2021/07/12

異郷の空 22

  ステファン大尉に与えられた新しい牢獄は、シオドアの要求通り3方がコンクリートの壁で1面がガラス張りだった。ガラス面にはブラインドが取り付けられていて、着替えや室内の隅に設置されたトイレを使用する際は囚人が自分で閉じられるようになっていた。シオドアは彼がその部屋で最初の食事を終える迄付き添った。食事の内容はマッシュポテトに牛肉のシチューをかけた物で、チョコレートクッキーと苺ゼリーが付いていた。飲み物は低カロリーのミルクだった。げっそりとその食べ物を見つめる大尉に、シオドアが半分食べてやろうかと提案すると、結構ですと断られた。

「もし毒が入っていたら、貴方と私は共倒れじゃないですか。」
「毒殺なんかここじゃやらないよ。」

とシオドアは蘇った過去の記憶を元に言った。

「出来るだけ自然死に見せかけるからね。」
「貴方も手を下したことがあるのですか?」

 ギョッとする質問をされて、彼は黙り込んだ。必死で頭の中を検索した。己の過去が決して綺麗な物でないことは、既にわかっていた。それでも他人の死に関わったかも知れないと思うのは辛かった。

「被験者を死なせたことはない。俺はそう言うことをする担当じゃなかったから。だけど加担していたことに変わりはないよな。」
「貴方の国は一体どこと戦っているのです?」

とステファン大尉が尋ねた。

「人間を兵器に作り変える必要がある戦争がどこで行われているのですか?」
「戦争は銃器や爆弾で行うものばかりじゃないんだ。国同士で情報の奪い合いや嘘をつき合うのも戦争だ。インターネットで攻撃し合うのも戦争だ。そこに人間の脳が必要なんだよ。普通の脳より大きな可能性を持った脳がね。」
「私はそんなものに関われる様な頭じゃありません。」
「君は興味なくても、君の遺伝子を受け継ぐ人間がやるだろう。」
「無理です。」

 彼が小さく笑った。

「ママコナの声を聞けないのに、まともな力を出せる筈がない。」
「それじゃ、君はママコナの声を聞けるんだ。」

 シオドアの言葉に彼は黙り込んだ。恐らく、彼の頭の奥で蜂の羽音がブンブン唸っているんだ、とシオドアは思った。”曙のピラミッド”に住まう巫女様の”声”はセルバから遠い異国にいる”ヴェルデ・シエロ”にも聞こえるのだ。だから、諸外国を仕事で旅していたミゲール夫妻に引き取られた純血の”ヴェルデ・シエロ”の女の子は正しく能力の使い方を学んだ。

「あれは偶然です。」

とステファンは言った。

「私は恐怖に襲われて、必死で生き延びようとした。だから警報装置を鳴らし、医療機器を破壊出来た。ナワルを使えたのも奇跡です。私はエル・ジャガー・ネグロなどではありません。」
「黒いジャガーだろ? 君が変身したんだ。どうしてエル・ジャガー・ネグロでないなんて言うんだ。」

 しかし彼はそれっきり黙してしまい、シオドアの質問に答えなかった。
 シオドアはワイズマン所長との約束を守って、囚人の食事が終わると空になった食器が下げられる時に一緒に部屋から出た。牢獄の天井に人が通りぬけられる大きさの通風孔が設置されていることを確認して。
 所長室に行くと、ワイズマンとヒッコリー大佐が待っていた。ホープ将軍がいなかったのでシオドアはホッとした。彼はあの将軍が大嫌いだった。記憶を失う前も失ってからも嫌いだった。シオドアをまるで自分の持ち物を見るような目で見つめるのだ。愛情の欠片をその眼差しから伺うことは一度もなかった。
 ワイズマンがブランデーをグラスに注いでシオドアに振る舞ってくれた。

「さっきはよくやった。」

 彼はポケットから小さな時計の様なものを出した。

「あのセルバ人が心電図計を破壊した時、お前と私はまだ通路の角を曲がる前だったが、強力な磁場の変化を計測した。普通ならあのフロアの電子機器の多くが狂った筈だ。しかし、あの男はあの部屋の中の物だけを破壊した。常識では考えられない現象だ。ピンポイント攻撃が出来る恐るべき能力の持ち主だ。」

 シオドアはステファンの為に真実を語った。

「あの男は自分で能力の制御が出来ないのです。機械を壊しましたが、壊すつもりはなかったのです。」
「狙って壊したのではないと?」

とヒッコリー大佐が尋ねた。今まで多くの超能力者やそれらしき人々を攫って来た男だ。彼の捕虜は捕まる時に抵抗したが、超能力を使えた試しがなかった。静かな部屋で精神を集中させて物を動かしたり、隣の部屋のカードの絵を読んだり、そんな程度だ。抵抗して物を破壊したり、特殊部隊の兵士を手を触れずに弾き飛ばした人間は、今回のセルバ人が初めてだった。あの能力が自制出来ないと言うのか?

「そうです。ですから彼を刺激することが一番危険です。研究に使うにも彼の承諾を得てからにしなければなりません。彼が腹を立てたりすると非常に危険なのです。」

 大佐が所長を見た。

「眠らせて飼うことは出来ないのか?」
「それではどんな能力を持っているのか、調べようがない。」
「だが、能力を使わせることが危険なのだろう?」

 シオドアは黙って2人の会話を聞いていた。どんな結論を彼等が出すとしても、俺達はここに長くいるつもりはないんだ。
 ワイズマンがシオドアを振り返った。

「テオ、お前の今の態度がどこまで信用出来るのか、私には判断つかない。だが、エルネストやダブスンでは、あのセルバ人は言うことを聞かないだろう。お前を研究に参加させることは出来ないが、あの男の世話を任せたい。」
「わかりました。」
「基地の外の家を引き払って、こっちへ戻れ。何かあればすぐに呼び出しに応じられるようにしておけ。」
「わかりました。」

 シオドアはしおらしくして見せた。そこで好奇心が首をもたげた。先刻の騒動を目撃したヒッコリー大佐に尋ねてみた。

「ところで大佐、エルネストはどんな理由で”コンドル”を抱き締めたのです? 俺は”コンドル”に訊いてみたのですが、彼も訳がわからないと言っていました。いきなり抱きつかれたのでびっくりして機械を壊したのです。」

 するとヒッコリー大佐はしかめっ面をした。

「我々にもわからない。麻酔から目覚めた”コンドル”を宥める為に彼は部屋に入った。優しく話しかけていただけに見えたのだが・・・いきなり”コンドル”に抱きついた。あんなことをされたら、俺でも仰天する。」

 そして多くの超能力者達を捕らえてきた男は囁いた。

「俺の目に”コンドル”は戦闘のプロに見える。その男が本気で怯えていた。それだけゲイル博士の行動は意味不明だったってことだ。」


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