2021/07/09

異郷の空 13

  リビングに行くと、アリアナが誰かと電話で話をしていた。

「・・・だから、逃亡中の泥棒とか黒豹がここへ来たら怖いじゃない? 貴方に来てくれと言ってもどうせ来ないでしょ? テオが一番頼りになるのよ。だから彼に来てもらったの。朝までいてもらうわ。コンピューターには触らせないから安心して。私だってそんなに愚かじゃないわ。」

 相手はエルネスト・ゲイルだ。門衛からアリアナの家にシオドアが来ていると連絡が入ったのだろう。アリアナは彼に、

「もう少し女性に優しくすることを覚えたら?」

と皮肉を言って電話を切った。そしてシオドアを見て言い訳した。

「エルネストが、貴方がここに来ていると門衛に聞いて、電話をかけて来たの。研究には全く関係ない用事だからと言っているのに、しつこいのよ、彼。」

 シオドアは笑った。エルネストの性格は彼女同様よく知っている。

「あいつは、今日の昼間、俺のところに来たぜ。昼寝をしている俺の邪魔をした。それが目的なんだが、趣味の盗聴で知り得た警察の情報を得意げに喋った。お陰で俺は博物館の泥棒のことを知ることが出来た訳だけどね。」
「その泥棒のことだけど・・・」

 アリアナはリビングテーブルの上にラップトップを出していた。画面をシオドアの方に向けた。怪盗”コンドル”のニュースが一覧で出ていた。

「彼がこの泥棒なの?」
「正直に言えば、イエスだ。だけど、金儲けで盗んだのではないんだ。セルバ文明の遺物が盗掘されて博物館に売られていた。セルバ政府は返還を求めて訴訟を起こしているが、博物館は美術品を返すつもりがないので裁判が長引きそうなんだ。それで、セルバ政府の偉いさんが、ステファン大尉ともう1人の軍曹に盗み出してでも先祖の遺物を取り返せと命令したらしい。セルバ以外の美術品も盗んだが、それはダミーだ。見境なく盗んだようにアメリカ側に思わせたかったんだよ。」
「それで、昨日メルカトル博物館に侵入して失敗したのね?」

 カメル軍曹に暗殺されかかったと言えば、また話がややこしくなりそうだったので、シオドアは頷いて見せただけだった。

「彼をどうするの?」

とアリアナが尋ねた。 シオドアはどうしようか、と考えた。

「俺の車に隠して基地から出そう。そしてセルバ大使館へ彼を連れて行く。大使館で彼を出国させてくれると思うよ。」

 その時、シオドアの携帯に電話が掛かってきた。画面を見ると非通知だ。用心しながら出ると、相手はミゲール大使だった。

ーーこの電話は安全ですか?

と大使が尋ねた。シオドアの電話は彼が働いているコンビニで彼が自分で購入した使い捨てだ。彼が「スィ」と答えると、大使が言った。

ーー黒いジャガーを確保しなければなりません。
「大丈夫です。」

 シオドアはちょっと余裕を感じながら言った。

「ジャガーを保護しました。傷の手当も済んで、彼は休んでいます。」
ーーおお、それは有り難い!

 大使が喜びの声を上げた。

ーーすぐ迎えの者を遣ります。この番号をまだ使われますね?
「もう1回程度なら大丈夫です。」
ーーでは、連絡をお待ち下さい。

 大使は神に感謝する言葉を呟き、通話を終えた。シオドアが電話をポケットに仕舞ってアリアナを見ると、彼女はぼんやりとラップトップの画面を眺めていた。彼は彼女を安心させようと声をかけた。

「セルバ大使館が彼を迎えに来てくれるそうだよ。」
「そう・・・」

 心なしか不満気に見えた。なんだ? とシオドアは不審に思った。まさか、ステファンを手放したくないってか? 彼はジャガーで猫なんかじゃないんだぜ。
 シオドアはポットから冷めたコーヒーをカップに注ぎ、口を湿らせた。

「迎えが来る迄俺もここにいてやるよ。」

 まさか、呪いの笛の時の様に大使自ら来るのではなかろうな? と思いつつ、彼はリビングのソファに横になった。アリアナは困惑して彼を見た。

「寝室には彼がいるわ。私は何処で寝れば良いの?」
「客間があるだろう? 彼をあっちへ連れて行くべきだったな。」

 またシオドアの携帯が鳴った。今度も非通知だ。しかし大使が来るには早過ぎる。シオドアは警戒しながら電話に出た。

「ハースト・・・」
ーーラ・パハロ・ヴェルデです。

 想定外の声を耳にして、彼は跳ね起きた。思わず声が弾んだ。

「少佐! まさか、君が迎えの者?」

 ケツァル少佐は余計なお喋りをしない。

ーーシルヴァークリークのラシュモアシアターの前で待っています。

 電話が切れた。料金切れだ。シオドアは電話をテーブルの上に投げ出し、アリアナのラップトップを引き寄せた。シルヴァークリークは隣州の端っこにある小さな町だった。ラシュモアシアターはそこにある映画館だ。シオドア達がいる基地から車で片道2時間かかる。

「なんでそんな遠くにいるんだ? ってか、何時そこへ行ったんだ?」

 思わずシオドアが愚痴ると、ステファン大尉の声が答えた。

「”出口”がそこにしかなかったからでしょう。」

 リビングの入り口にステファンが立っていた。アリアナが彼を見て微笑みかけた。何か飲む?と尋ね、彼は水を所望した。
 シオドアは車のキーを掴んだ。

「”出口”の仕組みがどうなってるのか知らないが、兎に角急いで彼女を連れて戻って来る。何処にも行かずにここで待っててくれ!」

 急いで外へ駆け出したシオドアに、ステファン大尉が軽く頭を下げて謝意を表した。ドアが閉まると、アリアナは再び鍵を掛け、チェーンも掛けた。車のエンジンがかかり、走り出す音がした。彼女は窓から車を見送り、尾行する車両がいないことを彼女なりに確認した。
 振り返ると、ステファン大尉は壁にもたれて水を待っていた。

「お部屋で待ってて。すぐに持って行くから。」

と言うと、彼は素直に寝室へ戻っていった。彼女はキッチンに入り、ウォッカ・マティーニを作った。グラスを2つ、トレイに載せて寝室へ運んだ。ドアをノックして開くと、彼はベッドから大儀そうに体を起こした。まだ体力が戻ったとは言えないのだ。彼は申し訳なさそうに謝った。

「私が貴女のベッドを使ってしまいました。リビングへ移動します。」
「いいの、ここを使ってもらって構わないわ。」

 どうせ直ぐにいなくなるのでしょう? 彼女は自分が見つけた黒猫を手放したくなかった。せめて、迎えが来る迄・・・あの美しいインディオの女が来る迄は、この猫は私のものだ。


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