんとしてミゲール大使を見つめた。

「純血のグラダ族・・・オールマイティ?」

 彼は必死で頭を働かせた。

「だけど、今ピラミッドにいるママコナ様は・・・」
「彼女はカイナ族の女です。純血のグラダ族が絶滅して以来数世紀に渡ってママコナは残りの6部族から出ています。先のママコナが亡くなってから最初に生まれた純血種の女の子がピラミッドに迎えられるのです。 ママコナの教育は長老会のメンバーが共同で行います。
 シータ・ケツァルは先代のママコナ存命中に生まれたので、ママコナになる資格はありません。お陰で彼女は自由にのびのびと育ち、私達夫婦は子育ての喜びを体験出来ました。成長した彼女は自分で軍隊に入ることを決めました。理由は実に子供らしいものでした。」

 シオドアは想像して言ってみた。

「軍服がかっこいいとか?」

 大使が笑った。

「ノ。 機関銃をぶっ放してみたかったそうです。」

 シオドアは反政府ゲリラの頭目に思い切り銃弾を浴びせた少佐を思い出した。部下を傷つけられて頭に来ていた彼女のストレス発散だった。彼も苦笑した。

「そう言えば、文化財・遺跡担当課で職員が騒いだ時、少佐がライフルを天井に一発撃って鎮めたんです。空砲でしたけど。」

 ありゃりゃ、と大使が首を振った。

「シータを妻にしたいと申し込んで来る男達が結構いるのですが、彼等は彼女のそんな面を知らないでしょうな。」

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

>シータ・ケツァルは先代のママコナ存命中に生まれたので、ママコナになる資格はありません。

ここ、かなり重要。覚えておくように。

第11部  紅い水晶     19

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