2021/07/24

博物館  11

  夕方、アリアナはエウセビーオ・シャベスが運転する車で帰宅した。シオドアは泊まりなので明け方迄帰らない。恐らくケツァル少佐に送ってもらうから迎えは良いよ、と言われたシャベスは少し不満そうに見えた。

 「送迎する人数が減るとお給料に影響するのかしら?」

 アリアナが心配すると、シャベスは給料は問題ではありませんと言った。

「私はあなた方が大統領警護隊と仲良くしておられることが心配なのです。」
「どうして?」
「彼等が何者かご存知なのでしょう?」

 訊かれて彼女は返事に困った。シャベスは”ロス・パハロス・ヴェルデス”の正体を知っている。だがこの国でその事実を知っていると他人に話すのはタブーなのだ。彼女は用心深く答えた。

「彼等は友人よ。」

 シャベスが少し悲しげに彼女を見つめた。アリアナはドキリとした。彼はメスティーソだが、ステファンとは違ったタイプの魅力的な顔をしていた。

「彼等は私達とは違う人々です。」

とシャベスが囁いた。

「この国を陰で操って支配している真の実力者達です。私達のことを本気で友人などとは思っていません。家の庭で遊ばせている犬や猫の様に考えているのです。いざとなれば、彼等は我々を平気で切り捨てます。信用し過ぎると痛い目に遭います。」

 友人を貶された気分で、アリアナは不機嫌になった。

「私は彼等ほどには貴方のことを知らないわ。お願いだから、私の前で彼等の話をしないで下さる?」
「申し訳ありません。」

 シャベスは謝って、交替の警備兵に引き継ぎの為に通用口脇にある小部屋へ去った。アリアナは携帯電話をバッグから出した。大統領警護隊の友人達の電話番号が登録されていた。メアドも入っている。彼等は普通の人々だ、と彼女は信じた。友達を見捨てたりしない。
 それから1時間後、行きつけの店で夕食を簡単に済ませたステファン大尉が自宅アパート前に帰って来た。車を降りてドアをロックし、キーをポケットに入れてから彼は近くの家の横手にある暗がりに向かって声をかけた。

「用事があるなら、さっさと出てきては如何です?」

 暗がりの中から、男が一人現れた。黒いTシャツの上に白い麻のジャケットを着込み、白い麻のズボンを履いている。靴も白い革靴だ。顔は純血の先住民だった。彼は車の向こうで立ち止まり、ステファンに声をかけた。

「ケツァル少佐と亡命アメリカ人が国立民族博物館へ夜になってから出かけるのは、どう言う理由かな?」

 ステファンは答えずに相手の目を睨みつけた。白いジャケットの中年男が睨み返した。

「”出来損ない”がこの私に”心話”を要求するのか、無礼だろう。」

 ステファンは言い返した。

「一族の者なら”心話”を拒否するのは非礼だとわかるでしょう。」
「笑止! ”出来損ない”に礼儀を教わる義理などない。一族呼ばわりされる覚えもない。」

 一瞬周辺の空気が帯電したかの様な異様な感覚を中年男に与えた。街頭の照明や道路両側の家々の照明が点滅した。庭木の枝で休んでいた鳥類が鳴き声を上げて夜空に舞い上がった。中年男は両手をギュッと握り締め、両足を踏ん張って立っていた。
 ステファン大尉はポケットからタバコの箱を出し、1本咥えた。相手を見ながらライターでタバコに火を点けた。

「失礼、今吸わないと、この区画を停電させかねないので。」

と彼は煙を吐き出して言った。空気が静まった。中年男は肩の力を抜いた。

「私を脅したつもりか、ステファン。たった1回ナワルを使えただけでいい気になるな。」
「脅したなど・・・私はちょっと腹が立っただけです。貴方の言い方にね。」

 ステファン大尉は彼がちょっと気を放っただけで相手がビビったことを気配で察していた。相手の男、シショカは純血至上主義者だ。何故か白人の政治家の秘書として働いているが、国政にはかなり影響力を持っている。彼が仕えている建設大臣マリオ・イグレシアスを”ヴェルデ・シエロ”に都合良く操縦していると言われていた。ケツァル少佐は常々彼が混血の”ヴェルデ・シエロ”に対して発する差別発言に不快感を示しており、同時に彼が彼女の大切な部下達に危害を加えるのではないかと危惧していた。最年少のマハルダ・デネロス少尉は決して一人で建設省に行かせて貰えないし、ステファンも少尉の頃は同様だった。
 だが、今シショカはステファン大尉が放った気の大きさに怯んでいた。もうこんなヤツ、恐くない。ステファンは自信がついてきた己に少し驚いていた。気のコントロールが出来ている。
 シショカは大尉が気を緩めたことに気がついていた。この甘さは若さ故に来ていると彼は知っていた。まだ完全に目覚めておらぬ、と長老達が言っていた。無理に刺激すれば暴走する。”出来損ない”だがこの世で唯一人のエル・ジャガー・ネグロだ、慎重に扱わねばならぬと。それは純血至上主義者達にとって耐え難い意見だった。我々には、純血種の女”ラ・パンテラ・ヴェルデ”がいるではないか! 彼女に純血種の男の子を産ませれば良い、”出来損ない”の男は要らぬ。
 だがシショカは攻撃しなかった。ここでステファンを殺しても意味がない。第一長老が許可していない。今迄一度も、どの長老もこの”出来損ない”を処分せよと言ったことがない。
 ステファン大尉がタバコの灰を落とした。

「少佐とアメリカ人はムリリョ博士の要請で徹夜の仕事に行かれたのです。それ以上のことをお知りになりたいのなら、博士に直接お訊きになるとよろしい。」

 シショカの一族の長老の名前を出すと、政府高官に仕える殺し屋が沈黙した。
 ステファン大尉は「おやすみ」と言った。そして相手にクルリと背中を向け、アパートの階段を上って行った。


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