2021/07/13

異郷の空 24

  シオドアが研究所に戻ったのは午前11時を過ぎた頃だった。ワイズマンに基地の外のアパートを引き払いコンビニのバイトも辞めた旨を伝えると、所長は少しだけ表情を和らげた。

「お前の居場所はやっぱりここなのだ、テオ。お前の以前の研究室はダブスンが引き継いでいるが、彼女1人では手に負えないことも多い。助手達も君の方を信頼している。今日は少しだけで良いから、顔を出してやれ。」
「わかりました。ところで、”コンドル”は大人しくしていますか?」

 ワイズマンが渋い顔になったので、ステファン大尉が逆らったのかと思ったが、原因はエルネスト・ゲイルの方だった。

「昨日エルネストに”コンドル”に近づくなと言ったのだが、今朝早速言いつけを無視した。」
「あの部屋に入ったのですか?」

 ワイズマンは頷き、シオドアに監視カメラの映像を見せた。 
 ステファンがベッドに腰かけてテレビを見ているシーンから始まった。朝食を終えた後であることは画面右下に表示されている時刻で分かった。捕虜を退屈させないようにテレビとオフラインのテレビゲーム、雑誌などが与えられている。他の被験者と同じ扱いだ。右端手前のドアからエルネスト・ゲイルが入って来た。ドアの外にヒッコリー大佐の部下がいるのが見えた。銃ではなく、棒状のスタンガンを所持していた。
 部屋に入って来たのがエルネストだと気がついたステファンが立ち上がった。明らかにエルネストを警戒していた。エルネストが持参した検査キットを出して、何か話しかけた。細胞採取の道具だ。被験者を傷つけずにDNAを採取出来るのだが、ステファンは拒否した。遺伝子を取られることを拒んだのではなく、エルネストを拒否したのだ。エルネストが彼を説得しようとした。恐らく前日の抱きつき騒動の言い訳でもしたのだろう。しかしその言い訳の内容をステファンは気に入らなかったのだ。首を振って、出て行けと言う素振りを見せた。才能より遥かに高いプライドの持ち主エルネスト・ゲイルは、犬を追い払う様なセルバ人の動作に気分を害した様だ。いきなりステファンに掴みかかった。監視についていた兵士が慌てて室内に駆け込んだ。ステファンはシオドアの言いつけを守って、エルネストを相手にしなかった。着ていたスウェットを掴まれ、引っ張られたが、兵士が彼からエルネストを引き剥がす迄我慢していた。エルネストは室外に引き摺り出された。
 そこで録画を止めて、ワイズマンが深い溜め息をついた。

「全く・・・彼はどう言うつもりなのだ? 」
「彼は言い訳したのですか?」
「うむ。彼が”コンドル”を抱き締めたのは、”コンドル”が母親を恋しがったからだと言った。抱き締めて慰めたかったと彼は言うのだ。」
「はぁ?」
「”コンドル”は今朝彼の言い訳でそれを聞いて気分を害した、と見張りが言っていた。」
「”コンドル”は母親を恋しがった覚えはなかったのでしょう。」
「エルネストは、君が”コンドル”と親しくしていることや、アリアナが彼と関係を持ったことで、自分だけが疎外されていると感じているのだろう。」
「つまり、”コンドル”に相手にして欲しいとエルネストは焦っている訳ですか?」
「自分が捕まえた獲物だから、自分に従わせたいのだろう。」

 シオドアは呆れた。ワイズマンも口の中で「くだらん」と呟いた。エルネスト・ゲイルには超能力者収容フロアへ当分立ち入らせないと所長は言った。それから書類を数枚挟んだクリップボードを出してきた。

「”コンドル”のカルテだ。タブレットに入力する前に紙で記録してくれないか。空欄のところを本人に質問して書き込んでくれ。」

 シオドアが見ると、最初の氏名の欄が空白だった。ステファンも射殺されたカメル軍曹もパスポートや運転免許証の類を一切所持していなかった。母国政府の命令で泥棒行脚をしていたのだから、身元を隠したのは当然だった。シオドアは取り敢えず姓の欄にカメルと書き込んだ。死んだカメル軍曹には悪いが名前を暫く使わせてもらおう。
 それから彼はクリップボードを持って収容フロアへ降りて行った。ワイズマンがタブレットの電子カルテを貸してくれないのは、シオドアをまだ信用していないからだ。それでも今日は単独で所内を歩く許可が出た。エルネストの愚行が酷かったせいだろうとシオドアは思った。
 ステファン大尉は昼食迄の暇つぶしにテレビゲームをしていた。オフラインだし、興奮させるといけないと言う理由で戦闘ゲームではなく、穏やかなR P Gだ。やっている本人はあまり面白くなさそうだ。銃火器をバンバン撃つゲームの方が性に合っているに違いない。それでも髭がない彼の顔は確かに幼い印象で、エルネストが抱き締めたくなったのも少しわかる気がした。恐らく普段のステファンがゲバラ髭を生やしているのも、きっと同じ理由からだ。軍人として敵を威嚇する為と、身を守る為に必要なのだ。
 シオドアは監視役に挨拶して、室内に入れてもらった。ドアを開く時に声を掛けたので、ステファンはゲームを終了させて彼を迎えた。シオドアは、”弟”が再び無礼を働いたことを詫びた。ステファンは苦笑いして、「あれは懲罰房行きですよ」と言った。
 シオドアはクリップボードを出して、質問に答えてくれと頼んだ。ステファンはそれをチラリと見て、氏名の欄にカメルと書かれているのを見た。

「氏名を教えてくれ。」
「ハイメ・カメル。」
「出身地?」
「オルガ・グランデ。」
「年齢?」
「21。」

 本物のカメル軍曹はもう少し老けて見えたが、ステファンがどこまで真実を言っているのか、シオドアにも分からなかった。血液型や体重などは既に計測や検査が済んでいる。シオドアが質問するのは個人的な生活面に関する情報だった。

「親は?」
「いない。」
「亡くなったと言うこと?」
「スィ。」
「兄弟姉妹は?」
「いない。」

 もしステファンに兄弟姉妹がいれば、研究所はその人々の情報も求めるだろう。親類の情報を質問する項目もいくつかあったが、どれもステファンは「知らない」「いない」「分からない」で通した。勿論、研究所も彼が素直に喋ると思っていない。質問が2つだけになった。

「結婚しているか?」
「ノ。」
「子供はいるか?」
「ノ。」

 シオドアは書類を並べ直した。

「質問は終わりだ。お疲れ様。」
「どの捕虜にもこんなことをしているのですか?」
「うん。自国民でも情報を正確に得られるとは限らないけどね。」

 
シオドアは立ち上がった。そろそろお昼だった。

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第11部  紅い水晶     21

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