2021/07/27

礼拝堂  1

  盗掘美術品密売組織の頭目ロザナ・ロハスの顔をシオドアが初めて見たのは、ケツァル少佐と初めて会った日だった。少佐は彼にロハスの写真を見せて知っているかと尋ねたのだ。きつい目をした中年の白人女性で、シオドアは全く見覚えなかった。記憶喪失を抜きにしても過去に面識が一切なかったのだ。ロハスは祖先の文化を大切に思うセルバ国民にとって天敵の様な女だった。年代や部族に関係なく遺跡に侵入して彫刻や壁画を持ち出し、欧米のメソアメリカ文明の宝物を蒐集するマニア達に高額で売り捌いていたのだ。彼女には古代の神様の呪いも祟りも効かないのだろう。部屋に置くだけで近づく人間の精気を吸い取っていたネズミの神像でさえ、平気で神殿から持ち去り金持ちに売却したのだ。神聖な神々の遺物を汚しお金に換えてしまうロハスを、良識あるセルバ国民は憎んでいた。
 ロハスの財源はシオドアが考えた通り、麻薬売買だった。国民を堕落させていく元凶だ。だから彼女の組織を殲滅することはセルバ陸軍憲兵隊の大義であり、セルバ共和国刑事警察の悲願であり、大統領警護隊の任務でもあった。
 国営テレビはその日朝からずっとロハスの要塞の様な屋敷を取り囲んだ武装集団の行動を実況中継で全国に流していた。麻薬密売組織は軍隊並みの私兵と武器を備えていた。シオドアがミカエル・アンゲルスの邸で見た私兵軍団より遥かに規模が大きかった。麻薬って鉱石より儲かるんだ、と不謹慎にも思ってしまった程だ。テレビで映し出されているのは、個人所有の軍隊と国家の軍隊の戦争だ。セルバ国民はその日、仕事も勉強も手につかずにテレビの前で釘付けになっていた。
 テレビで放送していると言うことは、ロハスも中で見ているのよね、とアリアナが当然のことを言った。彼女とシオドアは大学のロビーで学生達と一緒にオーロラビジョンの画面を見上げていた。

「こっちの手の内を見せちゃって大丈夫なのかしら?」
「きっと、これだけの武力を持って囲んでいるんだから、そっちに勝ち目はないぞと伝えたいのだろう。」
「あっちの組織に”ヴェルデ・シエロ”はいないのかしら?」

 シオドアはギョッとした。単純な疑問だが、彼はそれまで思ってもみなかったのだ。その時、画面に緑の鳥の徽章を胸に付けた男達が映った。大統領警護隊だ。”ヴェルデ・シエロ”はどんな戦い方をするのだろう、とシオドアは緊張した。迷彩柄の野戦服ではなくカーキ色の戦闘用服を着たロス・パハロス・ヴェルデスはそれぞれアサルト・ライフルを装備していた。頭にはヘルメットを被り、識別用徽章がなければ憲兵隊と見分けがつかない。性別もわからない。テレビカメラは大統領警護隊を注視すると後が怖いと思ったのか、すぐに画面が切り替わり、ロハスの要塞の壁を映し出した。リポーターが叫んだ。

ーー迫撃砲だ!

 要塞から数発の弾が飛んで来るのが映った。しかし弾はこちらの軍団に届く迄にどれも空中で破裂した。直接の被弾はなかったが、破片が飛散して、前線が慌ただしくなった。何処かの部隊が射撃を始めた。要塞が応戦した。リポーターが言った。

ーー危ないところでした。ロス・パハロス・ヴェルデスに感謝です!

 再びカメラが大統領警護隊を探すかの様に動いた。先刻映ったグループは散開して2、3人ずつ憲兵隊や警察隊に付いたようだ。

「我々は直接相手を倒すことを許されていないから。」

 不意にシオドアの横で声が囁いた。シオドアはドキッとして振り向いた。考古学部のフィデル・ケサダ教授が座っていた。シオドアは言った。

「ロス・パハロス・ヴェルデスが戦闘に加われば、早く決着が着くんじゃないですか?」
「彼等は戦いません。」

 ケサダは手にしたカップからコーヒーを啜った。

「大統領警護隊の仕事は国を守ることです。さっきの迫撃砲弾を破壊したのも、憲兵隊を守るためです。彼等から攻撃を仕掛けることはありません。攻撃するのは憲兵隊と警察隊の役目です。」

 つまり、ロス・パハロス・ヴェルデスの隊員達は分散して各部隊に配置され、担当の部隊を守る仕事をしているのだ。だから・・・

「ロス・パハロス・ヴェルデスが配置された部隊の戦闘員達は誰も怪我をしないし、死んだりもしません。」

 だから現代でもセルバ人は”ヴェルデ・シエロ”を神様として敬っているのか。

「貴方が想像している程、彼等の能力は大きくないのです。」

とケサダはコーヒーを飲み干して言った。

「2人か3人で力を合わせて飛来する砲弾を破壊するのがやっとです。置いてある物を破壊するのは一人で簡単に出来ますが、高速で動く標的は射撃と同じで難しいのですよ。下手をすると味方に負傷者を出してしまいますからね。それに距離も関係します。肉眼で見えない距離の物に”作用”は出来ないのです。だから彼等は砲弾や弾丸が彼等の気の射程距離に入って来る迄待たねばならないのです。」

 セルバの超能力者達はとても人間的なのだ、とシオドアは感じた。

「”連結”や”幻視”は簡単ですが、これも適用範囲が限られています。一人でやれば、ここのロビーの中にいる人数程度が限界でしょうか。空間もこの程度の広さです。」

 シオドア達の周囲には100人程の学生や大学職員が集まっていた。これだけの人間を操ることができれば大したもんだ、とシオドアは思った。するとケサダが呟いた。

「グラダ族ならもっと桁違いな力を出せます。」

 シオドアは彼を改めて見た。マスケゴ族の教授はカップの中のコーヒーがなくなっているので、ちょとがっかりした。手で空になったカップを握り潰した。

「グラダの女性は穏やかに長時間大人数の人間を空間の制限もなく支配出来ます。だから古代のママコナはグラダ族しかなれなかったのです。現代のママコナは異部族ですから、ピラミッドで力を増幅させなければ同じことは出来ません。」
「”曙のピラミッド”は能力増幅装置なのですか?」

 シオドアの問いにケサダが苦笑した。

「現代風に言えばそうなるでしょう。」
「女性の力が穏やかなら、男性の力はどうなのです?」
「破壊的です。」

 ケサダはオーロラビジョンを見上げた。

「男性のグラダは瞬発的に相手に壊滅的打撃を与える力を出します。今テレビに映っている要塞、あの程度なら一人で吹っ飛ばしてしまえます。」

 彼はシオドアに視線を戻した。

「勿論、これは古代の文献に残されている資料を解読した内容です。グラダは遠い昔に絶滅しました。今、奇跡的に我々は一人だけ女性を取り戻した。」
「シータ・ケツァル?」
「スィ。だが惜しいかな、彼女は先代ママコナ存命中に生まれてしまった。ママコナにはなれない。」
「男のグラダは・・・」

 ケサダが指を口元に当てた。それ以上言うな、と言う合図だ。シオドアは口を閉じた。

「半分だけのグラダと言うのは大変危険な存在です。己の能力の抑制をなかなか学べない。導くべき年長者のグラダがいないからです。己で学んでいくしか方法がありません。幸い我々にはケツァルがいます。彼女が導師となって彼を導くことを期待しています。」

 シオドアは疑問を抱いた。半分だけのグラダが生まれたのなら、どこかにグラダの親が、半分だけか或いは純血のグラダがいた筈だ。そして純血のケツァル少佐の親は? やはり半分だけのグラダ同士の親がいたのか? それとも・・・・
 その時、また激しい射撃の音がテレビから聞こえてきた。ロビー内の人々の目が画面に釘付けになった。実況リポーターが早口で捲し立てた。要塞の随所から煙が上がり、怒号が響いた。取り囲む武装軍団が前進を始めた。

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第11部  紅い水晶     15

 在野の”ヴェルデ・シエロ”が大巫女ママコナに直接テレパシーを送ることは不敬に当たる。しかしママコナが何か不穏な気を感じていたのなら、それを知っておかねばならない。ケツァル少佐は2秒程躊躇ってから、大統領警護隊副司令官トーコ中佐に電話をかけた。その日の昼間の当直はトーコ中佐だった...