2021/08/01

礼拝堂  12

  軍靴を履いているにも関わらず音一つ立てずにカルロ・ステファンが祭壇前に近づいて来た。シオドアは「ヤァ」と声をかけるしかなかった。ステファン大尉は彼に頷き、それからムリリョに挨拶した。

「こんばんは。お久しぶりです、博士。」

 大統領警護隊文化保護担当部の隊員は皆グラダ大学の考古学部で学んで卒業している。ステファンもケサダ教授の教室の学生で、ムリリョの講義も受けたのだ。ムリリョはこの生徒を覚えていても覚えていないふりをしていたのだろう。純血至上主義者のプライドだ。彼は無愛想に頷いた。
 ステファンはケツァル少佐の横に来た。そしてわざとらしく溜め息を付いて言った。

「私を営倉送りになさりたいのですか?」

 護衛していた上官に脱走されて腹を立てていた。少佐がチラリと彼を見て冷たく言った。

「営倉へぶち込むなら、貴方が持ち場を離れてロハスの要塞に突入した時にしていました。」
「少佐は俺を心配して追って来たんだ。俺が単独でムリリョ博士と面会しようと考えたから・・・」

 シオドアが少佐の為に言い訳すると、ステファンは尚も上官を責めた。

「それなら私に一言仰って下されば・・・」
「黙れ、黒猫!」

 ムリリョがいきなり怒鳴りつけ、ステファンの口を閉じさせた。シオドアは礼拝堂の中の聖具がビーンと微かに振動するのを見た。これは誰の気なんだ? ムリリョが少佐の後ろの椅子を指差した。

「ガキの様に文句を言うでない。ジャガーならジャガーらしく威風堂々としておれ! さっさと座るのだ。朝まで儂に語らせる気か?」

 ステファン大尉は渋々少佐の斜め後ろの席に座った。ムリリョがシオドアに尋ねた。

「儂はどこまで語った?」
「シュカワラスキ・マナがカタリナ・ステファンと結婚したところ迄です。」

 ムリリョが「グラシャス」と呟き、話を再開した。

「グラダ・シティからマナを捕縛する為に追手が放たれた。マナは大神官の教育を受けていたが、まだ学習を完了させていなかった。中途半端のまま大神官の秘儀を使われては惨事を引き起こす恐れがあったからだ。オルガ・グランデの鉱山で鉱夫として働いていたマナを見つけた追跡者達は彼に戻るよう説得を試みた。しかしマナは拒否した。彼はオルガ・グランデで家族を得て、初めて幸せを感じていたからだ。」

 ムリリョがステファンを見つめた。

「ブーカ族のエルネンツォ・スワレが彼の説得に当たった。エルネンツォは儂の兄弟子で”砂の民”だった。もしマナが一族に災厄を招く様な行動を取れば即殺害する覚悟で説得に臨んだのだ。純血のグラダと戦えば生きて帰れぬかも知れぬ危険を承知で役目を引き受けた。
 マナはグラダ・シティに帰ることを拒んだ。エルネンツォは、それなら代わりに子供を寄越せと迫った。マナの子は半分グラダだ。教育次第で大神官になれるかも知れぬと。しかしマナの子は女の子だった。次の大神官を産めるかも知れない子供だ。だからマナは娘の能力を封印して普通の人間にしてしまおうと試みた。」
「彼は失敗して、娘を死なせてしまった?」

 シオドアが口を挟むと、ステファンが睨んだ。ムリリョはシオドアの言葉に頷いた。

「大神官の勉強を中途で投げ出した報いだ。妻のカタリナは父親に能力を封印されていたのか、それとも白人の血の影響が強くて能力を使えないのか、それは誰にもわからぬ。しかし彼女が産んだ子供はどれも半分グラダだ。生半可な封印術で扱える代物ではないのだ。我が子を死なせたマナは、オルガ・グランデの街を自らの結界に取り込んでしまった。”ヴェルデ・ティエラ”には何ら意味がない結界だが、少しでも”ヴェルデ・シエロ”の血を引く者は出ることも入ることも出来ぬ結界だった。」
「そんなことが出来たんですか?」

 シオドアが素直に驚愕すると、ムリリョが頷いた。

「それこそが、大神官の役目、セルバと言う国を守るための力だった。古代のセルバは一人の大神官の結界に取り込まれて守られていたのだ。だから”ヴェルデ・シエロ”は他民族の侵略から守られ、神としての地位を享受していられたのだ。」
「すると、シュカワラスキ・マナを大神官に仕立て上げようとした当時の長老会はもう一度セルバ共和国をマナの結界で守らせようと考えていたのですね?」

 ムリリョが悲しそうな目をした。

「その通りだ、アルスト。」

 初めてまともに名前を呼んでくれたな、とシオドアはぼんやりと思った。

「儂から見れば随分身勝手な考え方だった。外の世界はもう古代の世界とは違うのだ。船や飛行機で行き来し、電話、電波、インターネットで繋がっている。誰も古代の神の力を頼りになどしておらぬ。マナがそれを理解していたのかどうか、今ではわからぬ。彼はただ家族との穏やかな生活を守ろうとしたのだ。だが、結界内に閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”達は彼の存在を脅威と見做してしまった。閉じ込められた者の中には当然エルネンツォと儂もいた。彼は結界を消せと迫るために、カタリナが産んだ2番目の娘を人質に取ろうとした。赤ん坊はその時、麻疹に罹っていた。儂はマナに子供を医者に見せろと言ったが、マナは人質に取られることを恐れて拒否した。」
「それで赤ん坊は亡くなった・・・」

 シオドアが呟くと、ステファンが膝の上でギュッと両手を握りしめた。

「カタリナ・ステファンは夫に投降してくれと頼んだ。結界を張ったままでは他の”ヴェルデ・シエロ”の生活に支障が出る。マナ自身も消耗する。生き別れは辛いが、彼に生きていて欲しいと訴えたのだ。だがマナは妻の訴えも退けた。グラダ・シティに連れ戻されればピラミッドの地下神殿に閉じ込められる。そこでウナガンが産んだ娘と妻される。彼がシータを欲しがったのは、妻にする為ではなく、長老達の目論見から我が子を守るためだったのだ。彼はウナガンの娘が既に外国で育てられていることを知らなかった。
 マナは2人目の娘を死に追いやったエルネンツォを憎んだ。子供が死んで13日目に、儂は川岸でエルネンツォの遺骸を発見した。全身の骨が砕けていた。そんなことが出来るのは”ヴェルデ・シエロ”だけだ。」

 ステファンが絞り出すような声を出した。

「それは、大罪です。絶対にやってはいけない・・・」

 彼に背を向けたままで、ケツァル少佐が呟いた。

「でも、彼はやってしまったのです。」

 ムリリョが溜め息をついた。

「大罪に免罪はない。マナの結界の中にいた儂には聞こえなかったが、長老会にはマナが何をしたか報告が入っていた。国中の”ヴェルデ・シエロ”に布告が出た。シュカワラスキ・マナの捕縛に生死は問わずと。」


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

シュカワラスキ・マナの処分に対する最終通告を出したのは、原作ではママコナになっていた。
ママコナを長老会に、「抹殺」と「捕縛」に改めた。

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